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郷愁の音色

都心から伸びる長いトンネルを抜けて、赤い車体が地上へ戻ってくると、窓の外の景色はがらりと変わる。
真っ暗闇から、雑木林と田んぼと工場に囲まれたのどかな住宅地へ。
高校時代に通学で使用していた沿線は、市営の地下鉄と高架を走る私鉄が直通になっていた。

田舎では建物の背が低いおかげで、空がとても広い。都会と違って街灯がほとんどないから、日が沈むタイミングで美しいグラデーションが見える。
ある日は山吹色から薄い群青色へ。
またある日は焼けるような赤からピンク、紫へと表情を変える。
この風景がいちばんに映えるのは、冬だ。

この時期、吹きさらしのホームに停車した電車のドアが開くと、身を切るように冷たい風が一気に流れこんでくる。それに対して座席の下の暖房だけがやけに効いていて、ふくらはぎが低温火傷をおこしそうなほどだ。熱を逃すように、タイツの上から脚をさする。
どこからともなく現れた車掌さんがホームを見廻し、もう乗り降りする客がいないことを確認すると、チンチン、と発車ベルを鳴らす。その合図で、プシューッ、という音を立ててドアがゆっくりと閉まる。

夕暮れどきに重なるこのベルの音が、ひどく好きだった。
無機質で寂しげでありながら、同時にひとりきりで電車に揺られて帰路につくわたしをそっと迎え入れるかのような、どこか優しい響きをふくんでいる気がした。
感傷に浸るには、一日の中で最もふさわしい時間だった。17歳だったわたしは、恐らく生涯でいちばん多感な時期にあり、来る日も来る日も心の真ん中を占めるあのひとのことだけを考えていた。交わした会話の断片を必死に反芻し、咀嚼し、些細なことで絶望したり舞い上がったりした。
寒い季節になるといつも、iPodで同じ曲を再生した。バラードの繊細なメロディと、人気がなく静謐とした電車内の空気と、駅に停車するたび控えめに鳴るベルとが、絶妙に調和していた。
あのひとへの届かない想いを胸に浮かべて涙ぐみながら、この時間を愛おしく感じていた。


守れなかったものは全て
冬の舗道で思出して
体に開いた穴数えて
息を止めた

なのに置いてかれそうさ
君が居るのは知ってた
頭の上に撒散らした
望みの彼方を見てた

伝えられるはずだった
君の姿を見てた

--GRAPEVINE「望みの彼方」


高校卒業と同時に上京してから10年近く経った今も、ふるさとに帰省するたび、この電車は当時と同じ空気でわたしを迎え入れてくれる。
ICカードが普及しても、切符を買って乗車するお年寄りのために、「御用のある方はいらっしゃいますか」と優しく声をかけながら車掌さんが車内を巡回する。いつものようにホームを見渡して、安全が確認できると、チンチンとベルを鳴らす。
その音色を耳にすると、あのころの思い出がぶわぁっと蘇ってきて、それだけで泣きたい気分になる。

iPhoneを操作して、またあの曲に耳を傾ける。目を閉じて、イヤホンを包み込むように手で抑え、10年前にトリップする。
背中を丸めて身を縮めて、ここでしか浸れない郷愁を、胸を刺す痛みを、一瞬たりとも逃さないように。
この情景だけは、この先もずっと変わらずそこにあって、わたしの帰りを待っていてほしいと切に願いながら。



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