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塩かけても死なないぞと。

こんばんは。さゆです。

昨日、様々な方のnoteを拝読していて気づいたのですが、ここnote村は、何だかすごく意識の高い勉強家の方が多いのですね...!

そんなキラキラnote村で、日頃Twitterという名のガンジス川で、愚痴しか垂れ流していない私が、Twitterではまだ垂れ流し足りぬ...私の愚痴は140文字なんぞでおさまらんぞ...舐めんな...と、のこのこヒョンヒョンnote村にやってきて、「ナメクジ星のヌメ子です」と名乗り、自分のダメっぷりを吐露しているのですから、世の中は意外と心が広いのかもしれません。

はじめは、何だかちょっと楽しいユーモアあふれるエッセイが書けたら良いなあ...とはじめたnote。

しかしながらnote連続更新、17日目を迎えてみると、見事に暗いことしか書いてないし、どこで書くよりも心の声がダダ漏れだしで、あらまあどうしましょう...という感じです。

まあどうしようもないのですが( ̄▽ ̄;)

私は文章を細々と、本当に細々と仕事にして、7年目です。

...思うのですが、文章って人の性格がバンバン出るのですよね。隠そうと思ってなんとか一生懸命取り繕って書いても、どこかしらに必ず出る。出ちゃうんです。自身の良いところも悪いところも。

ちょっとここは調べず適当に済ましてパパっと書いてやったぜ...だとか、他者のことを慮れていなかったりだとか、そういうものも、読者はすぐに見抜きます。だから、怖いです。

でも、私はなんだかんだ文章を書くことが生き甲斐で、仕事が減っても、文章はずっと書いていたくて、noteやブログやTwitterやInstagramで何かしら垂れ流しているし、ちょっと面白いことや、悲しい出来事でさえも、わざわざ誰かが見ているインターネット上で報告してしまう。

承認欲求もめちゃくちゃあるけれど、それだけじゃない部分も確かにあって、書く事で、そしてそれを誰かに読んでもらうことに、とても幸せを感じているのです。

今は「読みたい人」より「書きたい人」の方が全然多い、と聞いたことがあります。

いつか、書評エッセイ本を出したいと思っている私にとって、死ぬほど恐ろしい話です。

本屋や図書館で、「書評コーナー」に行くと、もう山のように本が出版されているわけです。それじゃなくても、ネットで「書評」とググれば、面白い読み物がたくさん出てきます。プロの方が書いたものじゃなくても、興味深い文章が無料でたくさん読めてしまうのです。

そんな文章戦国時代に、どうやって他者との差別化を図ろうか、どうやって有名になろうか、私のことを知ってもらおうか、ヌメ子は高知の片田舎でヌメヌメヌメヌメ考えて、今はズドーンと落ち込んでハーゲンダッツやたらみゼリーを食べることしかできてなかったりして、あっという間にもうすぐ33歳になろうとしているわけです。

「田舎だから」というのは、言い訳になりません。(なぜなら私は東京に4年住んでいたからです...)「歳だから」「眠いから」「挑戦するのが怖いから」全部屁理屈だけど、全部認めて欲しかったりする、弱い人間です...。

とりあえず、今日は、ヌメヌメしていたため、遅れをとっている書評の仕事を進めています。そして、今年はnoteで毎日エッセイという名のヌメヌメ日記も綴って、アメブロで読書日記も書いて、Twitterで愚痴を吐きつつ、なんでも挑戦していきたいなと思います。

すぐに落ち込むけど、継続することだけは止めたくないので、中々死なない、塩かけても死なないナメクジとして、頑張りたいなと思います。

さゆ

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