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骨折してもうれしい/町田康

【第55話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 嘉永三年、九月の昼下がり、次郞長は家で物思いに耽っていた。人はなぜ生まれてくるのだろうか。死んだらどこに行くの? 酢味噌っておいしいよね。俺は好きだよ、といった事柄について。と、その時も表の方に旅人が立った。
 入り口のところで膝を突いて手を後ろにやって、どうしたって刀を抜けない恰好をするのは、「当家にお手向かいするんじゃありません」と言うのを口で言わず、形で見せるやくざのしきたり、「お控えなすって」と言うのは、身分の軽い自分が先に挨拶をするので聞いてください、というこれも旅人の習い、駆け出し時代の次郞長も最初はこれがぎこちなかったが、修行が積んでくると、これが様になってくるし、この受け答えによって、相手がどれくらいの奴かが判断できた。
 その日、次郞長方に来た甲州無宿の時蔵という男は年はまだ若いがなかなかに度胸の据わった男で顔も美しい。あちこちを旅して、いろんな話を知っているから話がおもしろい、一通りの仁義を切った後、茶を飲みながら話をしていると時蔵が、
「しかしなから親分さん、国定村の忠治さんは残念なことでござあしたなあ」
 と言う。国定村の忠治と言えば、当時、日本国中、知らない者のない大親分、驚いた次郞長が、
「忠治どんがどうかしなすったのかい」
 と問うと時蔵、
「御存知なかったですかい。そりゃ、そりゃ。親分さん、忠治彩分は先月、お上に御用弁になっりましたぜ」
 と言い、それを聞いた次郞長は思わず知らず、
「そうか。捕まったか」
 と洩らし、目を閉じて天を仰いだ。忠治の召し捕りに上役人が躍起になっているという噂は次郞長も聞いてはいた。しかし、でっぷり太ってはいるがすばしっこく、腕が立ち、忠治が一声掛ければ、千人から二千人の命知らずが集まる。大前田の栄五郎、安東文吉、台場の久八、黒駒勝蔵、山梨の巳之助、武蔵屋周太郎といった名代の大親分も、忠治と兄弟分の盃を交わしており、そこいらの木っ端役人が追っかけ回したところで捕まることはない、と高をくくっていた。
 その忠治が捕まったという。目を閉じた次郞長は、「いくら隆盛を誇っていてもやくざの命なんて儚いものだ。最後の最後は三尺高い木の上に、首を晒すことになるんだ。そりゃあ、おいらだってそうだ。変わりねぇ。この時蔵とかいう若い奴もそうだ。どっちが先にくたばるか、知れたものでねぇ」と思った。
 その時、次郞長は下半身に妙な疼きを感じた。「ん? なんだこれは? もしかして病?」そう思った次郞長は、目を開いて目の前に居る時蔵の顔を見た。次郞長は言った。
「おまえさん……、美しいなあ」
 時蔵は視線を逸らし、頬を染めてモゾモゾした。そんな時蔵に次郞長は言った。
「お嫌いですか?」
「お好きです」
 そうと決まったら話は早いや。後でゆっくり愉しもうじゃネーカ、と言うところ、又候、表の方に立つ者があり、最近、次郞長の乾分になった若い者が応接に出たが暫くして戻ってきて言った。
「親分、旅人さんがいらっしゃいやした」
「ああ、そうかい。じゃあ、てめーたちでいいようにしねぇ」
「いえ、そうでねぇんで」
「なんデー、どうしたんデー」
「親分に御挨拶がしてぇと」
「俺に、知り合いかなー、どんなお方だ」
「大きなお方です」
「大きい? どれくらい大きい?」
「政五郎の兄哥よりまだ大きいです」
 政五郎と言うはこれより少し前、次郞長の乾分になった男で生国は尾張、六尺豊かの大男で力も強く、性格は温和にして思慮深く、この頃から次郞長の参謀格であった。
「大政より大きいっテーなら相当大きいな。一人かい」
「いえ」
「二人か?」
「いえいえ」
「五人か?」
「なかなか」
「いったい何人なんデー」
「十七人さんです」
「十七人、そら又、大勢じゃネーカ」
「へえ、そうなんす。そしてね、そいつらが皆、大きいんです」
「皆、大きい?」
「へぇ」
「なんだ、ソリャ」
 と次郞長、首を捻り、そしてやがて膝を打った。
「そら、おまえ、宗七にちげぇねぇ」
「宗七というのはどちらさんで」
「おめぇは最近、家に来たから知らねぇのも無理はネー。宗七は俺の兄弟分よ。元は江戸相撲で鳴らした関取で、今じゃ尾張で、いい親分になっている。身体が大きいのは、あすこ身内は全員、角牴だからだよ」
 と次郞長、嬉しそうに説明し、自ら立って、表の間に出ると、土間に所狭しと、十五人の大きな男、その真ン中に居たのは思った通り宗七(福太郎)で、

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