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男の愛/町田康

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「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月…
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#天田愚庵

大和で盆ゴザ、アーコリャコリャ/町田康

 人違いで赤鬼の金平の一味と見做され、役人に追われた次郞長は尾張を逃れて水路、伊勢に趣き…

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4週間前
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人違い/町田康

 保下田の久六は最終的に一の宮多左衛門と和解した。  和解と言うと、裁判所で裁判官に決め…

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2か月前
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次郎長はなにかあっても久六を応援する/町田康

 安政二年十一月、八尾ヶ嶽宗七改め保下田の久六より次郞長の許に手紙が届いた。急ぎ封を切る…

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3か月前
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大政の来歴・尾張からの手紙

 宗七が上州館林江戸屋虎五郎のところへ発って数日、次郞長は気が脱けたようにボンヤリして過…

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3か月前
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弊履/町田康

 嘉永三年十一月、清水港は秋であった。次郞長方の表の方では箒とちり取りを持った乾分が落ち…

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5か月前
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骨折してもうれしい/町田康

 嘉永三年、九月の昼下がり、次郞長は家で物思いに耽っていた。人はなぜ生まれてくるのだろう…

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5か月前
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福太郎の去り、次郎長の涙

 弘化二年。また夏がやって来た。次郞長は清水に戻って一家を構えている。「あすこン家は姐さんがいい。お蝶さんがいい」ってんで旅人がひっきりなしにやって来る。 「お控えなすって。手前、生国と発しまするは……」  ってアレである。それはやくざの親分としてはいいことなのだけれども困った事があった。というのは。そう、旅人が米の飯を食う、という一事であった。  次郞長方には毎日数十人の旅人が来て、次郞長一家では日に三斗の飯を炊いた。その米代をいったいどうするのか。 「はは、米屋をしていた

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男の貫禄・女の始末

 江尻の大熊の妹・蝶を嫁に貰ったことが次郞長に何を齎したのか。そりゃあ、いろんな事を齎し…

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9か月前
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結婚/町田康

 林の中で次郞長は八尾ヶ嶽に言った。 「俺と結婚してくんねぇか」  八尾ヶ嶽は戸惑った。な…

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10か月前
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福太郎一代記

 白い長羽織を着た男の恐るべき人体実験により身体が膨らみ、恐るべき膂力を備えた福太郎は、…

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1年前
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地獄の南蛮船/町田康

 弘化三年七月。次郞長は三河で知り合った相撲取り、八尾ヶ嶽宗七とともに伊勢にいた。次郞長…

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1年前
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次郞長、八百ヶ嶽の窮境を救ふ/町田康

 恋の恨みで密告したコン吉を制裁して気が済んだ次郞長は三河を去り、気儘なやくざの旅に出て…

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1年前
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やくざの制裁はとどめを刺さない/町田康

 一方その頃、弁五郎はと言うと、コン吉という百姓の家に隠れていた。村はずれの小さな百姓や…

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左右社
1年前
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全裸旅行のたのしみ/町田康

 人間とケダモノ、どこが違うか。学校では、火の使用、二足歩行、なんて習ったが、猿は立って歩くし、寒い折、焚き火をすれば猿も当たりに来る。  そんなことよりもっとわかりやすい人間とケダモノの違いは、「吾輩は猫である」の猫が言っている通り、着物を着ているかいないかで、犬や猫は着物を着ない。猿も着ない。  だけど人間はどんな貧乏な人間でも表を歩くときは着物を着ている。  ところが弘化二年夏、小田原の佐太郎のところを出て武州高萩に向かった次郞長、虎三、直吉、千代松の四人《よったり》は

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