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中国での日本人児童の事件と南京出身の私のお客さんのお父さんの話

中国での日本人児童の殺害事件を受けてあちこちで嫌な投稿を見かける。
たとえどんな理由があろうと他の人の命を奪う言い訳にはならないしそのような犯罪は決して許される事ではないことと、事件を起こした人の行動がその地域の全ての人達を表している事は無いということは、両方しっかり分けて認識しておくことが不必要なヘイトを生まないためにもとても重要だと思う。

事件のあった現地では地元の人々が追悼している。

“児童が通っていた日本人学校や事件の現場には19日午後、地元の中国の人たちが次々と哀悼に訪れ、花をたむけていました。

この中には「深センはあなたのために泣いています。あのひきょう者は深センの人々を代表していない」と日本語で書かれたメッセージが添えられているものもありました”

中国 深セン 日本人学校の男子児童が死亡 駐在員と家族の一時帰国認める企業も | NHK | 中国
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240919/k10014585361000.html

これが人として自然な感情と行動だと思う。罪を犯すごくごく一部の人への怒りを他へ向けてはいけない。

ここまでSNSに投稿したのだけど、私にはとても忘れられないヘアカットがある。

戦時中に日本軍が中国の人々におこなった蛮行に関しては同じように語ることは出来ないのだろうけど、それでも当時の記憶を受け継ぐ人達から私を日本軍を見るような目で見られるのはやっぱり辛いし、少しでも日本人はあの頃とは違う(残念ながらヘイトを撒き散らす人達は少なからずいるのだけれど)ということを知ってほしいと思う。

私のお客さんで南京出身の人がいる。彼は私よりも歳は若いが、もうとても長い間サロンに来てもらっている。一人っ子政策時代に生まれて中国に兄弟はおらず母親は10年ほど前に癌で亡くなって父親は遠い中国で1人暮らしをしている。年に数回帰国して父親を連れてアメリカに戻り父親は数ヶ月息子とその家族と過ごし国に帰っていく。そういうことを何年も繰り返していたけど、長い間彼のお父さんは私のところにカットにくることは無かった。本当は自分が来る時に一緒に連れて来たいのだけどどうしても日本人に髪を触られることに抵抗があるようだと言っていた。

パンデミック前年にお客さん夫婦に次女が生まれて、その年はお父さんはずいぶん長い間こちらに滞在していたようだ。
初めてその時に息子のカットについて来て、私が彼と談笑しながらカットしている様子をずっと見ていた。カットが終わって全く英語を解さないお父さんのところに私は行って、ちゃんとお辞儀をしてから手で髪を切る仕草をしてボサボサに髪が伸びているお父さんに「私に切らせてくれませんか?」となんとか身振り手振りで伝えてみた。その時は引き攣った笑顔で首を横に振って一言も声も発することもなくお父さんは帰っていった。その後も息子のカットについて来たけど、しつこく挨拶する私にちょっと会釈を返してくれるくらいに進歩はしたのだけど、私がお父さんの髪を切ることはなくその年は終わった。

翌年、再びお父さんは息子家族を訪れた。
今年は切らせてくれるかなぁという私に、次回連れてくるからダメかもしれないけど一応予約入れておいてと言われた。
そして4週間後。

お父さんが初めて私の椅子に座った。

その瞬間とてつもなく私は緊張した。勝手に自分で重圧かけて勝手に緊張しているのだけど、とてもこのカットは私にとって大切で、お父さんにとってももしかしたら意味のあるカットなのではないかと思った。
美容学校で生まれて初めてお金を払ってやってくるお客さんのカットをしたときすら殆ど緊張しなかったけど、ずっと日本人が嫌いだったお父さんの髪を切るんだと思うと本当に手が震えた。
北京語も使うそうなので実は中国語で「谢谢您能来(来てくれてありがとうございます)」と「头发短好还是长好(短い方が良いですか?長い方がいいですか?)」という超ベーシックなフレーズはいくつか覚えておいた。中国語は発音悪いと全く伝わらないというのは大学でちょっと中国語齧ってみて痛感してたけど、必死に話す妙な熱量はしっかり汲み取ってくれたようで、ちょっと軟化した苦笑いで応えてくれた。それ以上の中国語も私は喋れないし、お父さんは英語は全く喋れないし、とても無口にまだちょっと震える手でカットは終了した。最後にもう一度「谢谢你能来」と目を見てしっかりと言った。

その翌月にもカットに来てくれて、そのあとお父さんは中国に戻り、その数ヶ月後にパンデミックとなった。
パンデミックは明けたけど、年齢的にもうキツいと遥か遠くのフロリダまでお父さんが来ることは無くなった。
ちゃんと毎回伝えてくれているかどうかは分からないけど、お客さんにはよく彼のお父さんの近況を尋ね「お父さんに宜しくつたえておいて」とお願いしている。

お父さんが私にカットさせてくれるまでに5年かかった。
私にとってはその無言の5年自体が学びになった。
何かちょっとだけでもお父さんの中で変わったところがあったら嬉しい。

追記:
私は中学の時の担任の先生に恵まれ、教科書以外に学んだ方が良いことの1つとして「南京大虐殺」があり各グループに分かれて図書館で資料を集めてまとめて発表するという経験をした。
とても貴重な経験となりました。

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