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【読書録】『新版 思考の整理学』外山滋比古

今日ご紹介する本は、外山滋比古氏の『新版 思考の整理学』(ちくま文庫、2024年2月)。

著者の外山氏は、英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大教授などを歴任された。ご専門の英文学のみならず、日本語、教育、意味論などに関する評論やエッセイを多数執筆されているとのこと。

写真にあるとおり、帯のキャッチコピーは、「東大&京大で1番読まれた本」(2014年1月~2023年12月 直近10年文庫ランキング 東大生協・京大生協調べ)。刊行から40年で、287万部のベストセラーになっている。

もともとは、1983年に「ちくまセミナー」の一冊として刊行され、その後、1986年に文庫化された。本書は、それを再編集のうえ、「東大特別講義 新しい頭の使い方」を加えて「新版」として刊行されたものだ。

私が大学生のとき(1990年代)、周りに、この本を読んでいる学生は多かった。私も、学友に刺激され、本書の旧版を読んだ。しかし、悲しいかな、その内容はほとんど忘れてしまっていた。

今般、新版が発売されたということで、購入して再読した。読んでみると、アラフィフ世代になった私にも、思考の整理について参考になる記述が満載であった。むしろ、デジタルやAIが急速に発展しつつある現代でこそ、重要になる視点や考え方が学べると感じた。良書は、時代を超えて受け継がれていくのだ。

以下、引用に残ったくだりを引用または要約してみる。

人間にはグライダー能力と飛行機能力がある。受動的に知識を得るのが前社、自分でものごとを発明、発見するのが後者(p11)

指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるが、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠。他方、現代は情報社会で、グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにもいかない。グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらよいのか学校も社会も考える必要がある(p13)

寝て疲れをとったあと、腹になにも入っていない、朝のうち(朝飯前)がものを考えるのに最高の時間(p28)

思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須(p40)

寝させていたテーマは、目をさますと、たいへんな活動をする。なにごともむやみと急いではいけない。人間には意志の力だけではどうにもならないことがある。時間が自然のうちに、意識を超えたところで、おちつくところへとおちつかせてくれる(p41)

「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。ひとつだけだと、うまくいかなければ、あとがない。こわりができる。妙に力む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代わりがあるさ、と思っていると、気が楽。テーマ同士を競争させ、いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいかと考えると、テーマの方から近づいてくる(p42-43)

"知のエディターシップ":頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となる(p52)

触媒説:新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生れる(p58)

発想が扱うものは、周知、陳腐なものであってさしつかえない。そういうありふれた素材と素材とが思いもかけない結合、化合をおこして、新しい思考を生み出す。発想の面白さは化合物の面白さであって、元素を作り出すことではない(p60)

寝させておく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない(p60)

未知の問題を解決するに当たって、アナロジーの方法はきわめて有効(p65)

中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活溌に働くのではないかと考えさせるのが、セレンディピティ現象。視野の中央部にあることは、もっともよく見えるはずである。ところが皮肉にも、見えているはずなのに、見えていないことが少なくない(p71)

視野の中心にありながら、見えないことがあるのに、それほどよく見えるとは限らない周辺部のものの方がかえって目をひく。中心部にあるテーマの解決が得られないのに、周辺部に横たわっている、予期しなかった問題が向こうから飛び込んでくる。中心部においてはまずいことを、しばらくほとぼりをさまさせるために、寝させることによって周辺部へ移す。それにより、目的の課題を、セレンディピティをおこしやすいコンテクストで包む(p72)

思考の整理というのは、低次の思考を、抽象のハシゴを上って、メタ化していくことにほかならない(p79)

いくらたくさん知識や思考、着想をもっていても、それだけでは第二次的思考へ昇華するということはない。量は質の代わりをすることは困難である。一次から二次、二次から三次へと思考を整理して行くには、時間がかかる。寝させて、化学的変化のおこるのを待つ。そして、化合したものが、それ以前の思考に対してメタ思考となる(p80)

スクラップをつくるには、まずその場で切り取ってしまうのがもっとも安全。(p83)

スクラップをつくったら、すぐ保存の処置をとる(p84)

スクラップもあまりたくさんたまると全体の利用価値が下がる。慎重に、どきどきは廃棄にまわすものをつくらなくてはならない(p87)

知識をあつめるときに、系統的蒐集ということが大切。なんでも片端からとり入れたりしていると、雑然たる断片的知識の山ができてしまい、調べる前よりもかえって頭が混乱する場合すらある(p88)

カード法では、出典と見出しをつける(p90-91)。ノートも見出しをつけ、索引にして、どれとどれが相互に関係するかを一覧できるようにする(p93)

つんどく法:本を積んで読破する。集中読書、集中記憶による一時的な博覧強記は知識の整理にとってたいへん有効。しかし読み終えたらなるべく早くまとめの文章を書くこと。ほとぼりをさましてしまうと、急速に忘却が進む。論文や原稿ができれば、安心して忘れてやる。しかし、いくら忘れようとしても、その人の深部の興味、関心とつながっていることはいつまでも残る。忘れてよいと思いながら、忘れられなかった知見によって、ひとりひとりの知的個性は形成される(p98)

何か考えが浮かんだら、寝させておく。忘れて、しかも、忘れないようにする。そのためには、記録すること(p100)

何かを思いついたら、その場ですぐ書き留めておく。そのときさほどではないと思われることでも、あとあと、どんなにすばらしくなるか知れない。書いておかなかったばかりにせっかくの妙案が永久に闇に葬られてしまうということになっては残念だ(p101)

コンテクストが変われば、意味は多少なりとも変化する。手帖の中にあったアイデアをノートへ移してやると、それだけで新しい意味をおびるようになる。寝させている間に、まだ生きているもの、動き出そうとしているものは、新しいところへ転地させてやると、いっそう活溌になる可能性がある(p109)

人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役をはたし続けなくてはならないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。倉庫なら、入れたものを紛失しないようにしておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能力だけではしかたがない(p116)

頭をよく働かせるには、この”忘れる”ことが、きわめて大切。頭を高能率の工場にするためにも、どうしてもたえず忘れていく必要がある。忘れるのは価値観にもとづいて忘れる。価値観がしっかりしていないと、大切なものを忘れ、つまらないものを覚えていることになる(p119)

こまかく筆記すると、おもしろいことまで忘れてしまう。つまらないことはいくらメモしてもいい。そうすれば安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない、忘れたら、とり返しがつかないと思っているようにする(p125)

忘却は古典化の一里塚。思考の整理には、忘却がもっとも有効(p131)

すてるには、その人の個性による再吟味が必要。没個性的に知識を吸収するのに比べてはるかに厄介(p137)

たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものをすてて行く(p137)

書く作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせること(p141)

思考はなるべく多くのチャンネルをくぐらせた方が、整理が進む。書く、書き直す、ひとに話す、書いたものを声に出して読む(p144)

思考の整理は名詞を主とした題名ができたところで完成する(p147)

思考の整理の究極は、表題(p150)

ピグマリオン効果。人と話すなら、ほめてくれる人と会う(p156)

声は、目だけで見つけることのできない文章の穴を発見する(p158)

いい考えが得られたら、めったなことでは口にしてはいけない。ひとりであたためて、寝させておいて、純化をまつのが賢明(p160)

話してしまうと、さらに考え続けようという意欲を失う。しゃべるというのがすでに表現活動で、それで満足してしまう。あえて黙って、表現に向かっての内圧を高めなければならない(p161)

新しい思考を生み出すにも、インブリーディング(inbreeding)は好ましくない(p171)

日本人の交友の多くは主情的。酒食の座をもたせることはできるが、知的饗宴を長く続けることは得意でない(p174)

三上(欧陽脩のことば。馬上、枕上、厠上)。ものを考えるには、ほかにすることもなく、ぼんやり、あるいは、是が非でもと力んでいてはよくない(p176-178)

三多(同じく欧陽脩)とは、看多(多くの本を読む)、做多さた(多く文を作る)、商量多(多く工夫し推敲する)。文章上達の三カ条。考えをまとめるプロセスとも考えられる(p180)

三中:無我夢中、散歩中、入浴中(p182)

自分だけの”ことわざ”のようなものをこしらえて、それによって、自己の経験と知見、思考を統率させる。そうしてうまれる”ことわざ”が相互に関連性をもつとき、その人の思考は体系をつくる方向に進む(p194)

仕事をしながら、普通の行動をしながら考えたことを、整理して、新しい世界をつくる。これが飛行機型人間(p201)

拡散的思考と収斂的思考を区別してかかるのは重要(p212)

コンピューターは、記憶と再生に関しては人間をはるかに凌駕している。しかし、「ゼロから考える」「先を正確に読む」「人の気持ちを察する」など、想像力を巡らせてなにかを発想することは、現時点では人間ほど正確にはできないことが多い。そして、何より重要なのは、記憶した情報を"忘れる"ことができないこと(p235)

人間の”忘れる”能力はとても高級にできている。自分にとって無意識の価値観に合わせて有用なものは忘れず、無用なものを忘れる。すなわち”選択的に忘却する”という力を持っている(p235)

人間の頭は、決していい加減に忘れているのではない。自分にとって「意味のあるもの」と「意味のないもの」を区別し、意味のないものを忘れていく。ここに個性があらわれる。コンピューターにはできない機能である(p236)

知識はそれを持っているだけで、ものを考える手間や面倒さを省いてくれるから、知識が増えれば増えるほど、ものを考えないという悪循環が生じ、”知識の量”と"思考の力"が反比例していく。ものごとをたくさん知ることで、自由な考えというものが生まれにくくなり、クリエイティブでなくなる(p237)

”知識メタボリック”:使われない知識が多くなると、思考力を抑えたり、活気を失わせたり、さまざまな弊害を起こす(p238-239)

より速く情報を入れて、不要なものはどんどん忘れる。その上で必要なものを残す。そうすることで新しい発想が生まれる。知的メタボリックにならないためには何より”忘れる”こと。不要なものが一掃され頭の中が整理されると、新しい有用な情報が入りやすい。逆に、もともとあった情報までも引き出され、これが新しい発見に繋がる。忘れることは”困った”ことではなく、活溌な思考活動を促すために不可欠な作業(p239)

日本では一つのことを続けることを「継続は力なり」などと称賛するが、同じことを長く続けることは、頭にとってはよろしくない。日常生活でも朝から晩まで同じ本を読むのはもっともまずい。本を読んだあとは違うことをするのがよい。外でジョギングとか、なるべく違ったことをすることで、頭に入れたものを忘れやすくしてやる(p242-243)

ものを考えることは生まれたときから続けてきたことであり、本来は知識がなくても可能なこと。そもそも人間は知識ゼロで生まれてくるのだから、あらゆることを自分の感覚と思考によって、理解、解決しなければならない(p244)

今はあまりにも微力、微弱な思考力をもっと高めて、知識とぶつけ、衝突させ、さらには融合させていく、思考と知識のハイブリッド化が必要(p246)

思考と知識、創造と記憶を融合させ、新しいエネルギーを生み出せれば、コンピューターにやられることはない。自身の生活において、知性と理性の融合というものが成功すれば、すばらしい大きな成果が得られるはず(p247)

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以上、長い引用/要約になってしまったが、本書を通じて、以下のようなキーワードが特徴的だった。

グライダー人間と飛行機人間。
忘れる、寝かせる、ほとぼりをさめさせる。
すてる、脱・知識メタボリック。
無から有を生むのではなく、周知の素材を化合させる、セレンディピティ。
アナロジー、ことわざのようなもの、抽象化、昇華させる、メタ思考。
個性や意味のあるもので取捨選択をする。
拡散と収斂、知識と思考、両方のハイブリッド、融合、

これらに鑑みると、著者の言いたかったメッセージとは、次のようなものなのだろうと理解した。

知識偏重の時代、コンピューター発達の時代においては、情報収集のみならず、アイデアを創造する思考が重要。たくさんの知識や情報に触れたら、すぐに収集・整理したうえで、一旦忘れ、寝かせ、セレンディピティの効果を待つ。寝かせているうちに不要になったものは捨て、各人の個性でふるいにかけて重要なものを取捨選択する。ひとつのテーマにこだわらず、複数のテーマを検討し、既知の素材から化合物を作るように、化学反応を起こす。アナロジーやことわざ表現などを利用して、メタ思考で抽象化し、高い次元に昇華させる。

こういったメッセージは、全く目新しいものというわけではない。最近でも、様々な発信者による様々な発信のなかで、似たようなメッセージにお目にかかることもある。しかし、本書は、40年も前に書かれたものだ。しかも、著者が文学者でいらっしゃるだけあって、わかりやすい日本語で書かれており、すいすいと頭に入り、腹落ちしやすい。何ともすごい本だ。

なお、ちょっと時代遅れだなと感じたくだりもあった。著者流の情報収集と整理の具体的な手段を紹介した箇所だ。新聞記事や雑誌をハサミで切たりコピーしたりして、スクラップを作ったり、袋に入れて分類したりする。カードや手帖に書く、そこからノートに転記する、など、たいそうアナログな手段が紹介されていた。40年前は確かにそうで、私が大学生の時代も、論点カードなど、情報収集のためのさまざまな文房具があった。現代においては、デジタルツールが発展して、情報の整理は格段に便利になった。とはいえ、見出し付けや関連付け、雑然とした情報を整理してまとめることなど、その根底にある方法論は同じだ。

また、アラフィフになって本書を再読し、嬉しかったのは、「忘れること」が良いことだ、というくだりだ。「忘れる」ことの効用は、何度も繰り返し、本書で言及されている。最近とみにものを忘れることが多くなった私は、本書を読んで「大事ではないことは忘れていいんだ」と思えるようになり、救われた気持ちになった。もちろん、加齢による物忘れは、著者の言う、思考の整理のためにあえて忘れる、ということとは、全くの別モノかもしれないが・・・。

ご参考になれば幸いです!

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