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#7 【コラム3】フランスパン 頭の上から「はい、どうぞ」

リングにあがった人類学者、樫永真佐夫さんの連載です。「はじまり」と「つながり」をキーワードに、ベトナム〜ラオス回想紀行!(隔週の火曜日19時更新予定)

頭上運搬でフランスパンを売り歩く女性(2001年 ベトナム、ハノイ)

 「バインミー・ノン・オーイ!」
 底の深い大きなザルを頭上にのせ、こんな声をあげて通りや路地を歩く女性をハノイでよく見かけた。
 「あったかいパンだよ!」と、フランスパンを売り歩いているのだ。
 よびとめると、頭からザルを地面に下ろす。そのとき、頭とザルのあいだに座布団状の布をかませていたのがわかる。褐色のぶ厚く粗い麻布をめくると、うすい焼き色のついたパン。20年前は1個10円もしなかったが、物価が高騰したから、今なら20円以上するかもしれない。ちなみにバインミーとは、字義どおりにはパンの意味しかなく、「北」ではふつうフランスパンを指す。
 2002年にパン売りの女性たちに声をかけて聞き取りしたところ、そのほとんどが、ハノイから南へ数十キロのハナム省の農村からの出稼ぎだった。頭上運搬もその地域の習慣ではなかろうか。ちなみに、キン族によるステレオタイプ化されたイメージでは、中部の山地民が頭に竹の器などをよくのせている。しかし頭上運搬が特徴的な少数民族をわたしは知らない。そもそも平地に適応した運搬法だ。
 彼女たちは同じ道具を、同じ市場で買いそろえ、早朝に同じパン工場に足を運んでフランスパンを仕入れ、市中へと散らばり売り歩く。このように同郷同族の者同士が身を寄せあってハノイで共同生活しているのだそうだ。家族や親族のつながりを信用と信頼の基本とするベトナムで、いかにもありがちな身の守り方だ。
 ハノイ駅舎前での彼女たちは、往来の激しいレ・ズアン通りに向かってカゴを地べたに置いてしゃがみ、横一列になっておしゃべりしながら客待ちしている。汽車の乗客が車内での空腹にそなえ、あるいは田舎へのおみやげとしてよく買いに来るのだろう。わたしにとってパン売りの女性たちはハノイ駅前の風景の一部だ。だが2019年もかつての風景のままなのかどうかは確認しにいけなかった。

交通量の多い辻では腰を下ろして売っていることもある。
しかし、頭の上にザルをのせるためのクッションはのせたままだ(2001年 ベトナム、ハノイ)
麻袋の中から取り出したフランスパンは、やたらに薄いビニル袋に入れてわたしてくれる
(2001年 ベトナム、ハノイ)

 フランスパンは本場のものとは異なり、ふわふわと弾力があって柔らかく、スカスカで食感も軽い。小麦粉だけではたりないから米粉で補っているとも聞くが真偽はたしかでない。わたしはビナミルクという国営企業のチーズを間にはさみ、カフェオレを飲みながらよく食べた。ふつうにおいしい。
 このフランスパンにバター、ハム、マヨネーズ、野菜、チーズなどを挟んだ「バインミーパテ」(パテはもちろんフランス語起源)を売るスタンドの売店が、都市なら昔からどこにもあって、子どもたちにも人気だ。

サンドイッチ(バインミーパテ)屋の前を通るフランスパン売り(2001年、ハノイ)

 食べるとおいしいのだが、バターはまっ黄色い謎のねりものみたいだし、マヨネーズもハムもケミカルでヤバそうな色をしている。材料をいつも出しっぱなしなのがまたこわかった。
 最近、この手のが「南」ではバインミーで、これが日本でも「バインミー」として知られるようになった。さすがメイド・イン・ジャパンは見かけからして洗練されていて、衛生的にも安全そうだ。

ホーチミン市郊外への国道沿いのフランスパン売り。ハノイとは道具など異なる
( 2001年、ホーチミン市)
パン工場がない地方には、フランスパンに特化した売り手がいない。おこわ、ケバブ、フランスパンを屋台で売っている。サンドイッチ(バインミーパテ)もつくってくれる
(2015年、ベトナム、ホアビン省)

関連リンク▼
・ベトナム民族学博物館
「ハノイで人気の博物館」『月刊みんぱく』2007年10月号、10-11頁

樫永真佐夫(かしなが・まさお)/文化人類学者
1971年生まれ、兵庫県出身。
1995年よりベトナムで現地調査を始め、黒タイという少数民族の村落生活に密着した視点から、『黒タイ歌謡<ソン・チュー・ソン・サオ>−村のくらしと恋』(雄山閣)、『黒タイ年代記<タイ・プー・サック>』(雄山閣)、『ベトナム黒タイの祖先祭祀−家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌』(風響社)、『東南アジア年代記の世界−黒タイの「クアム・トー・ムオン」』(風響社)などの著した。また近年、自らのボクサーとしての経験を下敷きに、拳で殴る暴力をめぐる人類史的視点から殴り合うことについて
論じた『殴り合いの文化史』(左右社、2019年)も話題になった。

▼著書『黒タイ歌謡 〈ソン・チュー・ソン・サオ〉―村のくらしと恋―』も是非。ベトナムに居住する少数民族、黒タイに伝わる恋の歌『ソン・チュー・ソン・サオ』の翻訳と解説。歌に盛り込まれている黒タイの文化や生活を詳しく紹介されています。


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