記憶の儚さ
家族や友人に限らず、様々な方と昔話をする際
記憶とはいかに儚いものかを実感します
人に言われるとぼんやりと思い出すことはあれど、
どうにも輪郭がぼやけたままのことが多いです
自分は人一倍記憶力が良くないと自覚しているため、
いつしか記録として残すことを意識するようになりました
それでも他人よりも覚えていることは少ないと思っています
記録方法としては
を自分は意識しますが、
周囲の方々はコレらを避ける傾向にあることを知りました
昨今の写真・動画の高品質化により、不用意に写真を保存し続けると
ストレージを圧迫してしまうため、必要度の低いものからどんどん削除してしまうようです
対してわたしは、携帯本体ストレージ+cloudへのバックアップ
カメラでの写真に関しては外付けSSDへのバックアップも行います
あまつさえ、現像して部屋に飾ったりもします
昨今のsnsの発達により、出先の食べ物等の写真を撮る方は多いですが
sns上に記録として残して満足している、というのが現状なのでしょうか
学生時代から授業中や、実習など教えられたことを脳内に記憶として留めておくことが
非常に苦手であったため、とにかくメモを取るようにしていました
(メモを取っても忘れていることが大半でしたが…)
また、ふと思ったことや感じたことをスマートフォンのメモアプリへ記録しています
今年の初めからは毎日日記を書くようになりました
1日の欄が小さいため、要約して書く練習にもなっています
(成果は今のところなんとも言えないですが…)
…単純にモノを捨てることが苦手だというのもありますが
所謂ミニマリストという思考の方が増えておりますが、わたしはデータの保存も物体の保存もミニマリストとは相反し続ける気がしています
わたしは未来よりも過去を美しく想い、見返したり調べたりしてしまいます
この作業をしていくことで自分の過去の輪郭を朧げながら保とうとしています
自分の未来に強い希望が持てない分、過去には輝かしくあって欲しいと願うのです
未来を少しでもより良いモノにできるよう、過去を着実に省みるために
過去の自分が過ごした時間は、有意義で綺麗なモノであったと肯定できるように
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