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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#鈴木啓太

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月17日(2017)水を運ぶ人の華やかな引退試合

7月17日はレッズ初代監督森孝慈さんの命日。 今年の夏は3年ぶりに森さんを偲ぶ「森酒場」が開かれるそうだ。高校でサッカーに明け暮れていた頃、日本代表監督に就任されたので、そのイメージが強い。森さんがいなかったら、日本サッカーのプロ化、浦和レッドダイヤモンズの誕生は実現していただろうか。亡くなられた日は、なでしこジャパンが世界一になった日でもある。 森さんの七回忌にあたる2017年7月17日、埼スタで鈴木啓太引退試合が行われた。イビチャ・オシム監督から「水を運ぶ選手」と称され

7月16日(2003年) 負けなければいい試合の危険性を相手に教えてもらった

 負けなければいい、という条件の試合はよくある。ホーム&アウェイ方式の第2戦とかリーグの最終節とかで、引き分け以上で何かを得る、という試合だ。  もちろん有利な条件なのだが、負けない意識で戦うのと、引き分け狙いとは違う。  2003年のヤマザキナビスコカップと言えば浦和レッズが初タイトルを獲った大会。しかし予選リーグではずっと黄信号が灯っていたというのは、7月2日の「あの日」で書いた。その続きでもある。  2003年7月16日(水)、浦和レッズは駒場スタジアムにヴィッセル

7月16日(2003年・2004年)人間力?

鈴木啓太のシュートは宇宙開発の代名詞と思っていた気がしますが、勝てば次に進めるという大事な試合で、大事な得点を決めたことがあったことをうれしく思い出しました。この得点が無かったら、2003年のナビスコカップ初優勝はなかったのですね。啓太は本当に良い選手になっていました。 啓太がレッズに加入してすぐの頃、大原で小野伸二に「啓太、啓太、」と呼ばれ、何か楽しげに絡んでいたことを見たことがあります。啓太はまだ坊主頭でした。伸二に可愛がられている啓太を見て、将来が楽しみになり、それが