俺の忘却を越えてゆけ
どうやら僕の記憶はぼろぼろの虫食い状態になっているらしい。
ご飯はまだかいな?
一週間前に食べたでしょ、おじいさん。
いや、そこまでひどくなっている訳ではないが、一昨日の晩飯は何だったかと問われるともう思い出せそうにない。昔はそんなことはなかったはずなのに。
気付いたのはnoteの記事をひねり出そうと、自宅でうんうん唸っていた時だ。
面白そうなエピソードの断片は思い出せるのだが、ディティールは忘却の彼方にある。
あのとてつもなくもちゃもちゃして変な味がする、商品開発に失敗したガムみたいな刺身は何処で食べた何という魚だったか?
道の駅で見つけ、やたら香りだかく歯応えのあるあのキノコの名は?
バレンタインデーにユースホステルの個室に友人と二人で泊まった結果、ゲイカップルと勘違いして応援の手紙を残して去ったあのオジサンに出会ったのは何の旅に出かけた時のことだったか?
その他あらゆる記憶が虫食い状態になっていることに気付いてびっくりした。今まで日々の煩雑さに気を取られ、過去を振り返ることもあまりしてこなかったが、確実に様々な記憶が失われている。
元来、自分の記録はあまり残さない性格である。
自分が後で見返すだけのものを時間をかけて残すぐらいなら、その時間を使って新しく何かをしたいのだ。
しかし、このままでは色んなものが自分の中でこぼれ落ちていくのは確かだ。恐ろしいのは、忘れたことさえ忘れることだ。いつの日か今以上の忘却にさらされ、自分の過ぎし日々はこんなに空虚であったかと愕然とする瞬間を迎えたくはない。
でも日記をつけるのは面倒なのだ。
そんな中でnoteに出会った。
自分が見返すだけの日記なら書くのが面倒なだけだが、誰かが読んでくれるなら手間をかけるのもやぶさかではない。
スキをいくらかもらえたら、書いておいて良かったなとも思える。自分の経験や体験にも価値があったのだと客観的にも見えるこの仕組みは好きだ。
今後もその時々の考えを、面白い出来事を、過去の楽しかったエピソードを書いていきたい。僕にとって誰かに伝えていくことだけが、忘却を越えていく手段なのだ。
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