金曜日よりの使者——週末にInstagramが活発になる人たち
Instagramのストーリーを定点観測していると、ある法則性に気がつく。
大学を卒業した新社会人の多くは、金曜日になるとInstagramに戻ってくるという法則だ。
「乾杯!」という文字とともにビールのジョッキのストーリーを眺めていると、
この人は、今すごく楽しいんだろうなと思うと同時に、この人は週末以外は楽しくないのだろうか?と思ってしまう。
余計なお世話だよ!と思うかもしれない。
放っておけよ!と思うかもしれない。
ぼくでもそう思う。
しかし、こういうことが気になってしまう性分なのだから仕方がない。
今回のテーマは、『金曜日よりの使者——週末にInstagramが活発になる人たち』である。
ただし、この記事の想定読者はあくまで新卒の社会人1〜3年目の人である。
あなたの身の回りにそういう人がいるかもしれないし、あなた自身がそういう人なのかもしれない。
いずれにせよ、これからぼくがあなたに話すことはすごく重要なことである。
なぜなら、週末にInstagramで活発になる人の人生は・・・
週末にInstagramが活発になるとは、どういう状態なのだろうか。
月曜日〜金曜日が仕事をしていて、土日が休みという状態だ。
月〜金をがんばった自分にご褒美のプシュッをパシャである。
この時のあなたは、アルコールによる酩酊を嗜み、週末の開始の合図を告げるのだろう。
ビールの炭酸が抜ける音は、これから始まる甘美な2連休へのファンファーレなのかもしれない。
そして、土曜と日曜をどこかにInstagramに投稿できる場所に足を運び、写真を撮りためておき、日曜日の夜にそれらを一気に放出する。
律儀に行楽施設に足を運び、行列に参加して、休みを享受する。
働けと言われれば素直に働き、休めと言われれば素直に休む。
このように、ハレとケを行き来することは、人の勝手だし自由だ。
あなたなりのオンオフの切り替えがあることを否定したいわけではない。
ぼくは酒があまり好きではないが、人がそれをしていることを否定したり揶揄したいわけではない。
甘美な時間の始まりだから、写真をシェアするわけだと思う。
しかし、それならばなぜ、月〜金には、写真を投稿しないのだろうか?
あなたの月〜金には、甘美な時間がないのだろうか?
どこか休日を心待ちにしているということは、あなたの人生が仕事で埋め尽くされていて、週末に「仕事から離れる時間」があなたの人生になっているからなのではないだろうか。
その象徴が、Instagramのストーリーの投稿という形で出現しているのではないだろうか。
ぼくが言いたいのは、それって本当に自立できてるの?ということである。
自立とは、一般的に、会社に勤めたりひとり暮らしが始まればされるものだが、それは物理的な自立である。
ぼくが言いたいのは、精神的な自立についてだ。
精神的な自立とは、自分の人生がこれでいいと腹をくくる覚悟のようなものだ。
もし精神的な自立ができていれば、休日を至福の時間と思わなくなるはずだ。
毎日がひとつにつながっているという確信が持てれば、人は精神的に自立するし、自分の人生を明らかに生きている実感が湧いてくる。
それは人生のすべてが甘美な時間に変わる感覚である。
これは、誰かの人生を生きている限りは決して体感することのない感覚だ。明日を楽しみに眠りについて、興奮とともに目が覚めるような日々のことだ。
ほんとうは、会社と家の往復の変わらない景色に辟易しているのに、ゾッとするほど同じことを繰り返すこれからの日々を浮かべて滅入ってしまっているのに、月〜金までが会社のための人生であること嫌気をさしているのに、それを紛らわすためのアルコールを飲んで「楽しい雰囲気」を白けながら創出しているだけ、なのではないだろうか。
もちろん、会社に勤めれば、数年後の自分の成長も期待できるし、自分で稼ぐお金でする買い物は気持ちが良いこともよくわかる。
しかし、どこかこころのからっぽ感を埋め合わせるためにInstagramにストーリーを投稿して、「あなたらしさ」の象徴である「大学生だった自分」をでっちあげているだけであるならば、決して戻れぬ過去へのタイムスリップを幾度も繰り返す哀れな博士と変わりはない。
人の人生を生きていると、週末になると「楽しかった頃」へ退行するためにInstagramが活発になる。
というのがぼくの推論だ。
本当に充実している人にとっては、「楽しかった頃」などなく、いつだって「今が一番楽しい」のだ。
それでは、いつでも「今が一番楽しい」状態になるためにはどうすればいいのか。
やはりそれは立ち止まることしかない。
立ち止まって、今の自分を客観的に眺め、今自分がいる場所が、やっていることが合っているのかを考えるのだ。
自分の心にウソをつきながら仕事をしていないか。
・本当はちっともいいと思えない商品(サービス)を売ろうとしていないか
・本当はきらいな上司をおだてたり、媚を売ったりしていないか
・本当はきらいなお客さんに振り回されていないか
・本当はなにも楽しくない業務をお金がもらえるからとダラダラ続けていないか
・本当はそこにいる人もそこにいる自分も大嫌いなのにその気持に蓋をしていないか
・本当はこんな職場行きたくないのに、眠い目を擦って職場に向かっていないか
これらの質問を一個一個、少し立ち止まって自分自身に尋ねてみる。
子どもの自分が今の自分を会ったら「かっこいい」と憧れてくれるのだろうか、こういうことを徹底的に考えて向き合ってみてほしい。
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