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いい文章が書ける最短の近道

いい文章が書ける最短の近道を紹介します。
いい文章とはなにか。この答えを求めて、三島由紀夫の『文章読本』という本を読んでいると「文章を味わう」という表現が出てきました。
「文章を味わう」とは、文章を読むとは少しちがう感覚だ。文章を読むよりももっと文章の中に入り込む作法のことです。この表現が好きだとか、この言葉選びが好きだという、文章の細部にまでこだわって、それを受け取ったり、楽しんだり感じながら具体的に読みます。ぼくは、この「文章を味わう」という体験を届けることこそが、作家という職業に課せられた使命であると考えます。そのために、どうしたらもっと読みやすくなるか、読み進めたくなるのだろうか。そういうことから逃げずに徹底的にこだわるのが、この職業人に課せられた使命なのだと思うのです。

そこで、本記事では、「文章を味わう」という感覚を紹介を通して、いい文章を書けるようになるヒントを散りばめました。
本記事を最後まで読めば、あなたにも読者のこころをがっちり掴む魔法の文章が書けるようになるでしょう。

「文章を味わう」とは

ぼくは、この「文章を味わうという感覚」は、現代人の中から失われてつつある感覚なのではないかと思います。
もしかしたら、文学部みたいな環境でもこの感覚を持っている人は、ごくごく一部の人にしか備わっていないと思います。

三島由紀夫の『文章読本』によれば、「文章をあじわう」とは、「内容などどうでもよく、ただ味わうためにつくられた、ちょうど見るための美しい日本料理のようなものである(引用,p44)」とあります。
三島の引用は続きます。「われわれはなんでも栄養があるものしか取ろうとしない時代に生まれていますから、目で見た美しさというものをほとんど考えませんが、文章というものは、味わっておいしく、しかも、栄養があるというものが、いちばんいい文章だということができましょう(引用,p45)」

この本が書かれたのは、1959年です。今から65年前に書かれました。その次代に、「われわれはなんでも栄養のあるものしか取ろうとしない時代」だと表現されていますが、現代は当時よりももっと激しく合理的な時代になっています。なんせ、ぼくらの時代には、スマホ1台が、誰の手にもある時代であり、ショート動画的なコンテンツが大量発生しています。

こんな時代には、「文章を味わおう!」なんて主張は、時代錯誤的だし、メインストリームにはならないでしょう。
それでもぼくは「文章を味わう」という感覚を広めたい。この感覚をもって、文章を書くと、読み応えがあっておもしろく書けるようになるからです。
次章では、味わっておいしい文章の書き方を一挙公開します。

味わいたくなる文章はどうやってつくるのか

味わいたくなる文章は、どうやってつくれるのでしょうか。
ここでは、文章はどこまでいっても、読者のためのものであることは忘れてはいけません。

(1)単語ひとつひとつへの丁寧なこだわりをもつ

単語ひとつひとつへのこだわりを持つことはとても重要です。たとえば、「こだわり」という単語ひとつをとっても、「拘り」と表現することも「コダワリ」と表現することもできます。「拘り」は常用漢字ではあるものの、小学校では習わない漢字です。そのため、漢字にしてしまうと、読めなくなってしまう人も続出するかもしれません。あるいは、「コダワリ」としてしまうと、<偏屈な><変態的な>みたいなニュアンスが宿ってしまいます。これは、主観的な問題なので、人によってはそんなことはないと感じる人もいるかもしれません。しかし、カタカナとひらがなと漢字によって、それぞれ読者がもつイメージは変わる感覚はご理解いただけたのではないかと思います。
そして、「細部へのこだわり」「ディテールへの探求心」「繊細なちがいを知る」。このように、同じようなことを表現する場合であっても、豊富な表現方法があります。使ったこともない言葉のコラボレーションを楽しんだり、言葉遊びをしたり、新しい言葉をつくったり、じぶんだけの世界をもってこだわり抜くことが、必要です。

(2)音声でも映像でもなく文章である理由

味わいたくなる文章を書くうえで、必要なことは、ほかのどのメディアでもなく文章を選んでいる理由を考えることです。
なぜ文章というまどろっこしい方法をあえて選んだのでしょうか。動画や音声という方法もある中で、なぜ文章を書くという遠回りな方法を選ぶのでしょうか。

ぼくは文章というメディアの一番いい理由は、主体的な体験を引き出せることだと思います。
最近は、2倍速以上で見る人も増えましたが、映像や音声の場合は話し手の速度を共有するメディアです。一方、文章の場合読み手は、自分のペースで読むことになります。この自由さが、ぼくは文章の最大の利点であると考えます。自分で読むペースを変えられるので、その分だけ体験が主体的になります。
また、文章は、人間の想像力を引き出します。小説という体験から、十人十色の人物像や情景が浮かび上がります。「美しい女性」みたいな表現は、ぼくにとって浮かぶ人とあなたが浮かべる人は異なるはずです。
映像はイメージを固定化するけど、文章はイメージを流動化します。この流動性が人間の想像力とかけ合わさって、人間の主体性を引き出すことにつながります。

(3)文章を五感でとらえる

五感というと少しおおげさかもしれませんが、文章を書く時、ぼくたちは工夫します。
その中でも五感に訴えかける工夫をすることが、必要だと思います。
まず、読みやすい文章の特徴として、耳で聞いたときに聞き心地のよい言葉で綴れる文章は、読みやすくなります。ほんらい、言語は耳で聞くことを前提に生まれました。そのため、声に出したくなる文章は読みやすい文章になるのは必然だと言えます。
次に、視覚的なうつくしい文章という感覚も大切です。句点の位置、読点の位置、主語と述語の位置など、視覚的に読みやすい文章とそうではない文章には決定的な違いがあります。あるいは、漢字が多いとお堅い印象を与えてしまったり、カタカナが多いと嫌味な印象を与えてしまったり、読者の気持ちによりそいながら、自分が届けたいイメージと読者が受け取るイメージの差分を少なくしていく努力が求められます。
このように、文章は五感でとらえる工夫をすることで、味わいのある文章が書けるようになります。ちょうど、「文章を味わう」という表現も味覚的な意味が装填されていますね。

まとめ

「文章を味わう」という感覚をもつことから、いい文章が書けるようになってきます。
いい文章を書くためには、いい文章に触れて、なぜその文章がいいのか、こういうことにいちいち仮説をもつ習慣をもちましょう。
それがいい文章を書けるようになるための必要条件であるように思います。


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