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卒園式

まあいろいろあった。

生まれて1年半でコロナより厄介な病気が発覚し、会社帰りにたまたま持ってた印鑑で同意書を書いて、即手術。

泣いて手術室に入っていったのも忘れられないし、2時間ぐらいと言われた手術時間は大幅に伸びた。妻が疲れもあって横になりたいっていうんで車の座席を倒して寝床を作って戻ろうとしたら、そこでワーッと泣き出して。

俺は俺でなんか現実感が無くてフワフワしてて。とりあえず食堂でカツ丼を食ったのを覚えている。

で、手術室から出てきて、腫瘍を取るために開いた背中を見せられ、ガッチガチに縫われた背中ってこうなんや…と。
痛いのがわかり切っているから麻薬(というのが近いらしい)を使って痛さを緩和させてたり…

その過程で歩けなくなく、骨を取るから背が伸びなくなる、なんてことをさんざん脅され、いろんなことを覚悟した。

でも、退院の前の日に自力で歩いて食べたものを運んで周りの看護師たちをビックリさせたんだ。

ついでに首に通していたカテーテルも自力で抜いて入院が1日延びた。

その入院の間にあった話は…実はこちらで読めたりするのでぜひご覧ください。

(本の画像イメージの中にその話が載ってますが、ぜひご購入の上ご覧ください)

で、退院して、しばらくたたないうちにまた再発して…そのころにはもう幼稚園とかを探し始めてた頃だったなぁ。

その時の絶望感は文春野球に取り上げていただきました。

これは当時通ってた病院から妻の実家が近かったので、いろいろモヤモヤしている自分の感情をとにかくぶつけてやろうと思って、みんなが寝静まったころにひとり起きてダーッと書いたのを覚えてます。。。

幼稚園も白紙になったので、年中組から入れる幼稚園を探すようになり、説明会とかを受ける日々。が、ハードルが高い。
年中からだと入りにくいので夜中に願書受け取りのために並んだり、なんてところもあったりする。正直その幼稚園に行くのも手だったので、マリーンズファンのスキルを使って徹夜で並ぶことさえ検討した。こんな時マリーンズファンでよかったと思う。

が、境遇を聞いてくれた園側から「中途入園という手がありますよ」というお達しが。

渡りに船。渡哲也にマグロ。大泉洋に雪面のトビウオ。晴れて年少組の11月から入園できた。

まあそこからもいろいろありました。

治療続けながらなので、休み休みの園生活。翌年の2月には菌血症にかかってしまい、再び2週間入院。ただし生活発表会には出たいという本人の要望もあり、病院を抜け出して生活発表会に参加。終了後すぐ病院に戻るという、往年の大物演歌歌手のようなことまで体験。

年中組になるとサッカーを始めた。歩けなくなるって言ってきた医者の予想を覆して、ヤン・コラーのような巨体を揺さぶりながら足元でゴールを決める男になっていた。

とは言え年中。負けるたびに泣いたり、そんなことを繰り返していたな。
サッカー大会ではキーパー。無失点に抑える活躍。

そしてコロナ禍の今年。
フラストレーションがたまりにたまったと思う。家の中で何をするわけでもなくYouTube見たりする日々。ようやく幼稚園に行けるようになっても行事の半分はつぶれた。何なら親が見に行く行事もなくなった。

それでも幼稚園に行くとなると元気に行ってはしゃいで帰ってくる。

泣いたり笑ったり、いろいろあった。そして20日に卒園式を迎えた。

立てなくなる、歩けなくなる、体も大きくはならないと言われた子が、クラスで一番背が高くなり、堂々と卒業証書をもらう。泣かずにはいられない。

この日も卒園式は「保護者2名まで。会場に入れるのは1名のみ(もう1名は待機室でモニターで見る)」という制限付き。会場に入ってたら泣いてたどころの話じゃすまなかっただろうな。たまらなかった。

だんだん赤ん坊から子供っぽくなってくる。次は小学校。だんだん大人びてくるんだろうな。

大体2年半の幼稚園生活。受け入れてくれた幼稚園には感謝することしかできないし、周りの理解や、子供の友達にも恵まれて、何とか問題なく進むことができました。

次の6年は長くなるのかなぁ。よくわからない。先日体操着を買いに行ったけど、4月になったら1年生か。すごいもんだよ。

目の前で奇跡をいっぱい見せてくれた息子には敬意を。
そしてこれからももっといろんなものを見せてほしい。…と思うのは親のエゴなんだろうか。

多分そんな感慨を6年後にまた思うのだろうな。

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