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エイトビートの恋人

「この小説の主人公が君にすごく似ているんだよね」

あのひとにそう言われて、学校が終わったあとすぐにJR名古屋高島屋の8階にある三省堂へと走った。愛知の田舎町から電車で1時間かけて名古屋の私立高校へ通っていたわたしにとって、こことタワーレコード近鉄パッセ店は心のオアシスのような場所だった。
真っ先に文庫本コーナーへと向かい、食わず嫌いしていた大人気作家の名前を探す。出版社ごとに分けられ、所狭しと並んだ背表紙を目で追う。

ここじゃない、ここでもない、置いてないかもしれないな……、あった。
お目当てのタイトルを無事に見つけ出して手に取ると、迷わずレジへと向かった。
村上春樹の『スプートニクの恋人』という小説だった。

当時のわたしは、将来文章を書く仕事がしたいと思っていた。恥ずかしくて周りにはあまり公言していなかったけれど、本や音楽、映画などが専ら共通の話題であったあのひとには、「作家になりたいの?」とすぐに見抜かれてしまった。
『スプートニクの恋人』の主人公であるすみれも同じく作家志望であり、我が強く浮世離れしていて、愛する文学の世界へのめり込むことで理想と現実とのギャップを埋めているような女の子だった。
自分はさすがにここまで強烈にぶっ飛んではいないと思ったけれど、似たような部分は確かにあったし、なによりも大すきなあのひとにそんな風に言ってもらえたことが嬉しくて、この本はわたしにとって特別な一冊となった。

あのひとは高校1年の秋学期のとき、わたしのいた学校へ転任してきた。ちょっと、いやかなりの変わり者で、英語教育にたいへんな情熱を持っていた。
ロックミュージックを愛する彼は、自分の授業はエイトビートのリズムで進めると宣い(確かに勢いはあった)、過去にバックパックで世界を周った話、アイルランドに留学していた話、そこで出会った奥さんとの話なんかを織り交ぜて、愉快な授業を展開する人だった。
すみれが初めて恋した相手・ミュウのことを心の中で「スプートニクの恋人」と呼んでいたことになぞらえて、わたしもあのひとに「エイトビートの恋人」という自分だけの呼び名をこっそりつけた。

あのひとはわたしのサブカル的趣味嗜好や、高校卒業後の進路、さらには就職先に至るまで絶大な影響を与えた。
彼のおかげで英語がすきになり、授業が終わると毎回話しかけに行っては英語圏の音楽や映画のおすすめを教えてもらった。「君は愛知県内に留まる必要はないと思うよ」とあのひとが助言してくれたから、地元ではなく東京の大学に進学した。専攻は英米文学を選んだし、ずっと勉強してきた英語を仕事でも使いたくて、現在は貿易実務という職種に就いている。

2年半、ずっとあのひとに恋をしていた。それまでに出会った誰よりも尊敬していたし、初めて本気で人をすきになった。
自意識をこじらせて田舎で燻っていたわたしに、思いきって外へ出ていけばまだ知らないキラキラした世界が広がっていること、東京には自分と同じようにちょっとはみ出している人がたくさん集まっていることをあのひとは教えてくれた。

「自分を理解してくれる人っていうのは、絶対に世の中にひとりはいるから。そういう人に出会えたとき、君の人生は大きく変化すると思うよ」

そう言ってくれたけれど、わたしは彼にこそ、たったひとりの理解者になってほしいと思っていた。


あのひとが勧めてくれたロマンティックな映画を観て恋愛に憧れ、センチメンタルな音楽を聴いて想いを募らせ、口に出せない気持ちは書くことで昇華させた。
当時の日記を読み返すと枕に顔を埋めてジタバタしたくなる程度に恥ずかしいけれど、この頃が一番純粋に、混じり気のない言葉で心の内を表現できていたのだと思う。

なんもない。わたしには、ほんとになんもない。
矛盾だらけの思想も、青い言葉も、本から得た浅い知識も、拙い文章も、まるで価値がない。
とかなんとか書きながらも頭の片隅には、こういうことを口にしたらあのひとは否定してくれるだろうかとか、そんな考えばかりが浮かぶ。
くだらないのは、わたしのほうだな。
先日、あのひとの誕生日だった。アクシデントもあったけれどプレゼントの飴ちゃんは無事にわたせたし、長話もできた。夏までと同じ雰囲気で話せたのは久しぶりだった気がする。最近は忙しいからかやっぱり向こうの態度がすこし変というか、楽しそうに話してくれなくなったので。
で、その日はものすごーく幸せでずっとにこにこしてて周囲にどうしたんだこいつとつっこまれたりしたのだけど、翌日にはまた些細なことで元気なくなったり。まあいつものことか。
相変わらず、振り回されている。けど、それでも、やっぱりすきなんだ。
愛おしかった夏は一瞬で去り、もうすっかり寒い季節になりました。わたしはまた去年の秋冬のように、左手をブレザーのポケットにつっこんで、朝家を出てから駅に着くまではミッシェルの世界の終わりを、地下鉄ではポリスのアルバムを、地上に出たら学校に着くまでベルトパンチのキラースマイルを聴いて、あのひとに会いにいきます。


高校2年の冬、わたしがあのひとのことを本気ですきらしいとか、あのひとの仕事用ではなくプライベートな連絡先を知っていて個人的なやりとりをしているとか、尾ひれのついたうわさが一部生徒のあいだで流れてしまってから、わたしはあのひとと距離を取らざるを得なくなった。

迷惑をかけたくなかったし、ほんとうに東京の大学に合格するためには恋愛にうつつを抜かすのはそろそろやめにして、受験に集中しなければいけないという気持ちもあった。3年の春から予備校に通い始め、高校の授業をさぼってそこの自習室に行ったりしていたので、当然ながらそれをよく思わないあのひととの関係はぎくしゃくし始めた。授業終わりに話しかけに行くことも辞め、周りが不審がるほどパッタリと話さなくなった。
無事に受験を終え、第二志望だった私大に合格したけれど、諸事情で卒業式に出られなかったので、あのひとにお礼もお別れも言うことができなかった。

高校を卒業して1年半ほど経ったころ、友人と母校を訪れ、あのひとに再会した。
久しぶりに会った彼は髪にパーマをかけていて、「なんですかそれ」と訊いたら「ボブディランです」という答えが返ってきて、その変わらなさに笑ってしまった。

そのまた数年後、あのひとが転任になったと風のうわさで聞いて、学校宛に手紙を出したら返事をくれた。メールでも何度かやりとりをした。
彼のおかげで英語がすきになり、それが今の仕事にも活きていること、高校時代は色々と迷惑をかけてしまって反省していること、お子さんが産まれたことへのお祝いの言葉などを伝えた。
今度飲みに行きたいですね、という話をしたまま実現はされていないけれど、それでもいいかなと思っている。

あのひとはわたしにとってほんとうに特別な人で、当時の思い出は心の奥にしまったままで十分で、本人に伝えることはこの先もないだろう。
あれほど真っ直ぐな気持ちで誰かをすきになり、苦しいほど恋焦がれることも、周りが見えなくなるくらい暴走してしまうことも、もう経験できないだろうし、しなくていい。

この文章を書いていたら、懐かしくなって本棚から『スプートニクの恋人』を引っ張り出してみる。
ページをめくる度に、その手触りが青い10代だった頃の自分を思い出させて照れ臭い。
またあのひとと連絡を取ることがあったら、「今もエイトビートですか?」と訊いてみようと思う。



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