「デザイン」への疑問 東京パラリンピックより
このnoteでは、経営経済学の視点からデザインを考えることを目的としています。
いくつか記事を書いている最中でしたが、東京パラリンピックでの出来事から、ある疑問を思い出しました。そこで、僕の中では順番が前後しますが、今回はこの疑問について記したいと思います。
2020東京オリンピック、パラリンピックは、開催の是非や色々な問題をふくみながらも、無事終了しました。
その中で、今回の選手村が、「単にスロープを付けたようなものではなく、最初からバリアフリーで作られたことを評価する」という意見を目にしました。このこと自体は素晴らしいこと(ここではそう表します)ですが、実はここに疑問を感じました。
僕は交通経済学という分野を研究しており、その中で、基礎として「交通権」という権利について学びました。
これは、人が生活するうえで、交通は欠かせない権利であるというもので、ヨーロッパでは、生存権の1つとしている国もあります。しかし残念ながら日本では、憲法で保障された権利にはなっていません。
今回のパラリンピックでは、日本人がそうした違いを多く知る機会となったかと思います。
交通権は、日本では1970年頃から議論や研究が進み、1986年には、交通権学会が設立されました。
この交通権学会には、僕も何度も参加しました。そこで、障害者にとって快適な環境は健常者にとっても快適であること、障害者のための設備を作ること(発想)自体が間違いであることを、厳しく教わりました。
僕がこれを学んてから既に20年以上です。
今回、選手村が初めて、完全バリアフリーになったという評価を、複雑な気持ちで受け止めました。
・問題解決のためのデザイン
僕がデザインの世界と深く関わり、多くのことを学びながら、最初に教わったのは、デザインとは色や形を決めることではなく、問題解決の方法という考え方でした。
この考え方にとても感銘を受けましたが、これは次第に変化していきます。
例えば、デザインの世界と関わってから知った言葉(考え方)に、「モノからコト」があります。
実は、僕はこの言葉を聞き、少し戸惑いました。経営経済学や交通経済学の立場から、企業や社会の問題に向き合い、行政にも携わった立場からすれば、あまりにも当たり前です。問題解決にモノは必要ありません。例えば箱物行政のように、むしろ「モノ」から考えることが、財政政策的観点から、やってはいけないことという認識があったからです。
これは、経済学における、「財源無き政策なナンセンス」という考えに基づきます。
またあるとき、とあるプロダクトデザイナーの方から、「研究者は議論はしても問題解決をしない」と言われたことがあります。
このときは、どう答えてよいか戸惑いましたが、さすがに聞き入れられませんし、むしろ問題解決をゴールにしていて、問題を解消しようとしていないように感じました。
加えてこのとき感じたのが、多くのデザイナーの方々が、そもそも「作る」ことを目的としているように感じたことです。そのため、このことから、デザイナーの方々の「モノからコト」が、時々「モノのためのコト」に聞こえるようになったためです。
そこで感じたのが、「作らないデザイン」の重要性です。
例えば今後挙げた選手村は、ユニバーサルデザインによるものですがそもそもユニバーサルデザインとバリアフリーデザインは異なります。スロープがバリアフリーデザインであれば、ユニバーサルデザインでは、スロープさえ作りません。
言い換えれば、「作る」ことを目的とした時点で、デザインの目的が失われてしまいます。
また「デザイン」という言葉は、現在では、様々な場面で用いられます。
僕は、デザインを学んでいるからこそ、自分の専門分野で、安易に「デザイン」という言葉を使うことを避けています。しかし経営学の分野では、「組織デザイン」や「戦略デザイン」という言葉がかなり普及しています。
ノーベル経済学賞を受賞したマッチング理論は、マーケットデザインとして定着しています。
つまり、「デザイン」は、これまでの「デザイナー」の手を離れて、その新たな役割を果たしています。
こうした中で、「作る=デザイン」は、既に通用しません。
だからこそ、僕がデザインの世界で、「作らないデザイン」を述べる必要があると考えています。
今回の選手村の建物を見ていませんが、優れた建物なのでしょう。
それではなぜ、これまでそのような建物が作られなかったのでしょうか。そもそも、交通権が提唱された頃、デザイナーは何をしていたのでしょうか。
「デザイン=問題解決」なのであれば、全てのデザイナーは、最初から社会の問題に向き合っていなければなりませんし、今回挙げた問題を、既に解決していなければならないはずです。
ここで誤解のないように述べますが、僕は決して、デザイナー否定をしているわけではありません。
僕の専門分野である批判経済学では、社会の矛盾といかに向き合うかを命題としています。デザインについて、矛盾を発見し、取り組むことが、デザインを学ぶ経営経済学の役割だと考えます。
今回なパラリンピックは、僕に大切な「疑問」を思い出させてくれました。
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