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オタサーに憧れていた日々を振り返る

 長期休暇といえど旅行には行けないのでdアニメストアで懐かしい作品を見ていた。これを見るぞと決めて見た訳ではなく、アニメ一覧を思考停止状態で眺めていた時に「あーそういえば、これちゃんと全話見てなかったような…」くらいで視聴を始めた。タイトルは『げんしけん』です。察しのいい人はこの記事の話が少しだけ想像できるかもしれません。
 適当に流し見するはずが気が付けば続編まで3クールを1日少しで完走していたし、見終わった後は涙が止まらなかった。理由は単純にイベントを達成したり人間同士の大きな感情のぶつかり合いと言った内容に感動したものが半分と、自分のオタク人生を振り返る要素が多すぎたことが半分。ということで、珍しくこれだけ感情が動いたという記録をつけておこうと思う。なんてカッコつけて書いてみるが、要するに隙あらば自分語りって奴です。

『げんしけん』との出会いと初めてのサークル参加

 冒頭で述べたことから分かる通り、自分はこの作品の熱狂的ファンではない。アニメを少し視聴していたくらいです。一方で、間違いなく自分のオタクとしての人生に影響を与えてきた作品であったことをこの度強く自覚しました。作品への没頭具合は、数や時間やお金など定量的な部分で自覚するタイミングがあるのですが、作品から受けた影響ってなかなか分からないものなのですね。

 げんしけんを知った時、自分は間違いなくオタクサイドであると自覚していた。同人誌も知っていたしコミケにも行ったことあったと思う。げんしけん2の3話を見て「何…CV斎賀みつきの美青年キャラがコミケで女装…だと?」と思ったことを非常に強く記憶しているのですでに趣味嗜好は今のものだった。そして、げんしけんの彼らを知っていく中で漠然と「大学生になったらきっとこんな感じのオタサーに入って、こんな感じでワイワイ集まって、同人誌を作って、いつの間にか流れで就活をして、大人になるんだろうな」というオタクの人生イメージを抱いていった。その中でも特に「みんなでイベントに参加して楽しみたいな」という気持ちが強かったと思う。そして、その媒体が同人誌だった。それまで、どんな人が発行しているのか、どうやって出すのかとか考えたことがなかった。存在は知っているけど、自分がやれるようなことではないんだろうなーくらいの認識だったけど。完成品じゃなくて、過程の方に目を向けるきっかけになった作品だった。

 それから2年後くらい、そのきっかけが訪れた。当時所属していた漫研の友達から「オリジナルゲームを作ってコミケで頒布しないか」という内容のメールをもらったのを覚えている。記憶はおぼろげだが、比較的余裕を持ったスケジュールで取り組み始めていた思う。全く未経験のことであり不安はあったが、快諾した。ゲームの構想は、いわゆるノベルゲーム形式の乙女ゲームみたいな感じだった。部活内の有志で集まり、シナリオ、イラスト、背景、音楽、プログラミングなど分担して作っていった。冷静になるとパッと担当者が出るのはすごいことだった。自分はイラストとゲームプログラムを担当した。当時プログラムを書いたことはなかったけど「いけるっしょ!」でやった。配列すら分かってなかったけど。

 げんしけん1期よろしく、人が集まってものを作れば当たり前で制作過程では「内容に関する衝突」「納期に関する衝突」「予算に関する衝突」などが起きた。めちゃくちゃハイになっていたことと、マクドナルドで20分でサークルカットを描いたことを色濃く覚えている。結局発行分はすべて頒布しきり、そこまで苦い思い出にはならなかった。終えた途端は「楽しかったがもう2度とやらねえ」という気持ちでいたが、冬コミ参加によりハードルが激下がりしたのか気付いたらコピー本を片手に同人誌即売会に馳せ参じていた。自分の身の丈に合った範囲でできる中で一番楽しいと思えるものを工夫して作ろうという変なスイッチが入っていた。親に言われた「冬コミ冬コミって言っているけどどうせ利益は出ないんでしょ」という呆れの言葉が思い出される。

 同人活動は受験を機に一度距離を置いてしまったが、資金の関係で満足いく装丁の本を印刷できていないことを悔いていたため、またいつかやるだろうなと思っていた。

憧れの正体はオタサーではないと知った日

 オタクの中には「げんしけんのような大学生活送りてえな」と考えたことのある人がそこそこいるのではないかと思う。自分もその一人だった。しかし、それは漠然とした願いで目標ではない。大学に入った頃にはすっかり忘れていた。

 数年後、自分は大学キャンパスを往来するテニサーの集合写真が掲載されたビラとコンパの声かけにノイローゼを起こしていた。大学は勉強しにくるところなので、そういうチャラついた活動は無理、と言って授業終了即帰宅みたいな生活をしていたら1つくらい新歓行ってこいと親に怒られた。

 そんな時、ふと「げんしけんのような大学生活」という概念を思い出し、自分は所謂オタサーを探した。何個かある中で一番それっぽい活動概要のところの説明会に行ってみるとみんな旬4コマ日常系アニメの話をしていた。続いて「ウチは皆オタクだけどBBQとかクリパとかイベントめっちゃやるよ」ということを熱烈に押してきて少しビックリしてしまった。オタク活動は通過儀礼的な語り口で、所謂大学生っぽい活動の宣伝を振る舞ってくれていたであろう先輩は、きっと大学生活に不安を感じる新入生に明るく楽し印象を与えてくれようとしていたと思う。しかし、自分はオタクだけど○○エピソードの数々になんだか急激に萎えてしまって先輩がご飯を奢ってくれると言ったけど真っ直ぐ帰ってしまった。

 海や花火やBBQも恋愛も青春が楽しいかどうかはオタクかどうかじゃなくて個人的な好みだと思う。趣味の合う人とやればどれも楽しい。ただ、何かを真っ直ぐ楽しむことへの言い訳として「オタクだけど」という表現をするのがストレートに苦手なんだなと、その時自分は思った。ちょうどオタサーの姫なんて言葉が流行っていたけど、オタサーの姫っていうのは姫に生まれるんではなく環境が姫にしてしまっているんだと思う。みんなの姫のことが好きだけど組織としての調和を求めて誰も踏み出さないからみんなの姫になり脆さを生む。げんしけんも恋愛は絡んでいたけど、時代のせいかいわゆるオタサーの姫的な展開ってあまりないのが印象的だったかもしれない。一歩踏み出せたキャラが多かったというのもあるけど。や、斑目は姫といえば姫か・・・まぁこの話はまた今度しよう。

 そこから様々な過程があったが、結局ひとつのサークルに落ち着いた。基本屋外で活動しているようなサークルだったのだが、みんな創り出すことに積極的でとにかく居心地が良かったのだ。後に、げんしけん2代目を見ながら「あの時オタサーに入っていたらどうなっていたんだろう」なんて考えるくらい、大学生活はオタク活動から一歩引いたところにいた。そこで、自分が居場所に求めていたのはアニメ・漫画のカルチャーではなく「同じ場所を共有しながらも個々に熱中したいものがあり、それぞれが極めていった成果を見せ合える場所」なんだと察し、げんしけんに抱いていた漠然とした憧れの正体の一つに気がついた。

 まるでオタク辞めたかのような書き方をしてしまったが、自身のオタクは職業ではなく種族の話なのでやめることができないと考えている。オタクカルチャーはSNSで作った友達と楽しんでいた。コスプレも始めたし同人誌即売会にも友達の売り子として遊びに行っていた。SNSで趣味の友達を見つけるというのは既にげんしけんの時代にはないオタクの交流の形だよなと今でこそ思う。自分はこの時代のオタクで恵まれたと感じる。

 サークル活動はあっという間で、文化祭で大きなステージをやると引退となった。程なくして、研究室に配属されたが、そこもまた「同じ場所を共有しながらも個々に熱中したいものがあり、それぞれが極めていった成果を見せ合える場所」であり、とても楽しかった。だが、何かたりなくない?居場所に関する要求は満たせたが、同人誌を描きたいという要求が満たされていなかった。そんな当時ハマっていた作品のキャラクターの性格がものすごく奥深く日夜そのことばかり考えていた、そして自分は気づいたら息を吸うように原稿を描いていた。

 同人誌と研究は似ている部分がある。俺はこれが素晴らしいと思うという世界を紙面いっぱいに表現し、イベント当日にはクソデカポスターを貼ったスペースで「堂々と世に出てくれ!」という気持ちを表現する。一瞬で絶対同人誌描くマンの気持ちに火がつき、Texとクリスタを反復横跳びしながら大量に原稿を書/描いた。同人活動は今も続いている。そんなこんなで、今振り返れば活動場所や時期こそ分散してしまったが「げんしけんのような」日々を送ることはできたと思う。

生産したいオタク、消費したいオタク、自分がやりたい活動

 少し強い言葉を使っているため先に注釈すると、生産・消費に良し悪しや優劣をつける話ではなく、ものへの関わり方や時間やお金というリソース配分が異なるよねという話です。

 自分は物心ついた頃から絵を描いていたし、割と早い時期から同人活動もしていた。その結果か、上記コミケエピソードよろしく、周りにはものを作るのが好きな人が多かった。だから、自分は「オタクは好きなものを集め語り、やがて抑えきれない衝動から何かを作り出す生き物」だと思っていた。しかし蓋を開けるとオタクを自称する人は別に全員が全員そうではなかった。衝動や妄想の具現化に抵抗がある、もしくはしたいとは感じない人もいるというのを知ったのは実は結構最近だった。

 さて今回改めて1期からげんしけんを見直したところ、自分が抱いていた「げんしけんのような大学生活」と「げんしけんの大学生活」には大きな差があったと気づいた。別に彼らは同人活動をするサークルではない。げんしけん初代は野郎がみんなでアニメを鑑賞しているようなあの部室から始まった。周りから「中途半端なオタクサークル」だと思われていたけど、笹原や高坂はあの雰囲気が自分にあっていると思って入会した。げんしけんは、居心地がいい溜まり場なのだ。

 しかし、徐々にコスプレ衣装が作れる人、コスプレでキャラを表現できる人、絵が描ける人言った作ることや表現することが好きなオタクの一面が現れ始めた。高坂は独学でプログラミングを習得しゲームを作れるように、笹原は自分は絵こそ描けないが同人誌発行を取りまとめ世に送り出せるように。気が付けば生産したいオタクが大半を占めた。一方で、斑目だけは徹底して消費活動メインでオタクを続けているような対比が取られていったと感じた。斑目はこれを最後まで貫くのでまじでヲタと共に生きる人間だと思う、まじで尊敬する。ただ、作りたい人の中に消費したい人が混ざると、打ち込み方の種類が違うので一見楽しく活動していても、なんとなく噛み合わない部分も出てくるのではないかなと感じた。

 2代目からは顕著で、女オタクが集まればみんな当たり前のように荻上の原稿が手伝えていて、いつの間にかコンプレックスの主軸が絵に関する話になっていたりもした。その中でそんなに創作意欲はない吉武の腐女子像もなんとなく「居そうだな」と思った。pixivを開けば推しカップリングの作品がたくさんあるんだろうな。コミフェスの話の印象が強いせいで、げんしけんは皆で同人誌作ってオタク活動を充実しているサークルだと勘違いしていたけど、自分が憧れていたのは「荻上が会長時代のげんしけん」に近かったのかもしれない。と、自身の抱くオタク活動のマインドを具体化することができた。

『げんしけん』から学んだこと

 あの作品はあの時代のオタクの人生を描いている。世代変わった今のオタクがあの紙とインクと埃の香りがしそうな部室で同じように集うことはきっとないだろう。特に、一気に通しで見てみると、同じ場所と所属名を語っていても構成する人間によって組織ってこうもガラリと変わるんだなあという当たり前の面白さが印象強く感じられる。大学サークルとはそういうものだというのは、自信が所属していたサークルもかつては男だらけだったのが気付けば男女比半々くらいの和気藹々としたサークルに変遷していったのを見届けたからというのもある。そして、其々の世代の人間は「今の世代も楽しそうだけど、自分はあの頃のサークルに居てよかった」と、自分が青春の1ページを刻んだあの瞬間に思いを馳せるのだ。そして、いつの間にか増えていったページたちを見て、次の物語を綴る場所へと旅立たねばならないのだなと感じた。げんしけんは斑目を通して、そのサークル活動の変化を見る話だったなと自分は感じます。

 変則的にGWにコミケがあるということで、去年から少し不安になっていた2020年のGWでしたが。そのコミケも中止となってしまいました。イベントなど人の集う場所で刺激を受ける機会も目減りし、何の印象もない無の長期休暇になってしまうことを危惧していましたが、アニメを見て考え苦手な文章をこれだけ長く書けたということで、自分史上一番楽しいGWでした。

 ところで、エモっぽい漫画描いてなさすぎてヘッダー画像に適切なものがなかった。

創作活動及び成果の発信などの形でみなさんにお返しできたらと思います。