地方中小企業で人事評価制度構築を丸投げされて考えること
こちらのnoteでは、私が約4年前に中途入社した地方中小企業での経験をベースに、地方、それから中小企業が抱える問題点を記述してきました。
一部上場企業には当たり前にあるような、組織として機能するための基本となる仕組みも、最低限しか無い状態でした。
必要な会議体が無いとか、情報セキュリティ基準が無いとか、そういった「あるべき」くらいのものならまだしも、勤怠管理ができておらず法律を守れていないといった「なければいけない」ものまで大小あり、枚挙にいとまがない状態です。
私はそれをひとつずつ解消してきてきましたが、それらの課題解決に当たり、常に私の前に壁として立ちはだかったのが「人事評価」です。
今回はそれがテーマです。
お金が先立たないと動かない人、そうでない人
何か新たな業務を現場の社員に依頼したいとき、組織として必要だから、という理由だけでは動いてくれない人もいます。
「で?いくらか手当増えるの?」
くらいの反応を示す人もいます。
こういう態度を示すのは、たいていは事務員や単純労働者など低処遇の人たちです。仕事がパートタイマー感覚になってしまうと、約束以上の業務を負担して給料が変わらないのは「理不尽」です。そんな自己犠牲を払う必然性がありません。
もちろん、その作業が必要なことは理屈として説明して腹落ちしてもらってから依頼することを心がけています。なので、担当者によっては、
「言っていることはわかった。それが必要なら、言われた通りするよ」
と言ってくれる場合もあります。
しかし、もしその業務が、特定の担当者にだけ負担増加をもたらすものであり、それが会社にとって重要なミッションだとすれば、彼の業績として、つまり給与として反映されるべき、と私は考えました。
私に課せられた数々の業務改革ミッションは、多くの方の善意で支えられています。それではいけないのです。会社にとって必要な投資も同然です。
そこで私は、覚悟を決めて、会社の「人事評価」改定を社長に訴えるに至ります。
創業○十年の地方有力企業も、まともな人事評価制度がない
私の会社における給与査定は、会長、社長、そして取締役2名、の実質4名により、ほぼ密室で決定されます。
もちろん、各取締役は現場のキーパーソンに意見を聞いたりしながら査定を組み立てるわけです。とはいえ、特に営業担当などは完全に個人商店化してるので、普段どんな仕事をしているかを掴みきれていません。
営業であれば、数字として上がってくる売上・利益が一つの指標となります。実際はその他にも、皆が仕事を手伝い合ってなんとか事業が成り立っている状態で、数字に現れないような会社貢献度が多様にあります。
もっと言ってしまえば、業種・業態の商習慣があまりに特殊であるために、独自社内システムのアルゴリズムから導き出される担当者別利益の数字も正確ではないのです。
そんな中、強引に評価をつけるわけなので、限られた評価者の偏見や恣意的な尺度がふんだんに盛り込まれた評価結果となります。
長年働いている社員は、もはや諦めの境地。
しかし、近年入社した平成生まれ世代は、評価への納得性・公正性に敏感で、それらが仕事のやる気の大きな源泉となります。そんな彼らには現状が納得いかず、不満を口にすることが多くなってきました。
評価結果に対するフィードバックもないので、意見を吸い上げることもありません。
この状態は優秀な若手のモチベーション低下をもたらすのは言うまでもなく、実際に一人は会社の将来に不安を感じて適応障害になってしまいました。
古臭いですが「飲みニケーション」で若手から意見を収集した私は、ついに人事評価にメスをいれるべく社長に提言します。そして得た回答は、実に三代目らしいビックリなものです。
わかった!確かにそうだ。
みんなの働きがちゃんと反映できるような仕組み、考えといて!
つまり丸投げです。
今まで査定をしてきた取締役二人にはハナから頼まないという判断も驚きながら、まさか今まで査定に加わってさえいない即席課長が、創業100年超、現業態でも○十年を超える会社の人事評価制度をイチから検討することになるとは。
巨人の肩の上に立つことから始めよう
私がこれまで働いた会社を振り返ってみれば、人事評価制度としては「目標管理」という手法が取られていました。つまりこうです。
【期首】
評価者(直属上司。多くは課長)と被評価者(自分)が成果目標・行動目標・成長目標などを役職レベルに合わせてすり合わせ・設定する
【期中】
最低1度は上司と中間面談し、進捗状況確認や目標再設定等を行う
【期末】
目標項目ごとの自己評価を達成度として数値化し、上司に提出
↓
上司が自らの評価を加減し、更に第2評価者(多くは部長)に提出
↓
第2評価者の評価を経て最終決定され、その概要を「フィードバック面談」と称して告知される
被評価者としてこれをやらされているときは、若かったからたいして評価なんて周りと変わらないし、ただただ面倒なだけに思っていました。
しかし今振り返るとなかなか理にかなっているし、いかにも、先人たちの苦労や研究の数々を積み重ねてたどり着いた手法論の感じがしてきます。
そこで、とりあえず概論的な本を探しました。
そうしたら、下の本が、中身的にも長さ的にも自分にはぴったりでした。
著者は研究者です。
大学時代に実際の企業に席をおいてヒアリングした経験もお持ちなので、机上の空論というわけでもなく、かといって社労士や企業コンサルなどのように、特定企業ベースの実践に偏った人事評価制度の成功論を紹介するわけでもない。
人事評価の成り立ち・理論、そしてその歴史や時代背景などを概観するにはとても参考になる力作でした。
大企業での「人事評価」の苦い経験
著書では、結局の所、下記のような根本的な課題により、人事評価で厳格な「公正」を実現するのは限界があるということが導かれます。
・人件費に配分できる企業利益に制限がある
・相対評価にせざるを得ない
・個人の仕事の全容を上司は把握しきれない。2次評価者はなおさら
・複数評価者の間でも意見が割れ、折衷案を結論とせざるを得ないため、結果の根拠を評価者が説明できないことがある
・人が人を評価する限り、心理バイアスや人間の特性から生じる偏りから逃れることができない
(言葉は文中と違うかもしれませんが、私なりに噛み砕きました)
これらの限界については、私自身も以下の経験をもって腹落ちするところです。
まず、私は新卒で入社した企業でソフト開発者として働きました。
私は大学でプログラミングはもちろんのこと、実践的な学びは何もしてこず、新人の中では正直言って落ちこぼれのほうだったと思います。しかし評価は、2〜3年の間、ずっと中間でした。
そして、肩書がそろそろつきそうになったころ、評価は唐突に上位に上がってきました。別にその年に限って大きな貢献をした感覚はありません。
逆に、肩書がついた初年度は、これまでで一番充実した成果を挙げられた自信がありました。しかし評価は中間でした。
上司に問うたところ、次の答えが帰ってきました。
「肩書がついた一年目だから、こんなもんよ」
別の組織に異動した後も、しばらく中間の評価が続きます。
しかし上司は毎回褒めてきます。がんばってくれてる、とか、これまでどおりやってくれ、とか。
普通、何かが足りないから上位評価にならないのでは?と毎回疑問ながら、異動したてだったので波風立てず気にしないようにしていました。
そして会社を辞めるときに、部長から言われました。
「あなたは管理職候補だったから、今年から評価上がる予定だったのに残念だ。」
「ここ数年は、○○さんを課長に昇進させるために、周りの評価を抑えざるを得なかった。」
これが本当なら、評価者としては隠し事のはずなので、辞めることになって腹を割って言ってくれたのでしょうけど、「なんじゃそりゃ」という理不尽感しか抱きませんでしたね。
中小企業に大企業の方法論が通じるのか?
このような大企業での経験をもとに、今の中小企業で、大企業と同じような「目標管理」による人事評価制度が成り立つのかと言えば、NOと言わざるを得ません。
次の理由から、中小企業のほうが、構造的な限界にあたりやすいためです。
・部署の人数が少ない上に皆違う仕事をしているから、客観的な相対評価ができない
・直属上司ですら業務を理解していないことが多い。まして2次評価者となると適切な人間さえいない
・評価者を複数人立てられないため、誰からの評価なのかが丸わかりで、それが低い場合は上司と部下で軋轢や不信感を生む
・大企業のように部門ローテーションや適性による配置転換がしにくいので、業績が悪くても、経営者目線の配慮に縛られて辛い評価がしにくい(著書のことばでは「マイルド化」)
・社員が少ないゆえに評価者も長年固定され、評価者の資質による「当たり外れ」が多い
つまり、私が経験してきた企業での方法論をそのまま今の会社に適用できませんから、別のアプローチが必要となります。
「曖昧さの中での納得」に舵を切る
取りあげた著書では、人事評価における構造的な限界に対して、理想は捨てないにせよ、現実的な解として次の方向性を見出します。
「人事評価の仕組み以外の部分も含めて、トータルで納得しもてもらうように持っていく」
具体的には、
「評価には100%納得してないけど、上司にがんばりは理解してもらってるし、会社の仕組みの中でそうなったのなら、受け入れよう」
「自己成長できてやりたい仕事ができているから、評価はこんなもんで納得しよう」
といった、被評価者の善意です。
いや、学者が、システマチックな解決方法を提案せずに、古臭い「上司部下の信頼関係」とか「会社が理解してくれている安心感」なんてものを拠り所として提案するなんて、どうかしてるぜ。
昔の自分ならばそうも言いたくなりそうなもので、超成果主義の大企業ならば、これを現場の評価者に触れて回るのはちょっと二の足を踏むかもしれません。
(いや、著書でも、大手を振ってこれを推進せよとは言っていません。結果として期待できる、ということです。)
しかし、存続も難しい中小企業にとっては、恥もへったくれもないどころか、これが唯一の解かもしれません。
つまり、人事部は、全社員に対して、皆の役に立つ仕組みを取り入れて納得してもらえるように熱意を持って努力している、という「姿を見せる」こと。
そして上司も、できるだけ部下の気持ちを汲み取って、上と評価を折衝し、なんとか今の水準を勝ち取っている、やりたい仕事ができるように補助している、という「アピール」をすること。
もちろん、「ふり」だけではなくて、実際に行動が伴うことが大前提です。
こういったことは、地方の中小企業ほど効果的に作用します。理由は以下です。
・小さい企業の方が、各組織・各人が何をしているかが筒抜けな分、頑張っている雰囲気も伝播しやすい
・都市部でなくあえて地方で働く若者は、金銭面よりもやりがいや承認欲求の充足などの精神面の充実を重視するため、給与以外の要素に目を向けさせやすい
・地方で長く働く者は、自分の世代が皆全国に散っているため、「地元で働いている」こと自体に幸福を感じている事が多い
したがい、とりわけ地方の中小企業にとっては、こういった「曖昧な納得」が得られる方向を意図的に意識して取り組まなければならない、ということになります。
※もちろん、それを表立って言ってはいけません
地方中小企業こそしなければいけないこと
今回紹介した著書は、テーマである人事評価の議論を進めた上で、最後の方ではリベラリズム(自由主義)の思想を取りあげ、最近のLGBTQやダイバーシティの価値観に繋がる議論を展開します。
挙げ句に最後は、「人事評価の前にやることあるでしょ?」的に締めるから、その開き直りがある種爽快です。
私も、冒頭述べたような様々な会社の課題の解決手段に「公平な人事制度」を求めたわけですが、こうして巨人の肩に乗って見渡してみると、それを無味乾燥にやったとて突き当たる壁がある、ということが明白になりました。
働く方の立場から言えば、こうした曖昧さに頼った人事評価でも働く意義を見い出せるかどうかが、自分にとってその会社にいるべきかどうかの判断材料になるのではないでしょうか。
それを企業目線で更に逆手に取れば、何かと不利の多い地方の中小企業においては、労働者に働く意義を獲得してもらえるような組織づくりを目指せば、大企業と遜色なく従業員に満足してもらえる可能性があります。
近年は、都市圏の一極集中回避や、地域振興、つまりは日本の将来のために、国や地方自治体は補助金を支出して地方企業へのUターン、Iターン就職を斡旋しています。
そのとき語られるのは、「環境の良いところ」だとか「人の暖かさ」だったり「子育てのしやすさ」だったりするけれど、「地方企業は東京の会社にはない、仕事の充実感をもたらす仕組みを備えています」なんて話は聞いたこと無いわけです。
その地方独自で、中小企業向けの人事評価制度、それから人事部・管理職の「心構え研修」などをある種”パッケージ化”し、それを適用・履修している企業には「非ブラック企業証明書」を与えて「就職クーリングオフ」でも設ける。
そういうほうが、安心してこの地方で働けると思わせることができるのでは?
と思う次第です。
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