情報を選択すること Daigo氏の発言から感じたこと

以前、個人のSNSで、新聞の質の低下について記しました。
大学勤務時代から、学生さんの指導で、新聞の社説を要約するという課題を行っており、今教えている広告デザイン専門学校の、ロジカルシンキングの講義でも行っています。
しかしインターネット、特にスマートフォンが普及してから、社説の内容や文章の質が下がり、教材を選ぶのに苦労するようになったからです。

新聞の質についての投稿に対して、「新聞を読む人が少なくなったので、仕方がないし、そこまで目くじらを立てなくても、、、」という意見を受けました。

うーん、、、僕は色々なことに、目くじらを立ているのでしょうか(笑)

この意見は、個人的に受けたものなので、直接意見を述べましたが、最近の出来事から、感じたことがあったのて、記したいと思います。

・Daigo氏の発言と情報の選択
先日、Daigo氏の差別発言が「話題」になりました。これについて、ここで意見を述べるつもりはありません。また、敢えて、「話題」としましたが、これについては後ほど述べます。

この話の内容をご存知の方は、、、

さて、どこから、どの程度の情報を得たでしょうか。

僕はスマートフォンで設定しているニュース記事で知りました。「設定しているニュース記事」としたのには、理由があります。
僕の設定では、NHK,主要新聞、日経、東洋経済新報社などのニュースを設定しており、yahooニュースなどは上がってきません。

これには明確な理由があります。
ネットニュースなどの多くが、独自に記事を書いておらず、「○○と報じた」など、記事を抜粋しているためです。
多くの人の目に触れる(広告効果を得る)ため、この‘抜粋’作業は、‘話題’程度まで薄められ、そうした一文が、SNSなどを駆け巡ります。そうするともう、トレンドとしてのトピックスになり、正確さは求められません。

つまり、あっという間に「情報」ではなく「トレンドワード」になってしまいます。だから最初に、「問題」ではなく「話題」としました。

こうした「トレンドワード」に紐づき、ある人物が「優生思想」と評したことが、同じように「トレンドワード」として拡散しました。

僕個人としては、Daigo氏には、そもそも思想などなく、単に人を思いやることができない、またはできなくなった有名人の発言としか思えませんが。

この意見は、今回のテーマとあまり関係がないのでさておき、、、

問題は、これらの「トレンドワード」が、しっかりした理解を伴わないまま、多くの人の意見として定着してしまうことです。

この状況をインターネットで調べると、「選民思想」という表現の批判も多くみられます。そして「優生思想」や「選民思想」(なぜ出たのか?)について、個人的な考えや、適切ではない説明の記事が、wikipediaより上に、たくさん表示されています。

こうなると、もう何が正しいのか解りません。

・トレンドとオピニオン
僕はかなり以前から、「日本にはトレンドリーダーはたくさんいるが、オピニオンリーダーはほとんどいなくなった」と考えています。この現象は、SNSの浸透によって、急速に進んだと考えます。

つまり、世論の多くが、「トレンド」としての意見によって埋め尽くされてしまい、時として、その「トレンド」が、内容の正否に関わらす、世の中の「正論」になってしまいます。
さらに恐ろしいのは、この正否の判らない「正論」によつて、不当に制裁を受ける可能性が高いことです。
そして、僕が最も恐ろしいと感じるのは、「トレンド」であるがゆえに、出来事自体はあっという間に忘れ去られ、キーワードのみが、深く理解されないまま残っていくということです。

これが例えば、インターネットのない時代だったら、どうなっていたでしようか。

その時代の道徳観などはさておき、そもそも発言の場がテレビなどのマスコミュニケーションしかないので、発言者はもう少し気を使うから、こうした問題は起きないということになりますが、、、

こうした本末転倒な話はさて置き、

例えば、家族でテレビを観ていたときなら、親が黙っていません。翌日、学校で話題になれば、先生が対応を迫られるでしょう。

では、「優生思想」という言葉はどうでしょう。
子供では解らない言葉なので、周りの大人に質問するのではないでしょうか。大人も知らなければ、辞書で調べるが、その場で適当に答えるか、、、

そこで疑問を持つ子供なら、自分で調べるでしょうし、そうでなければわすれていき、ある程度成長して、疑問を持てば思い出すかもしれません。

しかし現在は、そうはいきません。
小さな子供でも8場合によっては大人以上に積極的に)youtubeやSNSを使いこなします。実際に学生さんを見ていても、その傾向は顕著です。

こうした子供が、差別=優生主義と、短絡的に言葉を覚え、その言葉を学校やSNSで安易に発し、またたく間に拡散していく、、、

ここでは子供で例えましたが、実は子供でなくても、この現象は既に起きています。だからこそ、適切な情報考え方、意見の源泉として、新聞は大切だと考えます。今後、ますます情報の正確性を担保することが難しくなる中で、新聞の質が低下するのはとても危険なことではないでしょうか。

今主として教壇に立っている広告デザイン専門学校では、「経済学の先生=社会科の先生」という認識の学生さんもいて、そうした質問も少なくありません。

教壇に立つ責任が、ますます重圧となるかと思うと、恐ろしくてたまりません。

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