論理的思考のすすめ なぜ論理的思考が注目されるのか

僕のnoteでは、マネジメント、マーケティング、論理的思考をテーマの柱として始めました。これは、僕か経営経済学の研究者であるとともに、講義を行っていることであり、SAEKI Business Economics Laboの中核業務であるためです。

その中でも、論理的思考(ロジカルシンキング)は、その重要性がかなり高まっています。社会が発達を続け、情報社会と呼ばれるようになって、随分時間が経っていますが、なぜ論理的思考の役割が高まっているのでしょうか。

今回は、今更ですが、この点について考えてみたいと思います。

・便利になった世の中
歴史の教科書では、第二次世界大戦以降を現代と呼びます。現代の社会は、様々な道具や機械、仕組みが生み出されて、とても便利になりました。この機械が世界中に行き渡ると、特に先進国では、この機械を効率的に使うサービス業が発達していきます。
そして最初は便利な機能をもたらしてくれた様々な機械や仕組みは、どんどん自動化されていきます。この自動化された機械に、情報産業、特にインターネットというインフラが加わることで、人が提供していたサービスも変化しました。

例を挙げましょう。

僕の父は昭和18年(1943年)生まれです。実家は岐阜県の下麻生という場所です。父は中学卒業後、名古屋へ住み込みで働きに来ました。いわゆる集団就職です。

父が名古屋へ働きに出たとき、次はいつ帰れるかわからないと思ったそうです。

ちなみに父の実家てすが、車で1時間もあれば行くことができます。しかし当時は、岐阜の田舎から名古屋へ来るのは、何度も電車を乗り継ぎ、かなり時間がかかりましたし、ましてや当時の父が、車を所有するとは夢にも思わなかったでしょう。

ところで最近、といっても10年近く前ですが、父の実家の方へ、訳あって電車で行ったことがあります。相変わらず田舎なので、複数回の乗り換えはいたし方ありませんが、特に苦労することもなく、行くことができました。

が、しかしこれが、例えば1998年、僕が買ったWindows98のパソコンに、駅すぱーとという乗り換えソフトが付いてきた前だったら、、、

時刻表とにらめっこをする前に、諦めて旅行代理店かJRの切符売り場へ行ったことでしょう。

1998年というと、大卒の新入社員が生まれた頃です。まだこの頃は、電車でどこかへ行くのも大変でした。21世紀に入って、世の中はとても便利で簡単になったのです。

・考えなくてもよい時代
上記のように、20年ちょっと前までは、どこかへ行くのも一苦労でした。今の学生さんからスマートフォンを取り上げたら、日帰り旅行すらできないのではないでしょうか。

僕はデザインの世界とも関わっています。あるデザインの集まりで、名古屋市の交通案内はかなり良くないという話を聞きました。それまで感じたことはありませんでしたが、デザイナーの方々から説明して頂くと、その日の帰りから、急に交通案内の悪い点が目立つようになりました。
しかし最近では、その交通案内もかなり改善されています。以前と比べて、とてもわかり易くなったと思います。

そうです、少し前まで、実は論理的に考えなければ、できないことがたくさんあったのです。

・考える機会、考える力
僕は産業革命がもたらしたのは、豊かさと引き換えに人の能力の陳腐化と考えます。
第1次産業革命は労働力を、第2次産業革命は熟練を、第3次産業革命は判断力を、第4次産業革命は意思決定を陳腐化したと考えています。
IT革命以降、人は随分考えなくてもよくなりましたが、言い方を変えれば、高度な意思決定以外、考える機会を奪われたとも言えるのではないでしょうか。
勿論、便利になったとことを批判するつもりはありません。より多くの人が安心して暮らせることは良いことです。しかし「奪われた」というのは少し語弊があるかもしれませんが、意識して考えない限り、考えることを放棄させられてしまうように思います。そして、考える機会を手放した人は、考える力を手放すことになると考えます。

・だから今こそ論理的思考
世の中が便利になり、より多くの人が様々な機会を得られるようになり始めた現在、これからの世界の指針として、SDGsが注目を集めています。
しかしSDGsは17の世界的目標、169の達成基準、232の指標という、膨大な内容の指針です。僕はまだ、これを諳んじて言える方に会ったことはありません。またこれらを覚えたとしても、とても説明はできないでしょう。
なぜならSDGsは指針ですから、明確に「AをBしなさい」という指示ではないからです。

今私達の社会は、多くの答えのない問題に対して、姿勢や意思を示すことが求めらるています。そしてこのためには、論理的思考が不可欠です。

僕は、論理的思考は、生命力と対をなす、人が生きるための根本的な力だと考えます。

論理的思考の重要性が高まっていることは、便利さによって手放した「考える力」を取り戻そうとしているように見えます。

QOLが重視されている今、20世紀の物質的豊かさという価値観に奪われた、人の本来の価値観を取り戻そうとしていることと、酷似しているように思えてならないのです。

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