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本当の1人っ子ではないこと

いつも心の片隅に
知らず知らずのうちにあって
留まっている想いを
いつか書いてみようと思っていた。

何気ない会話かもしれないけれど
どう伝えたら良いか今でも葛藤する事がある。
それは「兄弟いる?」と聞かれたとき。


私の人生の大半は1人っ子だ。
なんでそんな微妙な言い方になるのかというと
幼い頃は3才違いの妹がいた。
私と違って要領が良くて
割と言いたい事をはっきり言える子だった。

でも、9月のまだ残暑が残るある日
彼女は3才になる前に旅立ってしまった。
白血病だった。

彼女が入院していた時に
両親と病院に会いに行った事がある。

でも、折角お見舞いに行ったんだけれど
その時は私だけ病室に入れなかった。
仕方なく看護師さんが渡してくれた
絵本を読みながら
窓の外をぼーっと眺めて
1人ぽつねんと待ってた。

その日は激しい夕立があって
でもその後窓からは
雨上がり
くっきりときれいにかかった虹が見えた。

虹はきっと明日も良い日になるような 
輝かしくて明るい良いイメージもあるけど
同時にあの日の記憶も蘇ってくる。


当時私は5歳で
初めての葬儀は妹で
目の前で起きている事がよく分からなかったな。
それくらいショックが大き過ぎた。

随分長い間眠っているんだなあと思ったし
また笑って話せるよねと心のどこかで
信じていたような気がする。

彼女は旅立ってしまったんだと
本当に分かったのは暫く経ってからだったかな。


「兄弟っている?」

兄弟の事を聞かれた時、
今は包み隠さずサラッと話すようにしている。
ただその時折角みんなで楽しい雰囲気で
盛り上がっていると、とても申し訳ないなあと思ってしまう。

人によっては
「えっ!」ととてもびっくりしたり
「ごめんね」と言われたり。

そんな時はなんだかこちらこそ
申し訳なくなってしまう。
別に何にも悪い事なんてしてないよ。

だからこそ、みんなを困らせないように
さりげなくサッと何事もなかったみたいに
別の話題にしたり、他の方に聞いてみたりする。


その時そのメンバーで過ごせる時間は
無限ではないから、
折角一緒に過ごせるなら
少しでも楽しく良い時間にしたい。


もしも

妹が生きていたら……??
と今でも考える事は時々あるけど、
いくら考えても現実は変わらない。

でもイメージするのは自由だから良いよね。


人によっては
何カッコつけて書いてるんだと
思うかもしれないけれど、
自分のnoteなので
誰かに迷惑をかけたり
傷つけたりしない限り
素直に自分の気持ちを綴ろうと思います。


生きている限り
命ある限り
ふとすれば当たり前に思えてしまう全ての事が
ありがたくて、温かい。


ご飯を食べられること
仕事ができること
素直に話せる家族がいてくれること



元気にしてるかな?と気になったり
学生の時と同じ感じで
久しぶりに会っても
まるで昨日の続きみたいに
話せる友達がいてくれること。

大好きな楽器を弾けて
なかなかリアルで会えていないけれど
オンラインセッションをしたり
バンドをしたり
できる仲間がいること。

もちろん
とんでもなく理不尽な事を言われて

全力で戦ったり
友達と思っていた子に嫌な事をされたり

そんな事もあるけど
それはきっと自分にとって必要で
意味がある事だったんだと
勝手に思う事にしています。


私は1人っ子になった時間が殆どだけど、
彼女は今も側にいて
ずっと見守ってくれていると信じています。

街中で
とてもかわいい兄弟を見かけることがある。
そんな姿を見かける度に
「かわいいな」
「羨ましいな」
「ずっといつまでも仲良しでいてね」
と心の中でそっと願う。

これからもどうか見守っていてね。

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さざなみ
たくさんの記事がある中、 時間を割いて最後まで読んで下さり、 本当にありがとうございます☘️ きっと素敵な方ですね^^ 記事との出会いも一期一会。 ご縁の1つだなあと思います。 自然に続いていくご縁を大切にしたいです。