池上彰という現象——理解のショートカットとその明らかなる恐怖

「週間子どもニュース」
「ニュースそうだったのか‼」

池上彰といえば、わかりやすさの代名詞を冠するジャーナリストである。
複雑で難解なニュースもサラッとわからせてしまう、言葉の力は流石としか言いようがない。
実際に、ぼくも池上彰さんの『世界の見え方』シリーズは大好きで、シリーズ全冊を読破したような気がする。

明快な論理の風が吹いたら、なにひとつの疑問も残らないのだ。
これほどの理解力は、日本人をダメにする。
ぼくはそう直感した。

今回のテーマは、池上彰という現象について考えた。
理解のショートカットをし続けることで、わたしたちが失ったものについて考えていきたい。



世界には今、わかりやすさが求められている。
ひろゆき氏にしても、ホリエモンにしても、
かれらのYouTube上の言葉は、ひどくわかりやすい。
小学生でもわかる滔々と語られる説明は、明快な論理に裏打ちされており、そのテーマへの関心の有無にかかわらず、「わからされて」しまう。

よく大学生と話す機会があるのだが、「あ〜その話ホリエモンが前に言ってたなぁ・・」と心の中で思うこと度々ある。
かれらの頭にもひろゆきやホリエモンの言葉がくっきりと刻まれていて、「持論」としてそれが語られるのである。
おもしろいのが、「自分の頭で考えたこと」として錯覚している点である。
営利な論理は、やがて海馬に忍び込み、「持論」として発芽する。


しかし、わかりやすさには、わかりにくい恐怖があるのではないだろうか。それは、思考を差し挟むことなく理解できてしまう、思考の手抜きのようなものだとぼくは考える。


ひどくわかりやすい人たちの言葉には疑問を差し挟む余地がない。
そのぶんだけど、そのことについて考える時間が短縮されてしまう。
GoogleやYouTubeで調べたらたいていの疑問は出てくる。その都度、調べて知的好奇心は満たされているかもしれないし、人に聞く機会が減ったので、非常に恵まれた環境であるかもしれない。

しかし、その分だけ、知らず知らずのうちに、すぐに理解できるものだけを吸収する癖がついてしまっているのではないだろうか。
これがぼくが考える、わかりやすさの中に潜むわかりにくい恐怖である。


釈然としない感じやモヤモヤする感じというのが消滅してしまって、手近に引き出せるような情報だけしか理解を諦めてしまうということである。


この間、ひさしぶりに会った友人の口からボードリヤールの『消費社会の神話と構造』の名前があがった。
帰宅後、家の本棚にこの本があるので、うれしくなって読み返してみると愕然とした。
まったく内容が頭に染み込んでこないのである。
大学の卒業論文でこの本を参考文献に指定していたので、スラスラ読めていたはずだったのに、今ふたたびこの本を読んでもグングン頭に入ってくる感じがまったくしないのだ。
それどころか億劫になって、読むのをやめてしまった。
大学生の時に、黄色マーカーを引いていたので、そのマーカーの箇所だけ拾い読みしていたのだが、本を読んでいるとという感覚よりは単語帳をめくっているような気持ちになってしまって、ついにはやめてしまった。

この時、ぼくの頭にはある疑念がよぎった。
「読解力が落ちている・・?」

現代文の先生をして、アレよりむずかしい題材を扱うことがあるのでそうではななさそうだ。
そうであれば、下がっているのは集中力である。

そう、ぼくはYouTubeのショート動画を見続けたり、仕事に関連するわかりやすい記事を読んでいる中で、わかりやすい言葉にしか触れなかったために、わかりにくい文章との呼吸が上手くとれなくなってしまっていたのだ。

思えば社会人になってから2年が経つが、明快な言葉で綴られた動画や本しか読んでいないのだ。
たまにこれじゃいかんと自らを奮い立たせて、むずかしい本に手を伸ばしてみるのだが、むずかしいところに当たるとポーンっと放り出してしまう癖がついてしまっているのである。

さらに、おそろしいのがまた難解な本に戻れるのかと問われると、まずその分野の入門書を探すような癖が付いてしまっているのである。効率のいい受験勉強のような考え方で疑問をハックしようとする自分の浅ましさが見え隠れするようで、すごくイヤな気持ちになってしまった。

今、ぼくの目の前の世界は、平易な言葉で綴られたシンプルで単純なものになってしまっていた。
3周目でやっと輪郭だけつかめた(気がする)ような読書がめっきりできなくなってしまっているのである。


さらっと表面をなぞるだけでスラスラ頭にはいってくる本ばかり読んでいて、思考の奥深くに鎮座した難解への挑戦心をすっかり砕かれてしまったのである。


そうして骨抜きになって空洞のぼくの頭には、明快な論理が入り込み、かんたんな言葉でしか世界を認識できない、あさましくて薄っぺらな人間になってしまうのではないだろうか。

この恐怖に怯えながらも、ぼくは今日もポカーンと口を開けながらYouTubeショート動画を見漁っている。



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