見出し画像

『源氏物語 A・ウェイリー版』訳者あとがき/毬矢まりえ、森山恵

 今、私たちのデスクの上には『源氏物語A・ウェイリー版』の最終校が置かれています。各巻六五〇~七〇〇ページにわたる原稿は、一冊でも「普通の本の四冊分」、ゲラは巻毎に一メートルの高さにはなったでしょう。四百字詰め原稿用紙に換算すると七千枚ほどでしょうか。平凡な言葉ですが、遂にここまで辿り着いた、と感慨深いものがあります。
 翻訳を終えて思うこと。それはやはり『源氏物語』は世界文学の古典と呼べる傑作だということ。そして世界初の英語全訳アーサー・ウェイリー版、レディ・ムラサキ著『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』もまた傑作だ、ということです。
 百年前のイギリスで『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』は「一大傑作」「最高級の文学」と絶賛され、レディ・ムラサキはプルースト、ジェーン・オースティン、ボッカッチョ、フィールディング、シェイクスピアと並び称され、「天才」と謳われました。その価値を一瞬で見抜き翻訳をなし遂げたウェイリーの訳業もまた「文学的」「賞賛の言葉を見つけるのに苦しむほど巧み」「創作的想像力」に溢れていると評されます。
 この「源氏物語」を愛読したのは、百年前のイギリス人だけではありません。社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースもウェイリー訳の源氏に魅せられた一人でした。フランスではようやく十八世紀にジャン=ジャック・ルソーが開拓した文学様式を、紫式部がすでに確立していたことに感嘆しています。「筋の展開はゆるやかで錯綜し、微妙な変化に富んで」いる。「繊細な心理描写に満ち自然への感情とともに、物事の定めなさと命のはかなさへの感情も重視され」「メランコリックな叙情性」に溢れている。彼は生涯くり返し、源氏物語を読んだのです。
 フランスの小説家マルグリット・ユルスナールは「自分の一番愛する小説家はムラサキシキブであり、彼女を深く尊敬し、敬愛している」とインタヴューで述べています。さまざまな社会の階層を描き分け、恋愛、人間のドラマを余人には真似できない方法で表現するという素晴らしい才能の持ち主で、彼女は中世日本におけるマルセル・プルーストである、と。ムラサキのその才能は比類なく「私にはどうしてもあのようには描けません!」と憧れを熱く語っています。そのオマージュとして短編集『東方綺譚』では、「ゲンジ最後の恋」を発表しています。光源氏と花散里の哀しくも美しい恋物語です。
 本訳書はこの百年前の英訳『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』をいま一度、日本語に翻訳したものです。だからといってもちろん、ただ日本語に「戻し」たのではありません。いえ、戻せるはずがないのです。千年前に生まれた光源氏は、九百年後のイギリスに、シャイニング・プリンスとして登場しました。さらにそこから百年後の本書は、平安時代の日本からヴィクトリア朝・エドワード朝のイギリスを経て、源氏物語を現代へと甦らせようのしたものです。
 時空を超えて光を失わぬものこそ世界文学のキャノンでしょう。その輝きを現代日本に誕生させたい、その一心での翻訳。ヘーゲルの歴史学の言葉を借りて、「螺旋訳」と私たちは仮に呼んでみました。第一巻の「あとがき」にも記しましたが、歴史は円を描きながら繰り返しているように見えても、実は螺旋状に進化している、という考えです。
「螺旋訳」は言うは易く行うは難し、かてて加えてこの長大さ。苦難の連続でした。それでも私たちにはなぜか、「こういう世界を創造したい」という明瞭なヴィジョンがあったのです。そして僭越ながら、これは私たちにしかできない、という不思議な確信のようなものがありました。

「文学少女」という言葉があります。振り返れば私たちはまさにそうでした。妹の恵は字が読めない頃から、本を広げて知っているひらがなに丸印をつけ、幼稚園の頃には百人一首で遊び始めました。これも一巻あとがきに書きましたが、二人して百人一首の和歌をすべて覚え、なかでも紫式部の「めぐりあひて」の歌は大好きな得意札でした。小さい頃から体が弱く、冬になれば風邪をひき続け、外で元気に遊ぶよりは家に籠もって二人で遊ぶことが多かった私たち。父は医師で病理学者、母も文学愛好者で俳人。家には多くの本があったことも手伝い、本に夢中になっていました。
 姉妹の物語と言えば『若草物語』を繰り返しボロボロになるまで読みました。またブロンテ姉妹の長女シャーロットの『ジェーン・エア』を小学生のときに夜中まで読み耽ったのも覚えています。ブロンテ姉妹は幼いときから物語作りに没頭していたそうです。「アングリア物語」や「ゴンダル」という架空の島を空想していたのです。偉大なブロンテ姉妹になぞらえるのはおこがましいですが、私たちもそれを真似て自分たちの「王国物語」を作っていたのでした。もちろん子供の他愛ない遊びですが、物語を作る楽しさに時間を忘れたものです。

「創造の病(クリエティブ・イルネス)」という言葉があります。心理学者のエランベルジェの提唱した考えですが、例えばフロイトやユングなどは一時期抑うつ状態にあり、この精神的危機を乗り越えた後に大きな独創的な仕事をしている、というのです。そういった危機を乗り越える時に、クリエーションがあり偉大な成果が生まれる。心理学者のみならず、哲学者、芸術家、作家など創造的仕事に関わる多くの人に見られるとの説です。
 ユング心理学者の河合隼雄はこの考えをさらに広げ、精神の病に限らず体の病気も含まれるのではないか、と考えました。例えば夏目漱石。彼がいわゆる「修善寺の大患」から恢復した後、後期の傑作群が生まれたことを指摘しています。
 さて私たち姉妹ですが、体が弱かっただけでなく大学生になったばかりの頃、大病に倒れることとなりました。ブロンテ姉妹も早死にしていますが、自分たちも先が長くないのではないかとまで思いました。それからの闘病、療養生活は長く辛いもので、多くの扉が目の前で閉じられました。
 そんななか私たちの支えはやはり文学への夢。日本の近現代・古典から(源氏物語の原典、現代語訳も)、外国語文学―専門のフランス文学やイギリス・アメリカ文学はもちろん、ロシア文学、ドイツ文学、中国文学などなど世界の文学を濫読しました。文学、つまり言葉を愛するゆえに、英語を始めとしてフランス語・イタリア語など外国語の勉強も日々続けました。そしてそれぞれ俳句や詩を書き始めたのです。
 アーサー・ウェイリー翻訳の『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』もそのなかで知ることとなりました。二人で話し合い、語り合い(ときには泣きながら)遂にこの『源氏物語』プロジェクトはスタートしたのです。病気になって、すでに三十年の月日が経っていました。
 ここまでの治癒への道のりこそが、私たちの「創造の病」であったと、今思うのです。エランベルジェの定義とは多少ずれるかもしれませんが、私たちにとっての「創造の病」であった、と。だからこそ、豊かなエネルギーをこの作品に惜しみなく注げたのではないかと思っています。
 河合隼雄はその著書『紫マンダラ―源氏物語の構図』で、源氏物語は紫式部自身の物語だと述べています。登場する女性たちは彼女自身の分身であり、中心人物と思われる光源氏はいわゆる主人公ではなく、彼を巡る女性たちこそが物語を作り上げていく。いわば曼荼羅を織り上げていく。創造することによって紫式部が癒され、新しい生を生きることになったのではないか、と記しているのです。
 河合氏の友人でもある文化人類学者ライザ・ダルビーも紫式部について、彼女はこの物語を書いているときに、抑うつ性だったのではないか、と述べています。ダルビーは十六歳のときから源氏物語を読み始め『テイル・オブ・ムラサキ』という小説も書きました。抑うつ性の(と思われる)紫式部がどうしてあの華やかな物語を書けたのか、ということからこの小説を書き始めたそうです。河合隼雄氏はこれをクリエイティヴ・イルネスと結びつけてダルビーに答えた、と語っています。
 一千年を経ても世界文学の傑作として輝く源氏物語が、紫式部の孤独な内面の深まりと共に生まれ育ったものであった、と見るのも一つの重要な視点ではないかと思います。
 私たちの源氏物語も、このクリエイティヴ・イルネスから生まれ、だからこそ「ヴィジョン」があったのかもしれない、と感じます。正統な源氏物語でありながら、それを異化しつつ新しく伝えたい。眩く、躍動感溢れる源氏物語、けれども単なる恋愛物語ではない深い魂の物語を、という。

「翻訳」と言うと、一つの言語からもう一つの言語へ、言葉を移す単純作業のように思われることもあります。ここではいわゆる「翻訳論」には踏み込みませんが、少なくとも文学作品において、それは当てはまらないでしょう。一つ一つの言葉に歴史や文化的・言語的背景があり、文化から文化へと言葉を置き換えるのには一種の相克があるからです。シンプルに思える単語一つも、多くの含意が幾層にも重なり、同意ではありえません。一つの訳語を「選ぶ」とは、他のすべての訳語を「捨てる」ということ。言葉や表現の雰囲気や背景を伝えようと努めるとき、そこに「創造力」が働きます。
 ウェイリーも意訳や恣意的訳では、と言われると「自分は法律文書を訳しているのではない。文学を訳しているのだ。文学を訳すときには情感を伝えなければいけない」と強く反論しています。源氏物語は、「スペインのある地方によくあるような洞窟のよう、その洞から洞へと登ってゆくと、連なる岩の自然な形成が、さまざまな有名な彫刻と似ているように見える―。ここはシャルトルの聖像、あそこは雲崗の仏像、ペルシャの征服者、ビザンティンの象牙細工といったように」。モザイクのようだ、と。エミリー・ブロンテ『嵐が丘』にもなぞらえ、今まで書かれた傑作小説の三本の指に入ると断言しました。
 私たちもまたウェイリーのように、この作品を文学的再創造と考えて取り組んで参りました。その香りを失わぬよう、一語一語、一文一文立ち止まり、悩み、一歩一歩進んできました。フランス語においては、文章の美しさに「クラルテ(明瞭さ)」と「リュシディテ(明快さ)」が必須とされています。明瞭で明快であること。日本語においてもそれは同様でしょう。私たちも「クラルテとリュシディテ」を大切に、ウェイリーの英語の美しさ、流麗さを日本語のなかで再生したいと願ったのです。

 やはりユング心理学の原型の一つに「夜の航海」と言われるものがあります。ネイティヴ・アメリカンの神話で、太陽は朝に東の空から昇り、夜に西の海に沈み、巨大な魚に呑み込まれる。太陽を呑みこんだ魚は、夜中また東の地平線へと泳いでいくのですが、それを「夜の航海」と言うのです。これは「母体回帰願望」などの概念と結びつけられますが、私たちにとってはこの「源氏物語プロジェクト」をしていく上でのメタファーとなりました。
 朝毎に原稿に向かい、毎日約十時間(もちろん休憩はしますが)、そして夜中に仕事を終える。太陽が昇り、沈み、大魚に呑まれ、夜の航海をする。一見単なるルーティンに過ぎませんが、これを繰り返すのは神秘的な夜の航海でした。私たちを異世界へと連れて行ってくれる旅路だったのです。不思議な治癒の過程でもありました。
 次第に、私たちは紫式部とウェイリー二人の「ヴォイス」に耳を傾けるようになりました。はじめは微かだった彼らの声も、物語を深く読み進むにつれ、澄んだ明晰な声となって聞こえるようになりました。
 ウェイリーの声は静かで心地良く、早口だけれど聞き取れないものではなかったといいます。寡黙でしたが決して陰気ではなく、楽しげに多弁になるかと思うと、ふと口を噤む。有名な「ウェイリー氏の沈黙」です。夢見るような微笑みを浮かべ、また突然東洋の詩の話などを始める。
 ウェイリーは、この「宇治十帖」は精神性が深まる最も優れた部分である、西洋小説の劇的な終わり方とは違い、中国の風景画の巻物の棚引く雲のように次第に消えていくが、「夢浮橋」という帖名が現わすとおり実に素晴らしい結末だ、と述べています。私たちにとってもこの巻には二人のヴォイスが殊に響いていると感じられました。二人との真摯な対話は特別なものだったのです。
 とはいっても私たちのような者が、どこまで再創造と呼べるような仕事を成し遂げられたかはわかりません。ただ文学を信じ、『源氏物語』と『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』を信じ、純粋な心でここまで来たつもりです。
 私たち姉妹で喧嘩や衝突はなかったか、とよく聞かれますが、それはまったくありませんでした。訳語について話し合いは尽きませんでしたが。二人それぞれ、はじめはすべて手書きでノートに全文、全行翻訳致しました。そしてお互い原稿を幾度も交換しては直し、さらに六校、七校とゲラを出していただいては、真っ赤になるまで文章を推敲したのです。ですからまさに「姉妹訳」となっていると思います。

 源氏物語には争いの場面が一切出てきません(背景に政争は仄めかされていますが)。第一次大戦の傷跡深かった当時のヨーロッパ人が、千年まえの女性の手による、この平和で美しい文学に驚嘆、感嘆したのは、本書にも収録したヴァージニア・ウルフの書評でも明らかです。世界中で紛争や争い事が絶えることのない現代にも、新たな光を持つ作品ではないでしょうか。「平和の文学」といっても単に牧歌的な物語ではなく、魂の深まっていく作品、「魂の平和の文学」とも称せるのではないでしょうか。そのような作品に携われたことを幸せに思っています。
 手探りで歩んできたこの作品ですが、幸い少しずつ好意的な書評や感想が届くようになりました。どれほどありがたく嬉しかったでしょう。日本文学者のドナルド・キーン氏にもお目に掛かり、身にあまるお褒めの言葉を頂いたのは忘れがたい思い出です。完結を見届けて頂くことは叶いませんでしたが、第一巻をお送りしたときに「姉妹の素晴らしい仕事です」と仰って頂きました。
 ほかにも感想や完結を望む声が聞こえ、心細くひっそりと二人で仕事をしていた私たちには計り知れない励みとなりました。
 また、浅学な私たちを最初から最後まで暖かく導いてくださった源氏学の大家であり詩人の藤井貞和先生との奇跡の出逢いがなければ、この作品は誕生しませんでした。どれだけ創造へのエネルギーを頂いたかわかりません。深く感謝申し上げます。先生の未発表の研究成果である和歌を本文に入れるのをお許しくださったことで、拙訳文に大きな輝きを賜りました。巻末に全七百九十五首を収録できましたのは大きな宝ものです。伏して御礼申し上げます。
 左右社の東辻浩太郎さんには、この三年半多くの困難を乗り越え、共に歩み、本の形にして頂きました。名編集者に巡り会えたことに心から感謝しております。刊行を決めてくださった左右社の小柳学社長様に御礼申し上げます。装幀の松田行正さん、杉本聖士さんには、クリムト画の美しい本にして頂きましたこと、嬉しく感謝しております。その他友人・知人、読者の方々、多くのひとの応援と励ましなしには非力な私たちにはこの作品を完結させられませんでした。感謝の念でいっぱいです。
 終始温かく祈りとともに見守り支えてくれた両親に、改めてこの作品を捧げたいと思います。ようやく小さな親孝行ができた気持ちです。
 最後になりましたが、この本を一人でも多くの方に手に取って頂けましたら、そして楽しんでいただけましたら、これ以上の喜びはございません。『源氏物語』のシャイニング・プリンスは、まさにその名の通り、時代を超え、国境を越え、言語の壁さえも超えて、さらに輝きを増していくことを信じ願ってやみません。


二〇一九年七月七日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?