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人間らしい裸でいられる先生を増やしたい/イノーバティーチャー インタビュー(二川佳祐さん)

未来の子どもたちのために教育にイノベーションを起こそうとしている教員InnovaTeacher(イノーバティーチャー)のインタビューシリーズです。第2回目は、東京都公立小学校の二川佳祐さんです。

【プロフィール】二川佳祐さん
公立小学校教員。「大人が学びを楽しめば子供も学びを楽しむ」ことをモットーに学び場を運営。妻と娘をこよなく愛し「ファミリーファースト」を掲げる二児のパパ。34歳。毎朝3時起き。

教育とは憧れだ

- なぜ教師になったのですか?

私は小学校のときは何も出来ない子どもだったんです。中学校に入って、先生たちが環境や機会を沢山与えてくれました。例えば、学級委員をやらせてくれたり、私の主体性を尊重してくれて後押ししてくれたことで自信がついてきました。いい仲間も出来て、すごく感謝した3年間だったんです。そんな中で中2の時に中学校の教師になろうと思いました。高校でもその想いは変わらず、大学は学芸大学に進みました。

先生になりたいと思ったのは、憧れですね。大学の時に言われたすごく大切にしている言葉があって、「教育とは憧れだ」というものなのですが、単純に中学の先生に憧れたんだと思います。

- 教師になってみて感じたことは何ですか?

良かったと思う瞬間はたくさんあります。子供たちが自分の授業で「出来た」とか、「楽しい」とかいう姿とか、のびのびやっているのを見るのはすごく好きです。最近は、10年前に教えた子供たちが連絡をくれたり、会ってくれたりすると、あぁやっていて良かったなと思いますね。最初に教えた子から、メールで「今度会いましょう」という連絡をもらったりして、すごくうれしいです。

一方、学級崩壊を経験した時は大変でした。5年目までの経験は私の根底にある、消えない火みたいなものです。隣のクラスは安定していたのに自分の学級は全く安心できない教室となっていました。完全に私のせいだと思いました。こうやって社会に出て学び続けようと思うのも、あの時の経験から、子供達に、保護者にあんな思いを二度とさせちゃいけない、あの子たちにどこかで償わなくちゃいけない、という想いがきっとあるんだと思います。

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ほめ言葉のシャワーと脳神経科学

- この経験からどんな気付きがあったのですか?

私が天狗だったり、調子に乗っていたのかな、と思いました。人に何かを教えるという立場で、言動一致は自分が弱かった部分でした。子供に強くあろうと思い、言っている事とやっている事が乖離していたと思います。子供が不協和音を抱くだけのものが、たくさんあったんだと思います。これは当然の結果だったんだ、と、今は思います。

その翌年に異動があり今の学校に来ました。ここで、私の転機が訪れました。DAncing Einstein(DAE)の青砥君と再会したんです。彼は高校の同級生なんです。ちょうどUCLAから帰ってきたあとで、私がFacebookに上げていた写真を見てくれていて、日本に戻るから一緒にやろうよ、と言ってくれました。月二回くらい吉祥寺に来てくれて、半年間コンサルティングみたいな形で寄り添っていてくれました。学級にも実際に子供達の様子を見にきてくれました。

菊池省三先生の「ほめ言葉のシャワー」という有名な実践があるのですが、子供たちの自己肯定感が低いと思っていたので、「ほめ言葉のシャワー」の実践を半年間やることにしました。ここに青砥君がずっと付いてくれて、脳神経科学的なフィードバックをもらいながら進めました。こんなに子どもは伸びていくのか、変わるのか、という経験をし、自分自身にも可能性を感じました。これが一つの成功体験となって、どんな実践でも回せるというブレイクスルーとなりました。

「脳の仕組みを知れば、教育は変わる」 脳科学者・青砥瑞人さんに聞く“理想の教育現場”
https://www.huffingtonpost.jp/amp/sugiura-taichi/dancinf-einstein_a_23491235/

- 子供たちにどんな大人になってほしいと思っていますか?

面白がれる人になってほしいと思っています。何かピンチがあった時に、これを使って何かできないか、次の可能性が生まれないか、という事を考え、より良い方向に変えていける人になってほしいと思っています。

このために、子供たちには時間と環境を与えるようにしています。係活動は毎年どんな時でも外さないようにしています。いきもの係、ダンス係、ミュージック係、プログラミング係とか、やりたい、好きと思う事を追究する時間をとにかく取ってほしいと思っています。

街と繋がる BeYond Labo

- BeYond Laboという活動はどうやって始まったのですか?

もともとは青砥君とDAFT(DAncing Future Teacher)という活動をやっていて、その後にDAFL(DAncing Future Teacher Learner)というコミュニティーをDAEの人達とやっていました。この活動は渋谷でやっていたのですが、「家族との時間」と「学び」のバランスを取っていくことに限界があると思い、もっと地域に根差してやりたいと思ったのです。そうしないと持続可能にならないですよね。その時に、近くで仲間(中西さん)を見つけて BeYond Labo を始めることになりました。これが2017年の12月です。

- 活動を続けるのは大変ではないですか?

この活動は、私と中西さんが会いたい人とか、皆に紹介したい人を呼んでいるんです。映画”Most Likely To Succeed”もずっと観たいと思っていて、すみません、ちょっと一緒に観るのを付き合ってください、という感じで実施したので、私の願望を叶える場なので大変だとは思っていません(笑)。

- この活動から得られていることは?

まずは、人との縁をいただけることですね。場があることで、人を呼ぶことが出来るのは強みだな、と思っています。例えば、2周年の時に、吉祥寺で活動をしているキン・シオタニさんにお話してもらえたのは、2年間やってきた場所があるから出来たことです。

会があることで人や街と繋がることが出来ました。先日はCoppiceで開催しましたが、私が一人で話に行っても無理だったと思いますが、このような会があることで実現したと思います。これまでの会への信用が溜まってきたことで、街と付き合うことが出来るようになってきたと思っています。

あとは、発信する力とか、コミュニティ運営を習慣化する力、イベントを作る力も付いていると思います。たとえば、学校でオリンピック・パラリンピックの人を呼ぶときや、研究発表をやる時にも活かせたと思います。

外に出てみて自分の芝生の青さに気付いた

- 企業にインターンに行ったと聞きましたが、どうしてインターンに行こうと思ったのですか?

先生は世間知らずだと言われるのですが、それが本当なのか、ということを確かめてみたくて外に出てみようと思ったんです。教員も10年目の研修で外部に出る機会はあるのですが、本当はタイミングはいつでも良いですし、先生をやりながら企業で働いてみたいというのはずっと思っていました。10年研では大手企業が多いので、もっと生々しい会社に行ってみたいと思って、ご縁をいただきベンチャー企業に行きました。

- インターンを通じて何を学びましたか?

一番思ったのは、隣の芝生は青いと思っていたけど、自分の芝生も青かった、ということに気付けたことです。あとは、「教育」というのは誰もが通ってきた道だから、いろいろな人が教育について言ってくるんだな、と気付きました。雑談をしていた時に、皆、思い思いの学校での経験や思い出、嫌な先生のことなどを話してくるんです。これが公教育の産物だな、誰もが公教育を受けてきた証拠だな、と思いました。なので、関心があったり、古いと言われたり、一緒に語れる場所であるということに気付くことが出来ました。悪い部分だけではなく、ポジティブな部分もあるし、皆が語れるだけの普遍性、広がりがあるなと思いました。

「先生は世間知らず」への挑戦。小学校の先生が3日間の企業インターンで得たお土産と宿題とは
https://www.essence.ne.jp/hatarakumirai/148

アコーディオンのような外と中の活動

- 個人での活動と学校での活動はどうやってバランスを取ってますか?

アコーディオンだと思っています。外と中、行ったり来たりということです。外に行く時と、中にこもる時がどちらもあって、研究発表とかは中に思いっきり入っているときだと思います。でも、研究発表に来てくれる人は外に出た時に出会った人たちなんです。中から外はなかなか難しいのですが、外から中は結構転用可能だと思っています。イベントを作るというのも外から中だと思ってます。言語化できていないのですが、外部での活動はどこかで学校現場に活きているのだと思います。

- 学校内でも何か活動をしているのですか?

研究主任を2年間やらせてもらい、失敗もたくさんあったけど、今までやったことが無いこともたくさんやることが出来ました。4月には性格分析をやって自己開示しよう、という事から始めました。チームビルディングが出来ないと良い研究なんて出来ない、と思っています。対話を楽しめる組織であることを大切にしています。夏の研修でも3人組で「この夏の思い出を話してください」という事をやりました。チェックインを豊かにしたかったんです。

研究なんですが、対話をひたすら繰り返してきました。大人が楽しんでいない学校なんてつまらない、と思ってやってきました。上司も信じて任せてくれていたことが大きいですね。振り返りの会があったのですが、上司が「信じて任せきると自分の想像を超越したものが出てくる、二川さんがまさにそうだった」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。

- 対話を進めて学校は変わりましたか?

すごく変わったと思います。校内研究は英語だったのですが、最初は抵抗がすごく強かったんです。私が最初に授業をやって大失敗したんです。でも、失敗を見せあえる組織は安心するじゃないですか。そういう組織を作っていきたい、というのが私なりのメッセージだったので、こういう事を続けてきて変わってきたのかなと思います。皆の英語へのチャレンジ精神が出てきたんだと思います。

二川先生ではなく「二川佳祐」でありたい

- これからの教員はどうあるべきだと思いますか?

Change Makerだと思います。社会貢献とかでなくても良くて、将棋が好きとか、自分の好きとか得意を尖らせられる先生がいて欲しいと思っています。DAEの仲間から、アメリカで何でもTitanicの話に例える先生がいて、あの先生と言えば「Titanic」とめちゃくちゃ覚えている、と聞きました。こういう「自分と言えば」を入れる先生が一人でも増えて欲しい。人間らしい、先生が先生になって欲しくなくて、私だったら「二川先生」ではなく「二川佳祐」でありたいと思っています。こういう事が出せないことが寂しいと思うので、ありのままが出せる、これを受け入れられる土壌になって欲しいです。弱み、強みを出していける、裸で、という感じです。

【インタビューを終えて】

二川先生とは、One Educationというイベントに参加して知り合いました。ベンチャー企業にインターンに行って、ホリエモンに「たった3日じゃあね」とリツイートされた!っていう話を聞き、こんなアクティブな先生がいるのかと驚きました。その後、Facebookでやり取りなどさせていただきつつ、Beyond Laboという吉祥寺をベースとした活動にも先日初めて参加をさせていただきました。社会と繋がることを本当に楽しんでいる姿が素晴らしいです。

アクティブで前向きな二川先生ですが、学級崩壊で挫折し、青砥さんとの出会いから多くを学び、今があるのだという事を知りました。このような経験が今の自然体の二川さんに繋がるんだという事を感じました。

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