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わたしとパニック障害〜すべてのしんどい方へ〜前編

今回のインタビュイープロフィール
*真弓 30代後半
*女性
*主婦(妊活中)
*在宅ワーカー

ゆき(以下:ゆ)よろしくお願いします。早速ですが、最初に「あれ?おかしいな」と思い始めたのはいつごろのことですか?

真弓(以下:真)今から2年10ヶ月ほど前、コロナ禍の前です。
それまでに前兆もありました。

(ゆ)前兆もあったのですね。

(真)そのときは、パニック障害かもわかっていませんでしたが。
前兆は、約4年前くらいからありました。
30歳台前半のとき、結婚して1、2年経ったころのことです。
電車で気分が悪くなる、というよくある症状でした。
映画館で気分が悪くなることもありましたね。

(ゆ)「気分が悪くなる」というのは?

(真)吐き気ですね。
そういえば、起床時の回転性めまいもありました。

(ゆ)ふわふわじゃなくて、ぐるぐるとした感じだったのですね。

(真)はい、ぐるぐると回っている感じでした。
あと、のどに物がつまりやすくなって、唾液でむせてしまう、という症状もありました。

(ゆ)何かのどにつまっている感じですか?

(真)何かつまってるという感覚もわかっていなかったのですが、後から考えると、「ヒステリー球」だったのかな、と思います。
よくむせてました。
あと、夕飯中にひどい吐き気、寝るときの息苦しさ(息が吸えない)があり、だんだん日中も息苦しくなっていきました。
内科と、めまいの専門である耳鼻科に行き検査もしましたが、「特に異常なし」という診断でしたね。
月日が経つごとに、だんだんひどくなり「何か変だな」と思い、インターネットで症状を調べたりしていました。
それが、大きな発作が起きる1ヶ月ほど前です。
「もしかしたら、これはパニック障害なのかもしれない」と少し思い始め、早めに診察を受けたいと思って、いくつか心療内科さんに電話しました。
ただ、初診の受付が平日ばかりで。
当時は忙しく深夜まで残業が続き、平日に休める状況ではありませんでした。
「無理にでも休めばよかった」と今となっては思いますが、当時は「そこまでではないかもしれない」と考えていました。

(ゆ)そのときのお仕事は在宅だったのですか?

(真)当時は、フルタイム勤務で職場まで車で通勤していました。
長年勤めていたところでしたが、妊活中のため夫婦で話し合い、いったん退職させていただこうかということになって。
だいぶ前に上司にも伝えていて、引き継ぎ業務の真っ最中でした。

(ゆ)1番大変な時でしたね。

(真)後任は良い方だったし、自分の範囲の業務には余裕があったのですが、他部署のフォローアップに回ったり、後輩の女の子から頼まれて業務を引き受けたりしていました。
基本的には頼られると断れないタイプでした。
入社したばかりの子も多く、組織も大きく変わるタイミングで、他にも様々なことが重なりました。
時間的な拘束もきつかったし、色々しんどかったですね。
妊活事情もあり、親の病気なども重なり、そのときがピークだったかと思います。
「あと少しだけ引き継ぎをすれば大丈夫そうだ」「あとはゆっくりやろう」と安心し落ち着いてきたころに、倒れてしまったんです。
連休に入ると、熱を出すタイプなんですけど(笑)
気をずっと張っていて、ゆるんだのかもしれないです。

※ここから先、体調の優れない読者の方は、自己判断でお読みください。
回復途中のことは後編に書いています。
こちらに飛んでお読みください。↓









2019年6月10日のことです。
朝の通勤中に車を運転していたところ、ひどい吐き気があり、「引き返そう」と思って近くの駐車場に車を停めて休もうと思いました。
職場にもすぐに連絡して。
そこで30分、1時間と休んでも全然よくなりませんでした。
運転もできないくらいです。
夫は仕事だったので、電話しても気づかないかもしれない、と思い、実家の母に電話しました。
その時点で、話すときに呂律が回っていませんでした。
調子が明らかに悪いというのはわかってもらえたんですけど、呂律が回っていないので、自分のいる場所も伝えられない。
「救急車を直接呼んだ方が早いかもしれない」と言われて。
救急車を呼ぼうと直接連絡したのですが、救急車の人がすごい早さでいろいろ質問してくるのですよね。
そのやりとりがしんどかった。
どんどん具合が悪くなっていって。
手足や口も硬直、お腹がけいれんし、ひどい吐き気・ひどい寒気が出てきて、「私はもう死ぬんだ」と思いました。
しゃべることができなくなっていたので、パニック障害だということもわからず、脳梗塞か心臓発作だと思っていました。
「私、ここで死ぬの?」という感じで。
何とか伝えて、救急車が来てくれたとき、涙が出てきました。
起き上がれなかったのですが、死にたくないという一心で起き上がりました。
体が硬直しているなか、頑張ってハザードもたいていました。
救急隊員の人に「助けてください」と涙ながらに言いました。
「過換気症候群だね、大丈夫ですよ」と言われて、「過換気症候群て何・・?」と驚きながらも、「大丈夫と言ってくれているから、大丈夫なのかもしれない」と思い、何とか運んでもらいました。
過換気症候群は過呼吸などからくる様々な症状のことだと、後からわかりました。
病院に着いたあと、検査などをしたのですが。そのときの記憶がほぼありません。
何か温かいものを持たされていたのは覚えています。
寒くて、がたがた震えていたので。
血液検査や、心電図検査もやりました。
少し良くなったあと「脳じゃないのですか?」と何度も質問しましたが、医師の先生は「脳は大丈夫だよ」と言ってくれました。
2時間ほどしてから、しゃべれるようになり、母が来てくれて家に帰りました。
最初の発作はこのような感じでした。


(ゆ)よくわかりますその状況。そこから、どうやって心療内科に行きついたのですか?

(真)救急車で運んでもらった病院の先生が、「どこにも異常がない。この症状であれば、心療内科に1日も早く行きなさい」と言ってくれたんです。
同じ症状の人をこれまでに見てきているのかもしれません。
頓服薬を出してくれて、「この薬が少しでも効いたら、間違いなく心療内科に行った方が良い」と言われました。
これまで家族も前兆を見ていて、内科や耳鼻科など様々な病院に行っても何もなかったので、「心療内科に行った方が良いかもしれない」と思っていました。
夫がその日に、心療内科に片っ端から電話をかけてくれました。
運良く診てもらえる病院があって、翌日に診察してもらうことができました。
運が良かったのだと思います。
大発作の翌日に行けた、というのが本当に大きかったなと思います。

(ゆ)初診予約待ちのクリニック増えていますもんね。心療内科に行ったときのことは覚えていますか?

(真)血液検査をして、家族構成・家族の病気、症状や環境について聞かれました。
そこでの診断は、「パニック障害」と「軽いうつ」ということでした。

後編に続く


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