褐色肌の少年にガイジンと呼ばれた日
学童保育(がくどうほいく)という言葉を広辞苑で引くと、以下のような説明が現れる。
がくどう‐ほいく【学童保育】
共働きなどにより昼間保護者が家にいない家庭の学齢児童を、放課後や休暇中に保育すること。1997年児童福祉法改正により、放課後児童健全育成事業として法制化。
地域によっては「学童クラブ」と呼ぶところもあるらしい。
共働きの両親を持った私は、小学1年生から3年生までの間、地域の学童保育へ通っていた。
学校が終わったら自宅には帰らず、学童へ直行する。そこで宿題を済ませ、友達と遊び、本を読んで過ごす。習い事のある日や友だちの家へ遊びにいく以外では、学童は第2の我が家のようだった。
学童は古い一軒家を改装した木造の平屋で、おもちゃやフラフープ、一輪車で遊べる大きなプレイルームのほかに、読書部屋があった。小学校の図書室では見たことのない小説や漫画がぎっしり詰まった読書部屋に、幼い私は夢中になる。
その日はちょうど友達が学童に来ない日だったので、のんびりと本を読もうと決めていた。本棚から一冊を選び、縁側に腰掛ける。
太陽が顔を出さない曇りの日だった。グラウンドから私の方へ、話したことのない4年生の男の子がふたり、ニヤニヤしながら歩いてくる。「おい」と声をかけられたので顔をあげると、
「お前の名字、変だな!ガイジン!」と、一人の少年が私に向かって叫んだ。
続けてもうひとりの子も「ガイジン、ガイジン!」と笑いながら連呼する。
あまりに急なことに、8才の私は呆然とし、本を持ったまま固まった。そして驚きは、すぐさま悲しみへと変わる。
「ガイジン、ガイジン!」と後から連呼した少年は、中東のどこかの国と日本のハーフの子だったのだ。
彫りの深い顔立ちと、褐色の肌。その少年は、私が一方的に仲間意識を感じていた相手だった。彼を初めて見たのは小学校の運動会だった。異国の匂いがする彼に、「私以外にも外国から来た子がいるんだ」と嬉しい気持ちになったことを覚えている。
少年ふたりは、固まっている私を見て満足したのか、笑いながら走り去っていく。
なんでこんなことを言われるんだ。
ハーフのあの子は日本人のお母さんがいるから「ガイジン」じゃないの?
わたしは日本語しか話せないのに「ガイジン」なの?
頭の中で疑問はぐるぐると回り続け、自分というアイデンティが揺らいでいく。それまで私の中国語名をからかう子は時折いたが、同じく海外にルーツを持つ子どもに罵倒されたことは、後にも先にもこの時が初めてだった。
***
小学校を卒業した私は、地元の中学校でその中東ハーフの少年に再会する。
キリンのように背が伸びた中3の彼は、制服のズボンを腰履きし、精一杯何かに抗っているように見えた。
学年も部活も違ったので話すことは無かったけれど、友人と飄々と笑いあう彼の顔を見るたびに、どこか嫌悪感を感じていた。きっと彼は自分が言ったことは何も覚えていないだろう。でも、私は忘れることができなかった。
ある日の休み時間、クラスの男の子たちと先輩たちの話になり、偶然ハーフの少年の話が出た。小学生の頃、彼と同じバスケチームに入っていたという子が「あの先輩、昔すげーいじめられてたんだよ」と呟く。
私は耳を疑った。
「日本人とのハーフなんか信じられない、お前どう見ても外人じゃんって言われたり、肌の色を笑われたりしたんだって」
子どもって残酷だよなぁと続ける彼の言葉を聞きながら、私の胸は早鐘を打つ。あの少年もまた、自分が外国人であることに苦しめられていたのか。
のっぺりとしたアジア人顔の私は、日本人の中にいれてしまえば、名前を言わない限り外国人だと分からない。簡単に同化しやすいのだ。だけど、彼は違う。日本人の血が入っていて、日本性を名乗っているのに、見た目だけで外国人だと勘違いされてしまう。
今でこそ、他文化にルーツを持つことはひとつの個性だと思っている。しかし、横並びに画一化される日本の義務教育に染まっていた頃の私には、彼の立場はなかなかしんどいものに思えた。
国籍や見た目、名前や文化の違い。そんなどうしようもないことを揶揄される辛さは、痛いほどわかっている。
その日を境に、私は彼を許そうと決めた。許すということは憎むよりもずっと気持ちが楽になる。彼もまた、心に悲しみを持っていた。人の痛みに敏感になるには幼すぎたのかもしれない。
***
グラウンドの砂でざらついた縁側。馬鹿にしたように笑う褐色の肌の少年。悔しさのあまり指先で握り締めた本の感触。
あの日、学童で言われたことは28才になった今でも鮮明に覚えている。
大見えを切って「許す」と決めたにも関わらず、人は弱い。馬鹿にされたことを思い出しては胸がチクリと痛み、黙っていないで何か言い返せば良かったと口惜しくなる。
「何言ってるの?あなたも外国人でしょ」と跳ね除けてもよいし、「だから何?」と一蹴してもよかったかもしれない。それとも「そんなこと言ってないで本でも読めば?」の方がずっと大人っぽく聞こえるだろうか。
あの少年は今ごろ、どこで何をしているのだろう。
どんなところにいたとしても、彼のいる世界に差別や偏見が無ければいいと思う。いや、あの少年なら飄々と笑いながらどこでも生きていけるのかもしれないが。
大人になった今なら、学童の思い出話をツマミに、彼とお酒でも酌みかわせるんじゃないかと思う。恨み節のひとつでも吐いてやり、水に流して笑いあおう。
そんなことを想像しては、8歳だった頃の自分を慰める。
差別や偏見、からかい。そんなものが無くなる未来は、いつか来るのだろうか。
私や彼のような悲しい思いを、もうどんな子どもにもして欲しくない。
かつて「ガイジン」という言葉に苦しんだ私の心からの願いだ。
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