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この美しい世界 レディ・ムラサキの完璧さ /ヴァージニア・ウルフ(『源氏物語 A・ウェイリー版第4巻』収録)

 記すまでもありませんが、あのエルフリック[1]が『説教集』を執筆したのが九九一年ころ、『旧約・新約聖書論』を書いたのはその数年後。つまり定かではないながら、デーン人の王スヴェン一世[2]がイングランドの王位に就くこととなった動乱の少し前ということになります。わたしたちの祖先は絶えず人間同士、イノシシ相手、生い茂る藪や沼地と格闘していて、写本にせよ翻訳にせよ年代記にせよ、ペンをとって執筆したり、あるいは荒削りの詩を荒々しくがさつな声で詠ったりしたのは、苦闘に膨れ上がった拳、危険に曝され研ぎ澄まされた頭、煙にひりついた目、湿地を踏みわけ冷え切った足を抱えてのことでした。

夏来たる/カッコウ騒々しく鳴けり[3]

――などが、彼らが唐突にあげた雄叫びでした。

 一方そのころ地球の反対側では、レディ・ムラサキが庭先を眺めながら「葉のあいだからは、まるで笑みこぼれる唇のように、白い花びらが綻んでいます[4]」、と花に目をとめていました。
 エルフリックだのアルフレッド[5]だのが戦いに明け暮れ声を嗄らしていた西暦一〇〇〇年ころ、宮廷に仕えたこのレディ(レディ・ムラサキについて、ウェイリー氏は、六巻の翻訳完成まで巧みに伏せていますので、私たちは何も知らないのですが)の庭には花が咲き、木々にはナイチンゲールが囀り、日ごと語らい夜ごと舞い踊り、彼女はシルクドレスとズボンを纏い、目の前に絵を広げ、詩の響きに耳を傾け――プリンス・ゲンジの波乱の一生(ライフ・アンド・アドヴェンチャー・オブ・プリンス・ゲンジ)を物語っていたのです。でも誤解なきよう。彼女は決して年代記作家ではありません。
 彼女の作品は朗読され、聴衆もいたのでしょう。聴き手たちは間違いなく、鋭敏で繊細な知性を持つ洗練された男女。決して格闘の場面で注意を引いたり、悲劇的結末であっと驚かせたりする必要などない大人たちでした。それどころか、彼らは人間の本質について思いを巡らせていたのです。人間とは、拒まれるとどんなに激しく追い求めるものか、やさしい情愛に満ちた人生に焦がれてもいかに裏切られるものか。素朴で単純なものより、グロテスクで超自然的なものがいかに心をかき立てるか。降る雪はいかに美しく、その雪を一人寂しく眺めれば、思いを分かち合えるひとをいかに強く求めるものか、ということを。
 たしかにレディ・ムラサキは、芸術家(アーティスト)にとって、特に女性の芸術家にとって幸福な季節に生きました。戦争は生活の重大事ではなく、男たちの関心も政治が中心ではありませんでした。
 この二つの暴力から自由であったからこそ、日常のささやかなできごと――たとえば、男が口にした言葉、女がはっきりとは口にしなかった言葉、魚が跳ね銀色の鱗をきらめかせるように沈黙の水面を破る詩の言葉、ダンスや絵画、荒涼たる自然への愛、こうした機微に人生が表われたのです。それは、人びとが安心して生きたときだからでした。レディ・ムラサキはこうした時代に、過剰な表現を嫌い、ユーモアや良識を持ち、矛盾に情熱を燃やし、人間性へ好奇心を持ち、生い茂る草や侘しい風のなか朽ち果ててゆく古い館、荒寥たる景色、滝の音、砧をうつ木槌の音、ワイルド・グースの鳴く音、赤鼻のプリンセスなど、つまり不調和ゆえに美しさを増すものに愛情を抱き、それを表現する彼女の才能を遺憾なく発揮することができたのです。
それは作家が当たり前のものを美しく、あるがままに表現できた稀有な瞬間のひとつでした(それが日本でどのように達成され、どのように滅びたのか、それはウェイリー氏の解説を待たねばなりません)。「ありふれたものこそ素晴らしいのです。もし過剰なもの、いっときあっと驚かせるようなものに惑わされていたら、真に意味深い喜びを逃してしまいます」。

 ムラサキによれば、芸術家には二つのタイプがあります。つまり時代の好みにあうつまらぬ作品を作る者と、「人びとが実際に使う日用品に美を与え、伝統にかなう形に仕上げる者。人を感心させたり驚かせたりするのは何とたやすいことか」と彼女は記しています。「嵐のなか荒れ狂う海のモンスターを描く」など子供だましで、それは天より高く誉め讃えられます。けれど「ごくありふれた山や川、どこにでもあるけれども美しく調和のとれた家、こんな風景を地道に描くこと、または世間からは離れて人目につかない垣根の向こうや、ささやかな小山に茂る木立を、ふさわしい構図や比率で綿密に描く――、それには一級の匠の技が必要で、並みの職人では失敗作の山」となるのです。
 私たちにとってレディ・ムラサキの魅力の幾分かは、たしかにある意味、偶発的です。彼女が「どこにでも見られるような家」と記すとき、私たちはサービトンやアルバート記念碑[6]から何千マイルも離れ、菊と鶴に飾られた、優美で夢のような館をすぐに思い浮かべるのですから。現代のイングランドでは望むべくもない背景や雰囲気を纏う――しかも私たちはそれを喜んで纏わせるのです。
 とはいえ、これほど見事でありながらほんのわずかなデカダンスもなく、これほど繊細でありながら爛熟した文明特有の頽廃や過剰さのない瑞々しい若さを、美化して感傷的に捉えては――そうしたい誘惑に駆られますが――彼女に対して不当でしょう。ムラサキの魅力の本質は、菊や鶴といった表面的なものではありません。それは彼女が率直に信じたこと――エンペラーや侍女たちによって、また彼女が吸っていた空気や目にしていた花々によっても助けられていると感じますが――つまり、真のアーティストは「人びとが実際に使う日用品に美を与え、伝統にかなう形に仕上げ」ようと努める、ということにあるからです。ですから彼女は躊躇いや自意識に捕らわれることもなく、無理して苦しむこともなく、魅惑的なプリンスの物語を語り続けたのでした。そのプリンスは――〈ウェイヴ・オブ・ブルー・シー(青海波)〉を優美に舞って、並みいる皇子や高貴なジェントルマンを涙させ、わがものに出来ぬ女性たちを愛し、たいへんな放蕩ぶりも完璧なる儀礼で許され、また子どもたちと戯れ遊ぶ姿も魅力に溢れ、彼の恋人たちみながよく知るように歌は最後まで歌わぬほうが好ましいと思う、そんなプリンスです。
レディ・ムラサキが女性なのですから当然ながら、プリンス・ゲンジの心の多面性を照らし出すのに、女性たちの心を媒介(ミディウム)として選びました。アオイ、アサガオ、フジツボ、ムラサキ、ユウガオ、スエツムハナ。美しいひと、赤い鼻のひと、冷たいひと、情熱的なひと――彼女たちは明晰な、あるいは狂ったような光を、中心にいるこの朗らかな青年に次々と投げ掛けるのです。彼は走り去り、追い求め、笑い、嘆き、いずれにせよ常に人生の騒がしさ、躍動と喜びのただなかにあります。

 ムラサキの筆からは、急ぐことも休むこともなく、また衰えぬ豊饒さで物語が後から後から流れ出ます。物語を紡ぐこの才能がなければ、『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』は六巻が満ちる前に干上がってしまうのでは、と心配になるでしょう。でも彼女の才能をもってすれば、そんな懸念は不要です。ウェイリー氏の美しい望遠鏡越しに大きく輝かしく静かな新星(ニュー・スター)が昇るのを、私たちはここで待っていればよいのです。
――とはいえ、一等星というわけではありません。いいえ、レディ・ムラサキはトルストイやセルバンテス、そのほか西洋の偉大なストーリーテラーと並べるわけにはいかないでしょう。彼らの祖先たちは、ムラサキが「格子窓のあいだから笑みこぼれる白い花」を眺めていたころ、戦闘に明け暮れ、小屋に立て籠もっていたのですから。東洋(イースタン・ワールド)では、ホラーや恐怖(テラー)や卑しさ、経験の根といった要素は取り除かれ、そのために粗野ではあり得ず、下品も問題外。けれどそれとともにある種の生命力や豊かさ、人間精神の成熟もまた消失し、黄金は銀となり、ワインは水で薄められてしまうのです。ムラサキと西洋作家を比べれば比べるほど、彼女の完璧さと西洋作家の力強さ(フォース)の対照が明らかになるばかりでしょう。

 それにしても美しい世界――この物静かなレディは、良い生い立ち、洞察力、陽気さを兼ね備えた完璧な芸術家でした。読者はこれから何年も、彼女の小さな森を訪れ、物語のなかに月が上り雪が降るのを幾度も眺め、ワイルド・グースが鳴く声や、フルートやリュートやフラジョレットの音に耳を傾けることになるでしょう。一方のプリンス・ゲンジは、人生の酸いも甘いもすべて味わい、優雅に舞い踊り、人びとを涙させ、けれど決して宮廷儀礼(デコラム)の域を超えることなく、何か異なるもの、より佳きもの、手の届かぬものを求め続けることを決してやめないのです。

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 ヴァージニア・ウルフによる本書評ヴァージニア・ウルフによる本書評「この美しい世界 レディ・ムラサキの完璧さ」(The Tale of Genji: The First Volume of Mr.Arthur Waley’s Translation of a Great Japanese Novel by Lady Murasaki) は、一九二五年七月刊のイギリス「ヴォーグ」誌に発表されたものである。ヴァージニアは、この少し前のディナー・パーティで、アーサー・ウェイリーに会い「寡黙で控え目なひと」と友人宛の手紙に書いてる。また、一九二五年六月十四日の日記には、書評のために「ゲンジを読まなくては」と記し、ほかの手紙にも「ウェイリーの日本の小説と『デヴィッド・コッパーフィールド』を読んでいるところ」との記述が見られる。
 イギリス「ヴォーグ」誌は、一九二二年から一九二六年にかけて「ファッションよりも文学嗜好の強い」ドロシー・トッドが編集長で、彼女の在任中はとくにファッションやコスメティックの記事と並んで、イギリスの前衛的な作家たち、なかでもブルームズベリー・グループの記事が積極的に採用された。一九二〇年代の本誌は「素晴らしい文化のハイブリッド」であり、ヴァージニア・ウルフ、レナード・ウルフ、クライヴ・ベル、ヴァネッサ・ベル(ヴァージニアの姉)、ロジャー・フライ、E・M・フォスターなども記事を発表している。アーサー・ウェイリー翻訳による『源氏物語』第一巻刊行の先行プロモーションとしても絶好の場となった。(訳・解説 毬矢まりえ、森山恵)

Woolf, Virginia. The Essays of Virginia Woolf Volume IV: 1925-1928. Ed. by Andrew McNeillie. The Hogarth Press. London.
de Gruchy, John. Orienting Arthur Waley: Japonism, Orientalism, and the Creation of Japanese Literature in English. Univ.of Hawaii P, 2003.

[1] エルフリック(955?―1010?)。イギリス・ウィンチェスターのベネディクト派修道士・神学者。『説教集』(990─992)、『旧約・新約聖書論』(1005─1012)。そのほか『聖書聖訓』『聖書列伝』が知られる。
[2] スヴェン一世(960─1014)。デーン人の王(在位985─1014)、ノルウェー王(同985─995、1000─1014)、イングランド王(同1013─1014)を兼ねる。
[3] 十三世紀初期、抒情詩の一節。作者不詳。
[4] 以下、本書評中の『源氏物語』からの引用は「帚木」帖、「夕顔」帖のもの。
[5] アルフレッド。アルフレッド大王(848/849─899)。イギリス、アングロ・サクソン時代のウェセックス王。(在位871─899)。デーン人侵略の危機に瀕していたイングランドを救った。『アングロ・サクソン年代記』の編集に着手。
[6] サービトンはロンドン南西部郊外の町。テムズ川沿い。アルバート記念碑はロンドン、ケンジントン・ガーデンの北側にある。ヴィクトリア女王が夫アルバート公を追悼して1827年に建てた。


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