変わる価値観 今、価値観はどう変化しているのか

今年の夏、パラリンピックを初めて観ました。僕だけでなく、今年初めて観たという方が多いと思います。オリンピックが様々な問題を露呈したこともあって、色々な意味で注目を集め、高く評価されたようです。
このオリンピック、パラリンピックては、人や社会の多様性などが重視されました。特にSDGsに対して、急速に意識が高まる中で、様々な取り組みが紹介されました。さらに、国や地域などを超えた、様々な問題を認識させられました。

身近なところに目を向ければ、昨年から、生活や働き方などが変化し、いつの間にか「ニューノーマル」という言葉も聞かなくなりました。こうした変化の中で、世の中の価値観はどのように変わったのでわしょうか。またこれからの私達の生活や働き方を考えるうえで、どのよう変化しているのでしょうか。

・働き方、暮らし方
最近、テレビで田舎暮らしを始めた方の番組を目にするようになりました。テレワークであったり、フレキシブルな出勤形態になり、生活スタイルが、大きく変わっています。

個人的なことですが、僕は名古屋市の、住宅街(団地街)で育ちました。番組を見ると、自然に根差した生活を羨ましく思いますが、いかんせん羨むばかりです。

虫とかイヤだし。

とは言え、こうした番組が気になるのは、やはり自分の環境に不満を感じているからなのかもしれません。

このような生活をいているご家族は、皆さんとても表情豊かで、労働問題を研究テーマとしている自分が、滑稽に思えることがあります。僕が最初に勤めた大学を辞したとき、心身の健康を崩して辞めましたが、先輩から、「経営学者が体を壊してどうする!]と言われました。

まったくもって、本末転倒です。

だからこそ、心の豊かさを実現できる生活に惹かれるのでしょうか。そして、これは今、多くの人が感じていることなのではないでしょうか。

・価値を決める基準
田舎暮らしにしたご家族の番組をみていると、その家族の子供も、とても活き活きしています。番組では、元の都市部の生活に比べてつまらないと言っている子供も、家族で過ごしたり、自然の中で遊ぶ姿を見ると、まんざらでもないようです。

そのような子供を見ながら、ふと、この子達は、もしかしたら就職のために大学への進学を選択しないのかもしれないと思いました。紹介されているような環境の中で、充実した生活を送れるのであれば、今の大学に魅力を感じないのではないかと思ったからです。

こうしたことを考えていたところ、最近、アメリカのマイケル・サンデルやアンガス・ディートンといった著名な研究者が、大学が格差を生んでいるという発言をしており、パンデミックによって、このや傾向が顕著になったという記事を目にしました。

実は、このような指摘はかなり以前からありました。現代の社会では、学歴によって、就くことのできる職業が変わってきますし、そのまま生活の豊かさにも繋がります。またバブル経済崩壊以降は、さらに複雑な問題を内包する(この説明について、今回は割愛します)ようになります。

QOLや働き方改革が重視されていますが、特に2000年代に入り、社会の格差が広がっていますが、単に学歴が高ければ豊かというわけではありません。
豊かさの基準が複雑になる中で、高学歴者の自殺も目立つようになりました。

パンデミック下で、テレワークやフレキシブルな働き方を選択できる人は限られます。例えば先日、オンライン診療を受けるためには、システム費として、平均900円ほど必要となり、医療の格差に繋がるという記事を読みました。

現段階では、パンデミックによって、半ば強制的に、働き方や暮らし方が変わり始めたところですが、現在の格差をどのように考える必要があるのでしょうか。

・価値の変革
特に2000年代に入って、価値観が大きく変革しているように言われますが、僕は少し疑問です。
僕は、私達の現在の価値観は、第二次世界大戦後に形作られたものだと考えます。日本では、戦後復興・発展の時代があり、わずか30年で、1970年代には経済大国の仲間入りをします。1980年代にはバブル景気に突入、景気指数では1986年からですから、崩壊まで僅か5年です。その後の空白の10年を経て、21世紀の変化です。

これを確立した時代や価値観と呼ぶことができるでしょうか。

言うなれば、戦後昭和という、物質的豊かさを「絶対的価値」と錯覚した人達の、心のバブルによる「勘違い」といったところでしょうか。

とは言え戦後20世紀は、物質的発展と冷戦体制という、非常に歪な競争その中で、豊かさの優劣を競う時代でしたから、世界中で、歪な競争と物質的豊かさという、異常な価値観が形成されてしまったと考えます。

最近、自動車販売数から見ると、若者が自動車離れをしているわけではないという記事を読みました。若い人達は、新車に価値を感じておらず、自分が求める‘道具’として、予算と希望に合えば、新車である必要がないと考えているそうです。

考えてみれば、日本人も含めて、多くの人々が何でも新品を買うようになったのは、戦後の、ごく最近の時代のこと。特に日本の、残価設定型ローンを前提としながら、新車販売台数を指標とすることの方が異常なのでしょう。

感染統計学という学問先生から、「パンデミックは、人間の生活が、その管理能力を超えたときに発生する」という話を聞きました。経済学を専門とする僕には、この考え方は、ある種の「神の見えざる手」のように聞こえました。

マルクス・ガブリエルは、新型コロナウイルス以降の社会を、それまでと比べて、明らかに良くなったと評しています。

今、私達が考えるべきことは、あらためて、私達の既存の価値観を疑うことのように思います。

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