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価値観の違い、で済ませるのは簡単だけれど

大切な人と衝突して折り合いがつかないときは、とてもかなしい。
このスタンスは譲れない、と強く主張すれば相手は理解してくれるだろうと心のどこかで思っていた。でも彼にも彼の言い分があるわけで、こちらの価値観を頑として否定されたら、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

彼のジェンダー観は時代にそぐわない、と思う。
デートのときはお店のドアを開けてくれたり、わたしを奥の席に座らせたり、寒そうにしていたら上着を貸してくれたりと、いわゆるレディファーストを大切にする。食事代は男性が女性に奢るか、多めに支払うべき、とごく当然に考えている。
正直そういう扱いをされて嫌な気はしないし、お互いがそれで納得しているから、まだいいのだけれど。

彼は「差別」という表現があまり好きではないらしい。
なんでもかんでもすぐに差別だって騒ぐやつ嫌いなんだよね、とよく口にしている。
対するわたしは大学で人種・性的マイノリティやジェンダーを題材にしたアメリカ文学を専攻していたから、そういったトピックには比較的敏感だ。
生まれついた肌の色や性別によって人生の選択肢が狭まったり、社会に虐げられたりしている人々が世界中に存在しているという事実を、知ろうともしない、興味がない彼に苛ついてしまうことが時おりある。

ほんとうに些細なことから亀裂は生まれる。
ブルーノートで好きなバンドのライブを観たあと、いつものお店で楽しく飲んで、ほどよく酔った帰り道。
寒いねと笑い合っていたら、ふと去年の今頃によく聴いていた曲を思い出す。”Baby, It’s cold outside”というクリスマスの定番曲があるのだけれど、その邦題が「おもて寒いよね」というのである。
”Outside”を「おもて」と訳すセンスがツボにはまったのがきっかけで、野宮真貴と横山剣のカバー・バージョンを聴いてみたら最高におしゃれでチャーミングで、ずっとリピートしていた。
そんな話を彼にしたら笑ってくれたので、酔っぱらったノリでうんちくを続けてしまった。

この曲の内容は、男性が女性をあの手この手で家に誘おうとして、あえなくかわされるというもの。#MeToo運動が活発だった去年、歌詞がセクハラじみていると槍玉にあげられて、米国のラジオ局で放送中止になるという事態が起きていた。個人的には、男女の恋の駆け引きを描いた微笑ましい歌詞だと思うのだけれど。
というこぼれ話をしたら、「なんだそれ、くだらない」「しょうもないこと言う奴らばっかだな」と一蹴され、思わずカチンと来てしまった。

「確かになんでもかんでも過剰反応するのはよくないよ。けど、世の中には男女差別とか、性被害で苦しんでる人がたくさんいるんだよ。そういう実態があるんだって、わたしたちの世代が声を上げていかないと」

「はぁ、そう。かっけーっす」

完全に平行線だった。真面目な訴えを馬鹿にされた怒りと、あぁこの人には多分どう説明しても響かない、という無力感と悲しみとで、なにかがプツンと切れてしまった。
もうわたしの部屋の玄関まで来ていたけど、咄嗟に「お帰りください」と言い放っていた。自分でもびっくりするくらい冷たい声だった。
彼も悪びれる様子なく、「そうします」と言ってドアを閉めた。バタン、ガチャリ、という音が響いたのち、静寂が訪れる。律儀にも、合鍵でしっかりと錠を閉めていってくれたらしい。

やってしまった。
せっかく楽しい一日だったのに、台無しにしてしまった。
言いすぎた、すぐ電話して謝って戻ってきてもらおうか、と思う自分と、いや間違ったことは言っていないし、相手の意見に聞く耳持たず全否定する彼が悪い、と反論する自分が脳内で闘っていた。

ただただ虚しくて、涙は出なかった。
服を脱ぎ捨ててベッドに倒れこんで、LINEの画面を開く。
こういうときは一旦時間を置いて、相手になにか伝えるのは冷静になってからが良いと、経験上わかっていた。でも今言わないと、うやむやになって流れてしまう気がしていた。
メッセージを書いたり消したり、送るか送らないか迷っているうちに、30分ほど経過していた。
もうどうにでもなれ、と覚悟を決めて送信ボタンを押す。

「勢いで帰れとか言ってごめん、喧嘩したかったわけじゃないよ。でもわたしにとってはすごく大事な価値観だから簡単に否定しないでほしかった」
「今日はもう寝るね」

しばらく経って、返信が来る。

「そうだよね、かたくなな言いたかしかできなくてすまん。今度ゆっくり話そう」
「おやすみ」

通知画面で相手が怒っていないことを確認したら安心して、そのまま寝た。
翌日、ブルーノートで撮ってくれたわたしの写真が送られてきていたけど、やっぱりモヤモヤは完全には消えなくて、既読スルーしてしまった。

お互いに酔っぱらっていたのが良くなかった、とも思う。ムキにならずにきちんと話せば、タイミングを選べば、ちゃんと聞いてくれる人だと知っている。
でもお互いのスタンスがここまではっきりしているなかで、彼が納得いくような説明ができただろうか。偉そうに言っておきながら、冒頭で書いたレディファーストだったり、奢り奢られ問題だったりは甘んじて受け入れてしまっているし、わたし自身のジェンダー観だってブレブレなのでは?

そんな風に悶々としながらネットの波をさまよっていたら、ある本を見つけた。
『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた』という、一橋の学生がゼミ活動の一環で執筆したものらしかった。
サンプルを読んでみたら、収録されているQ&Aは普遍的なテーマのものばかりで、とても共感しやすい視点だと思った。

「男女平等っていうけど、女性も『女らしさ』を利用しているよね?」
「フェミニストはなにかと女性差別というけど、伝統や文化も重んじるべきじゃない?」
「男だって大変なのに、女がすぐハラスメントと騒ぐのって逆差別では?」
「性暴力って被害にあう側にも落ち度があるんじゃない?」

どれも彼が口にしそうなことだ。けれど今のわたしには、もし同じことを訊ねられてもうまく答えられる自信がなかった。
自分自身の立ち位置を再確認するためにも、購入ボタンを押した。

一人で勝手に悩んであれこれ考えて、本まで買って、これはわたしのエゴかもしれない。価値観の押しつけかもしれない。
けれどわたしは自分が大切だと思うことは、はっきりと伝えたい。気持ちに蓋をしたくない。

あれから数日経ってLINEも普通にしているし、次に会ったときは、もう彼は言い合いのことなんて忘れているかもしれない。
でもお互いのことを完全に理解はできなくても、せめてこういう見方もあるんだと、受け入れてほしいと思うのは我儘ではないはずだ。
そうやって少しずつ歩み寄って、擦り減らないように、折り合いをつけていけたらいい。




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