見出し画像

擬タイ日記 第2回

タイ文学研究者・福冨渉さんが初めて記す〈自分〉と〈タイ〉のこと。発達障害を抱える著者が、まともな人間に“擬態”して生きづらさと向き合うなかでタイのカルチャーがどのような影響を与えたのか掘り下げていく、自己探求型エッセイ。月1回更新予定です。バックナンバーはこちら

mixiからメールが来た。
若いひとは知らない可能性もある、あのSNSのmixiだ。

連載タイトルにも入っているけれど、昔から割と「日記」をつけている。とはいっても「割と」くらいなので、継続的に毎日つけているなんてことはまったくない。衝動性の塊で、あらゆるタイプの「継続」が苦手な人間である。
日記を書くなんて行為はどだい向いていない。でも書かないといろんなことを忘れていくし、たんに自分の経験とか感情を書きとめておきたいという欲望もある。

結果、数ページとか何十ページとかだけ書いたきりの日記帳やノートが、書斎の収納ボックスにしまわれている。新しいノートを買って、やるぞ!と書き始めては途中で書かなくなって、また思い出して新しい日記帳を買って……ということを繰り返していたせいだ。高校生のときくらいからだろうか。

物理だけではなくてウェブにもあるからやっかいだ。
そもそもぼくが日記を書き始めたのは、中学生のときに、友人たちのあいだで流行っていた「ガイアックス簡単ホームページ」というサービスで自分のページを作ったところまでさかのぼる。それからジオシティーズに移って、FC2に移って、ライブドアのブログを作って、jugemのブログを作って、とやってきて、途中でmixiとかFacebookとかtumblrとかHi5とかのSNSが加わった。

馴染みがないひとにはなんのこっちゃな名詞の羅列かもしれないが、とにかく20代前半までにかなりの数の日記的なやつをアナログとデジタルに書き散らしていて、いまも残っているものも、もうこの世から消えてしまっているものもある。

ADHDのせいなのかどうかはわからないが、若いころの記憶が割と曖昧だったり、スポッと抜けている時期があったりするので、日記たちの蓄積をもって自分という存在の同一性みたいなものとか継続性みたいなものを担保してほしいと感じるときもあるのだが、もう読めないものは読めないので、いわば歯抜けの過去なのだ。うーんもったいない。
最近、大河ドラマの『光る君へ』を見ているが、『小右記』の藤原実資はじめ、あの時代のひとたちの筆まめさには感心してしまう。やはり日記は朝に書くのがいいだろうか。

タイのひとたちはどうかなと考えると、もちろんぼくのまわりにも、日記らしきものとか、日々の気づきのメモみたいなものをつけている友人たちがいる。そういうのを仕事に使う友人が多いせいもあるかもしれない。
 
ただ日本と比べると、日記カルチャーはそこまで広がっていないような気がする。文芸だって、100年ちょっと前までは圧倒的に口承のほうが優位だったくらいだ。文字によって確定された変化しない記録を残す、という行為に対する意味づけが違うのかもしれない。
寺院の壁画なんかも、古くなってきたものはもともとのものに向けて「修復」していくよりも、上塗りしたり描き足したりなんなりで「更新」していくような意識が強いようにも見える(まったく直そうとしないわけでもないんだけど)。

このあたり、タイにおける文化のアーカイブという点では「それでいいのか」と思わなくもないのだが、一方では、生生流転・諸行無常こそ本質なりみたいな雰囲気もある。変わってしまうという自然を引き止めようとすること自体がわたしたちのエゴに過ぎないのだ、というとそれこそ寺院の説法めいてくるけれど。

あと、もしかすると、前回と同じような話になるけれど、自分たちの存在に対する強い信頼感も関係しているのかもしれない。自分たちはこれまでも(細部に常なる変化はあれど)ずっと自分たちであったというしっかりした認識は、生きていくうえでとても安心できる足場になってくれるはずだ。
そうやって存在が担保されていたら、過去の蓄積を振り返り続けるより、これからの一歩一歩を見つめるほうに気が向く可能性がある。こういうのを雑にまとめると「楽観的」となるのかもしれないが。



「だろう」と「かもしれない」だけでずいぶん脱線してしまったけれど、そうやって過去に書き散らかしていた日記SNSのひとつからメールが来た。セキュリティに関するお知らせだかなんだかもう忘れたが、おかげで久々にログインすることになった。

知らない方向けに書いておくと、mixiの使い方は、基本的には現在多くのひとが使っているその他のSNSのものとそんなに変わりない。
自分のアカウントを作って、他人のアカウントとつながる。つながった同士のことをmixiでは「マイミク」と読んでいた。そして日記とか雑文を投稿して、マイミクに読んでもらう。結局あれは人間関係にどういう影響を与えていたのかいまいち判断のつかない、だれが自分のページを訪れたのかわかる「足あと」という機能もあった。

さてそんなマイミクは、お互いの「紹介文」というのを書くことができた。相手のひととなりをほかのマイミクたちに紹介してあげるという機能だったのだろう。ぼくのところにも、10年以上前に書かれた紹介文がいくつか残っている。そのなかで印象に残っているものがある。
 
同じ高校と大学に通っていた、5つ上の先輩からのものだ。
残念ながらいまは消えてしまっていて正確な内容を参照できないのだが、たしか「仲良くなると距離が突然近くなる」というようなことが書いてあった。たとえばぼくはこの親しい先輩に対して、自分が高校生で相手が大学生のときから20年近くほとんどずっとタメ語で話している。もちろん最初は敬語だったけど。この紹介文はおそらく、そんな感じでぼくがかれとの距離を詰め始めてすこししたころに書かれていた。

いまはずいぶん気をつけているつもりだが、上のエピソードのとおり、昔からたびたび「他人との距離が近い」と言われることがあった。これは物理的な距離の話ではなく、基本的には心理的な距離の話だ。

タメ語の話もそうだし、どうやらほかのひとは簡単には話さないらしい「重い」話題をあっさりと開示してしまったり、逆に知りあってからあまり時間の経っていない相手を居酒屋で質問攻めにして「尋問かよ!」とか「インタビューかよ!」と言われたりしたこともある。ひととの距離感のとり方が「一般的」と考えられるところからズレることがあるらしい。

これが人間関係においてプラスに働くこともあれば、当然マイナスに働くこともある。ただ10代とかだったら「変なやつ」で済んでいたことでも、歳を取ればそうはいかないというパターンはいくらでもある。だから気をつけている。実際にうまくいっているかはわからないけれど。

それでいうと、子どもというのは基本的に、大人と比べて他人との距離が近い。これは物理的な距離もそうだし、心理的な距離でもそうだろう。
自分の子どもたちを見ていても、人見知りだとか恥ずかしさだとかいったものは当然さまざまな場面で発揮されるのだが、一度自他の距離とか境界を乗り越えると、あっというまに相手を自分の世界地図のなかに配置する。

このあいだ大学時代の友人が家に遊びに来たのだけれど、数時間しか滞在していないかれが帰ろうとするときに5歳児が泣き始めたので、ちょっとびっくりしてしまった。その数時間のうちに、自分の領域に相手を迎え入れていたらしい。
まあ子どもの場合はそもそも自他意識の発達が進んでいないというのは子育てしているとさまざまな機会に触れる言説でもあり、単純に世界のあらゆる存在を自分のものだと思っている可能性も高い。
 
ただ、そうやって他者を自分の世界に受け入れられるというのは、基本的には悪いことではないはずだ。むろん自他の境界が曖昧なだけだと、いろいろな場面で困難や危険を感じたりする(あるいは逆にだれかにそう感じさせてしまう)こともあるかもしれない。
でも「自分は自分、他人は他人」というそれなりにしっかりした線引きのうえに暮らしつつ、必要に応じてすぐその境界を曖昧にして、自分とは違う存在をこちらの領域に受け入れたり引き受けたりするというのは、ぼくの目からするとなかなか理想的なあり方でもある。



さて、子育てをしていると、それまで思いもしなかったものを手にする機会が増える。おむつなんかの必需品はもちろん必要になるのだが、「これは一生買わないだろうなあ」と考えていたものを、気がつけば買う羽目になっていたりする。それもまた、子どもという圧倒的な他者が自分たちの世界に登場したゆえなのかもしれない。

この一年くらいでいうと、バナナスタンドだ。Amazonで、ステンレス製のものを1,980円で買った。もっと安いのもいろいろあったのだが、それなりにしっかりした作りで安定しないと意味がないかもしれなかったので。ぼくやパートナーがバナナを嫌っているわけではないのだが、子どもが登場してから消費量が飛躍的に増えたので、ずっと食卓の上にバナナが置いてあるみたいになってしまって、なかなか邪魔になっていた。かといって冷蔵庫に入れておくとすぐ変色してしまうしで、生活空間でスペースをとらずにバナナを保管しておくには、素直にスタンドを用意するのが一番かもしれないという結論に達したのだった。
 
バナナはそのまま食べたりヨーグルトにぶちこんだりできて応用性が高い。衣をつけて揚げバナナ、もやったことはあるが、これは日本で一般的に流通しているすっかり熟れて柔らかくなった甘いバナナだとどうもハマらない。タイでクルアイ・ケーク(กล้วยแขก)と呼ばれる揚げバナナ料理みたいに、固くて酸味があるものを使ったやつのほうが個人的には好きだ。

といいつつ、朝食に並ぶ率がいちばん高いバナナメニューは、バナナパンである。べつにバナナを混ぜてパンを焼いたりしているわけではない。ただバナナを薄い輪切りにして、正方形に等分した食パンの上にひとつずつ並べているだけだ。食パンを四等分にしていれば「4バナナパン」、九等分にしていれば「9バナナパン」、一六等分だと「16バナナパン」になる。
 
現・5歳児がまだ2歳児くらいだったころ、イギリスのNumberblocksというアニメに激ハマりしていた。そこで知った、小さな正方形を縦横で同じ数だけ並べるともっと大きな正方形ができるという事実にかれが興奮しまくっていたときに爆誕したメニューで、いまではあとから登場した現・2歳児のほうもなにかのご馳走と勘違いしているらしい人気ぶりだ。
 
そんなわけで、日によっては朝の忙しい時間にバナナの輪切りを25スライス×2人前用意しなければならないときもあり(しかも25バナナパンのときは食パンを切るのも一苦労である)、こんなにバナナを切る人生になるとは、とひとりごちたりしている。



そうやってバナナをさくさく切っているとよく思い出すのが、幽霊のことだ。もしかすると思い出さないひとも結構いるかもしれないが、ぼくは割と思い出す。
バンコクでもちょっと郊外に行くといきなり数が増えるが、タイにはそこらじゅうにバナナの木が生えている(厳密にはあれは木ではなくて背の高い草なのだという話だが、タイ語では「木」のイメージを喚起する単語「トン ต้น」で呼んでいるので、とりあえず木と呼ぼう)。
もちろん品種によってさまざまあるのだとは思うが、初めて見たときは想像以上の大きさにしばらく「これがバナナのわけないだろう」と憤っていた記憶がある。
 
地域によってもいろいろ差はあるようなのだが、タイでは全般的に木や植物に宿る霊についての伝承とか信仰がたくさんある。
 
大きなくくりだと、ルッカ・テーワダー(รุกขเทวดา)とかナーン・マーイ(นางไม้)といって、木に宿るとされる神や精霊を指す言葉がある。
もうすこし個別の存在でいうと、たとえばタキアンという木に宿るとされるナーン・タキアン(นางตะเคียน)。あるいは、タイ語では「クルアイ・ターニー กล้วยตานี(ターニーバナナ)」と呼ぶバナナの品種リュウキュウイトバショウの木に宿るとされるナーン・ターニー(นางตานี)。

そう、バナナにも霊が宿るのだ。これらの神性は、多くの場合、女性の姿として描写される。そしてたいていは大切にしないと(あるいは大切にしようがしまいが)人間に害を与えるとされている。

とはいえ、自然に霊的なものが宿るという感覚はべつにタイ独自のものでもなんでもない。日本でもほかのアジア圏でもどこでも、同様の信仰や民話や伝承はいくらでもある。
ただタイに仕事でたびたび関わっていると、タイのひとたちの霊的なものとのフレンドリーさ、というか、妙な距離の近さを感じたりする。怪談話ひとつとっても霊がひどく「人間的」に描かれていたりするし、現代の人々の日常生活のなかに、さまざまな信仰の行為や感覚がまったく自然なものとして根付いていたりもする。「T字路のどん突きのところにあるコンドミニアムは買うな!」とか、現代の日本ではあんまり聞かなそうな会話だ(T字路のどん突きは霊的なものが溜まりやすいそうですよ)。

個人的に印象に残っているのは、何年も前にタイのNova Contemporaryというギャラリーで観た、アーティストのチャイ・シリ(ชัย ศิริ)の作品だ。独裁政権下のビルマを逃れ、サルウィン川を泳いでタイに渡ったその母の記憶と、アーティスト自身によるフィクショナルな物語を重ね合わせた作品たちで、展示のメインは、かれが母の通ったかもしれないルートを舟に乗ってたどる映像作品だった。

会場の一角には金属製の大きな鉢に植えられた1本のバナナの木があって、そこに「Banana Ghost」というタイトルがつけられていた。近くにはアーティストの書いた物語の台本のようなものが掲示されており、それを読むとどうやらこのバナナにはReenaという女性の霊が宿っている(とされている)らしいことがわかる。
さらに展示内の別の場所にはそのまま「Reena」というタイトルがつけられたセピア色の写真が飾られているのだが、そこに写っているのは(おそらく)アーティストの母自身が微笑んでいる姿だった。
 
そのときは、きわめて民話的なバナナの木に宿る霊と、政治的迫害を受けた自身の母の姿を同一視するというアプローチが即座に理解できずに、しばらく脳の関節がズレたような感覚でいた。
ただこれもそのうち、霊的なものとの距離の近さ、というところからすんなり納得できるようになっていった。母と木霊を同じ平面に置くことのなにがおかしいだろうか。ずいぶん優しくてロマンティックな作品じゃないか、と。
 

「まとも」な人間として育つなかでわたしたちはいつも、自他の境界をきちんと引くこと、適切な距離感を保つこと、そのうえで可能な限り他者の領域を侵害しないことを求められ続ける。
もちろんこれは身の安全とか安心のためにごく当然に必要な社会的規範でもあって、その要求が決して間違ったものというわけではない。

ただ、あまりに明確かつ厳格に引かれた自他の境界線が想像力や共感の到達を妨げることも、つねに起こりうる。自分と「異質なもの」のあいだを遮断して見かけの安心を確保した世界が、ほんとうにわたしたちの世界なのだろうか?

5歳児がぼくの友人に対して向き合っていたみたいに、チャイ・シリがバナナの霊=母に向き合っていたみたいに、自分と異質なもののあいだの境界を気軽に飛び越えたり、必要なときはすぐに扉を開けるような身のこなしを覚えたいものである。
こちらにお越しいただいた方にはお好きな数字のバナナパンをプレゼント。チョコソースもかけますよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?