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わたしとパニック障害〜すべてのしんどい方へ〜後編

前編はこちらです。

(ゆ)心療内科でパニック障害と軽いうつの診断が出たのですね。

(真)はい。
(ゆ)お薬はその日に出ましたか?

(真)はい。
メイラックスとセルトラリンと胃薬を処方されました。
(ゆ)セルトラリンはいわゆるSSRIですよね?
副作用があるために服用をためらう方も多いようですが、ためらいなく飲めましたか?

(真)予備知識が全くなかったので、「楽になれるなら」「お医者さんから処方されたものだから大丈夫だろう」と用法用量を守って夜1回飲んでいました。
それと頓服薬のロラゼパムの処方がありました。
私の場合は、副作用でとても眠くなったり、寝る時に足がイライラするのがありました。足のイライラ、凄い眠気、疲労感、自分にはそれぐらいで、基本的には薬が合ってたみたいです。

(ゆ)倦怠感みたいな?

(真)はい。
疲労感が出ても、休めばある程度改善されますし、何よりパニック障害の症状のしんどさが楽になったのが良かったです。
薬を飲んで、ぼーっとさせてくれたのが良かったです。
それまでは、ゆっくりするなどの副交感神経が作用していなかったのかもしれない、と感じていたので、ちょうど良かったです。
あと、今も薬飲んでるんですがたまに薬なしで過ごす日もあって(減薬は先生の指導のもとで行ってます)、今は飲んでもメイラックス0.5mg/日です。

(ゆ)薬はすぐ効いてきたなという感じでしたか?


(真)そうですね。ゆるやかに効いてきました。
効いてからも、すぐに外に出られるような状態ではありませんでしたが。
発作時にひどい吐き気があったせいで、数日間何も食べられず、何も飲めない状態が続きました。
日に日に、その症状は良くなっていって、少しずつ食べられるようになっていきました。
仕事は、「1週間くらい休めば職場に行けるだろう」「引き継ぎもあるし早く出勤しなければ」と思っていました。
パニック障害についての知識がなかったこともあります。
でも、行けませんでした。
結局、最終出勤日になり、頓服薬を飲んで送り迎えをしてもらって「挨拶だけでも」となんとか出勤しました。
長年勤めていたし、みんなに迷惑もかけてしまったので謝りたかったというのもありました。
みんな「十分がんばってくれたよ」と言ってくれました。
最終出勤日までの1ヶ月間、まず外に出るところからの練習をしました。
スーパーに行ったり、家事をしたり。
パニック障害の方はわかると思うんですが、全部が吐き気と震えとの戦いでした。
発作の4日後くらいに、車を運転してみました。
母が助手席に乗ってくれて、「ゆっくりと気を付けてね」という感じで。
私も「人に迷惑をかけないように」という思いで、運転に臨みました。
でも、家の近くの橋を超えた辺りで、運転できなくなってしまって。
あとでパニック障害の本を読むと、「橋は症状が出やすい」とありました。
近所すらもダメだったので、「事故になったら危ないし、車の運転はしばらくやめておこう」と思いました。
そこで毎日毎日、外に出て歩いたり、日常生活の練習をしました。
家族に付き添ってもらい、頓服薬も飲みながら、毎日やり続けました。
しゃがんだり、寝転んだりしながら。

(ゆ)毎日やり続けなければいけないと思ったきっかけは?
認知行動療法の本を読んだりしたのですか?
(真)パニック障害という診断を受けてから、インターネットなどですぐにいろいろと調べたんです。
認知行動療法という言葉も出てきましたが、自分の感覚で「とにかくやり続けて慣れれば元に戻れる」と思っていました。
そう思って希望を持たないと、辛かったというのもあります。
しっかりと調べてその通りにやったわけでもないし、先生に言われたわけでもありません。
苦手なものを克服するためでしたね。
とにかく、悔しい一心でした。
「何をやっているんだ自分は」「(退職前の)最後の最後で・・」という思いです。
最終出勤日までの1ヵ月間は、会社に行くことを目標に、毎日練習していた感じです。

(ゆ)真弓さん、がんばり屋さんですね。

(真)負けん気が強すぎるのかもしれません。

(ゆ)無事に退職して、その後はお仕事はお休みされてたのですよね?

(真)はい。
妊活に専念しようと思っていました。
でも薬を服用していたので、仕事辞めたはいいけど妊活を再開できないな、と思いました。
人にもよると思いますが、私の場合は、この薬の量では妊娠に影響があるかもしれない、と思っていました。
薬については難しい問題ですし、単なる個人的な考えです。
そのときは、妊活は再開せず、とにかく自分の体を良くすることに集中したいと思って。
それまでは会社に出勤することを目標にしていましたが、退職後は自分の体を元に戻すという目標にしました。
外に出るのが好きなんですよね。
家にいるのも好きですが、外に出て遊びたい人間なんです。
電車を一駅ずつ乗ってみたりとか、頓服薬を飲んで地域の清掃活動に参加してみたりとか。
スーパーにも繰り返し行きました。
気分が悪くなっても、行きましたね。
大発作から2ヶ月ほど経って、車の運転も公道じゃなく広場のようなところで夫と一緒に練習から始めて、その後1人で公道に出てみました。
吐き気と震えが出てきてしまって、途中で路肩に車を停めて休みました。
とにかく事故を起こさないようにだけ、気をつけていました。
頓服薬と水もいつも持っていました。
それがお守りになるので、挑戦し続けることができましたね。
家では、体がほぐれるようにヨガをしたり、体を温めたり、市販のお灸をやってみたりしました。
友達が心配して会いに来てくれたりもして、行動療法のひとつのような形で、積極的に行動していました。
一気にやるんじゃなくて、ひとつずつクリアしていったイメージですね。
今日はスーパーに行けた、電車に1駅分乗れた、車で橋を越えられた、とか。
最初は「歩いてひとりで踏切を渡れた(涙)」という感じでした。

(ゆ)手元にノートがありますが、日記を書いていたのですか?

(真)日記を書いていました。
症状が酷い時は後日書くようにして、たくさん書いていました。

(ゆ)記録を取っておくと、振り返ったときにわかりやすくて良いですよね。

(真)久々に、昨日読み返したんです。
「こうだったな」と良い意味で、振り返ることができました。

(ゆ)自分を褒めてあげるの大事ですよね。
そのあと、在宅ワークをしてみようかなと思ったのはいつごろですか?

(真)在宅ワークは、発作から10ヶ月後ぐらいですかね。その前に3ヶ月間、短期のアルバイトをしました。
クリーニング屋さんの工場で、アイロンがけの仕事をしていました。

(ゆ)体調が悪いということを誰かに話していたのですか?

(真)採用面接のとき上の人に「実は数か月前にパニック障害になりまして、それから働くのは初めてなんです。ご迷惑をかけてしまったらごめんなさい」と伝えて、採用してもらえていました。
入社したあとも、オープンに話していました。
そのほうが楽なタイプだったので。
障害者雇用ではなかったのですが、「こういう体質があるんです」と伝えていました。
「ちょっとしゃがんで、お茶を飲めば頑張れます」というふうにも言っていました。
短時間というのもあって、それでやってました。

(ゆ)勤務時間は半日くらいだったのですか?

(真)10時から14時までの勤務時間でしたが、残業があり、10時から平均15時くらいまでの勤務でした。
お昼休憩はありませんでした。
職場に和式トイレがひとつしかなく、「お腹が痛くなったらどうしよう」と不安でしたね。
でも、楽しかったです。
オープンにしていましたし。

(ゆ)隠さなければいけない状況だと、そこにエネルギーを使ってしまいますよね。

(真)はい。
完全にオープンにしていこうと思っていました。
その数か月後から、在宅の仕事を始めて、今は2社と契約しています。
その2社とは別に、オープンに話したら偏見を持たれるような会社もありました。
「そういう人もいるんだな」と勉強になりました。
難しい問題だし、みんながクローズで働きたくなる気持ちもわかりました。

(ゆ)わからない人はわからないですよね。

(真)そうですね。
悔しい思いをしたこともありましたね。
でも、割り切って次へと進んできました。
勝手な偏見を持たれたり、実力以外のところで評価されたりするのは、あってはならないことだと思います。
ただ、そういう人は今の時代にもまだいるんだなと思います。

(ゆ)偏見がなくなればいいなと思います。

(真)病気は関係ないし、フィルターをかけて見ないでほしいです。

(ゆ)パニック障害というふうにくくられたくないですよね。
今契約している2社ではオープンで働いているのですか?

(真)1社はオープン、1社はクローズです。
クローズのところは対面でのやりとりが少なく、チャットワークが主な連絡手段なので、オープンにする必要がないと思ってそうしています。

(ゆ)在宅ワークをやるようになったのは、ご自身で調べたりされたことがきっかけですか?

(真)インターネットなどで探して在宅の仕事に行き着きました。
もともと妊活でフルタイムの仕事を辞めると決めていましたが、家で不妊治療をしつつも、家事だけでなく何かしたいと思っていました。
会社を辞める前から漠然と家でできる仕事をしようかなという感じでした。

(ゆ)面接などもオンラインですよね。

(真)クローズで契約している方の会社は、面接なしで契約できました。
簡単なテストがあってそれをクリアして、個人情報などを送りました。
もう一社の方では、書類審査、1次面接、2次面接がすべてオンライン上で行われました。

(ゆ)契約するのに何か特別なスキルが必要でしたか?

(真)会社によりけりなのですが、1社は簡単なデータ入力と簡単なパソコン操作ができて、パソコンのOS等が古くなければ、誰でもできる感じです。
もう1社は、少し厳しく、面接で「こういったソフトは使えますか?」「どういう仕事を何年やってきたか」「仕事をするうえで何を重要視しているか」などけっこう詳しく聞かれました。

(ゆ)在宅ワークと検索するとたくさん出てくるじゃないですか。
だから、悩む人が多い印象ですよね。

(真)最初に探しているときは、クラウドワークスにも登録していました。
クラウドワークスを副業で活用している友達もいます。
その子は賢かったので、ちゃんとした案件を見極めることができていたようです。
私は、「詐欺のようなメールばかり来るな」と思ってすぐ解約してしまいました。
ちゃんとした企業さんや、案件ももちろんたくさんあるんですけど。
報酬が高すぎる・話がうますぎる・先に物を買ってから、の案件はやめたほうがいいと思っていました。

(ゆ)知らずに、だます側に回ってしまうこともありそうですね。

(真)どっちもありえますよね。
「月何十万稼げる」という明らかにおかしい案件もあって、テキストが1万円したりとか。
だまされる側にもなりえますし、知らないうちにだます側に加担してしまうこともありそうだったので、「気をつけないといけない」と思っていました。

(ゆ)ちょっとでも怪しいと思ったら、気をつけないとですよね。
だんだんエスカレートしたりしますから。


(真)今は、全部リモートでまかなっている会社さんもあって、契約している2社のうち1社は全部リモートです。
コアな業務の人は、頑張った分だけの報酬が得られるようです。
朝から晩まで、休日も稼働している方もいます。
リモートでも稼働時間や仕事内容が見えて、やり取りでも思いやりのある会社は、特に安心できるなぁと思っています。
面接の時点で会社を見極めるのは難しいときがあります。
だから、とにかくたくさん調べます。
創業はいつからか・どういうことをやっているのか・実績を載せているかとか。
疑り深いので(笑)。
あまり怖がりすぎても何もできないので、積極的に調べていくといいところが見つかるかもしれないですね。

(ゆ)こればかりはご縁ですよね。

(真)ご縁やタイミングが大きいですね。

(ゆ)在宅ワークをしながらも、定期的に通院はしていたんですよね。

(真)はい。
心療内科には定期的に行っています。
減薬が成功したタイミングで、産婦人科で不妊治療も受けられるようになり、妊活を再開できました。
それが発症から、約1年後のことです。

(ゆ)自立支援医療制度は利用されていますか?

(真)発症したばかりの頃は、病院でも教えてもらえなくて知りませんでした。
1年後くらいに知り、使い始めました。
傷病手当金についても知らなくて、一年くらい経ったあとに本を読んで知り、調べて遡って申請しました。

(ゆ)通勤していた会社から支給されたのですか?

(真)はい。
通勤していた会社と辞めてからもいただきました。
雇用保険に入っていたので、ハローワークで失業手当もいただきました。
傷病手当金と失業手当を同じ時期に受給はできないので、時期をずらしていただいていました。
いくらかいただけたので収入がゼロにならず、本当に助かりました。

(ゆ)窓口で病気のことはお伝えになりましたか?

(真)はい。
失業手当を申請しに行ったときに、病気のことを聞かれるとは思っていなくて、質問用紙や窓口で回答したら、別の窓口に案内されました。
そこの職員さん達が、とても優しかったです。 
今よりも症状が良くなかったので、ハローワークに行けたのも、辞めてしばらく経ってからでしたね。車の運転に慣れて、人混みのなかに入っていっても大丈夫になったあたりです。「人が多いな」と思いながらも「何かあったらトイレに行こう」と自分に言い聞かせて、行っていました。
薬を飲んで妊活できていなかったので、働きたかったのですが、体調のこともありましたし。働き先が見つかるまでは、失業手当をいただけることや、相談できる期間があるのは助かりました。医師の診断書により、短時間の就労なら可能だったので、短時間のアルバイトをしていました。アルバイトを行った日を申告して、失業手当を受給しながら少しづつ就労復帰をしました。

(ゆ)失業手当を受給しながらの就労は、徐々に就労復帰するチャンスです。制度を上手に活用されましたね。

(真)私もチャンスだと思いました。傷病手当金は、たしか辞めてから期限がありましたよね。
失業手当も期限があったかなと。

(ゆ)傷病手当金の申請期限は2年です。真弓さんの場合は、傷病手当(社保)で退職前まで休んでいた分を会社の方へ申請されたんですよね。退職後は保健協会(社保事務所)へ申請し、数ヶ月間傷病手当金を受け取られたんですね。

(真)はい。そのくらいだったと思います。
前に勤めていた会社は、事務的にやってくれたので、手続きは大丈夫でした。
ただ会社にトラウマがあったりする方だと、やりとりも負担になってしまいますよね。
やりとりできるまでに回復するのに時間がかかる人もいると思うので、代行でやってくれる機関などがあれば良いのにな、と思います。

(ゆ)私、代行したことがあるんですよ。

(真)それはとても助かりますよね。

(ゆ)同意書とかはもらうんですけど。

(真)とても良いですね。
職場が原因で発症した人だとしたら、間に入ってくれるだけでありがたいですよね。
ゆきさんなら安心して同意書書きます(笑)。

(ゆ)ご主人の収入もあると思いますが、生活に困ったりしたことはなかったですか?

(真)余裕があるわけでは決してないのですが…。
今ではほぼ回復して、外でも働ける状態です。
ただ、今は夫婦で決めて、不妊治療中心で在宅ワークのスタイルをとっています。
子供を授かるのが一番の希望ですが、授かりものなので。
不妊治療にひと区切りついたら、外で働くのも好きなのでそうしたいです。

(ゆ)旅行などもお好きなのですか?

(真)国内旅行が好きです。
ようやく今年は新幹線にも乗れるようになりました。
最初は、大発作が起きてから1年半後くらいに近場に旅行にいきました。
車の助手席だったのですが、高速道路にのる前は凄く緊張しました。
近場だったのですが、脳の誤作動で勝手にすごく怖くなったりしていました。
あきらかにノドが締まってました。
それまでは、顕著にノドが締まることはなかったのですが。
コンビニに寄ってもらって、お水とミンティアを買いました。
リラックスできるサプリも飲みました。
それでだいぶほぐれましたね。
「だめだったら頓服薬を飲もう」と思っていましたが、飲まずに行けました。
旅行中、お腹はずっと痛かったですけど。

(ゆ)真弓さんのお助けアイテムは、水・ミンティア・頓服薬なんですね。

(真)はい、ヘルプマークとサプリもです。
サプリはDHCのものを飲んでいます。

(ゆ)そのサプリは体をゆるめる効果があるのですか?

(真)緑茶に入っているテアニンという成分が配合されていて、ほっとする効果があるらしいです。
そういうのをすぐに信じるタイプで、なじみのあるDHCのものを使用しています。

(ゆ)安心できるものがあるのが、一番ですよね。

(真)単純なので、効くと思えば効くタイプなんですよね。
自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせて「何かあったらこうすれば良い」「何なら倒れても大丈夫」と意識していました。

(ゆ)真弓さんは、頑張り屋さんで責任感もあるし、負けん気も強い感じがしますが、発症する前と後で変化はありましたか?

(真)ありました。
負けず嫌いなので、前は仕事でも何でもやっちゃうタイプでした。
完璧にちゃんとやらないと気が済まなくて、周りに押し付けずに自分でやってしまう感じでした。
発作の後は、過去の働き方やプライベートでの過ごし方は二度としないと決めて、今は家事を主人に手伝ってもらったりしています。
今の方が時間はあるのですが、「あれやっておいてね」と頼んでいます。
短期バイトのときも、無理な残業は無理と言えるようになったり、(新人でしたが)言いたいことを言えるようになっていました。
頑張らないように意識していましたね。
「人のために頑張る」ということに無理をしなくなりました。
とても変わりました。

(ゆ)パニック障害の人は、「頑張らなきゃ」という気持ちが強くて発症する人も多いですからね。

(真)みなさん無意識だと思います。
こうなるとは思っていないですからね。

(ゆ)「気づいて」という体からのサインなのかもしれないと思ってます。

(真)そう思います。
「発症してよかった」とは全く思いませんが、2年10ヶ月前に発作が起きていなくてもきっといつか同じようなことが起こっていたと思います。
あのとき自分の体が「もう無理」と言ってくれて、何より事故にならなくて良かったです。
「自分は生かされている」と思いました。
そのときから、家族や友人の助けを受けながら、1つずつやってきたという感じです。
体調の波はあっても乗り切れるようになってきました。
「しんどいときがあったら切り替えればいいか」「飛行機のときは頓服薬を飲めば良いし」という気持ちです。

(ゆ)他に伝えたいことはありますか?

(真)対策について、ですね。
ここからは私なりの対策です。
体をほぐし、温める。
長く息を吸って吐く呼吸法。
いすに座って座面くらいまで足を上げる、足上げ運動。
お手玉。
お手玉は単調な動作だから、良いらしいです。
体を温めるしょうが紅茶。
ツボ押し。
アロマオイル。
お気に入りはラベンダーです。
無印良品はコスパが良いと思います。
たんぱく質と鉄分を意識して摂る。
持ち歩けるミンティア。
のどが開いてスーッとします。
頓服的に飲む、リラックスできるサプリメント。
「肩がはって緊張しているな」というときに、あくびをする。
あくびは自己流なので頻繁にはしない方が良いかもしれませんが、たまに活用しています。
自分に「大丈夫」と言い聞かせて、思い込ませる。
飲み物(水)を飲む。
暑いときは保冷剤をタオルでくるんで持ち歩く。
姿勢を良くして胸を開く。
頓服薬。
ヘルプマーク。
お守りのように持っていると安心するものを常に持ち歩くと良いです。
そのうち、持たなくても大丈夫となることもあります。
一部は今はやっていないものもありますが、ほとんど継続しています。
一番は「パニック障害だからこうなる」と思いすぎないようにしています。
「こういう天気だから」とか思い込みすぎないようにしています。
動悸がしても、ドキドキすることは誰にでもあるからなぁと受け止めるように気を付けています。
今だから出来ることですが、すぐに症状に結びつけないことを意識しています。

(ゆ)すぐに結びつけると発作につながってしまいますよね。

(真)ひどい状態のときに、それを言われるとしんどいかもしれませんが、
回復してきたらそういう考え方もありかなと思います。

(ゆ)カウンセリングなどを受けられたのですか?

(真)受けてないです。

(ゆ)受けずにその考え方ができるのが素晴らしいですね。

(真)それも負けん気が強いからかもしれません。
回復してきた今だから言えますが、「パニック障害は性質」と思っています。
「そういうところもある」というふうに捉えています。
私の場合になりますが、そう捉えていた方が今は心身が楽なんですよね。

(ゆ)ご自身で調べてここまで来られて、すごいです。
発作が起きた直後の人にもし声をかけるなら、なんとかけますか?

(真)先ほどの「パニック障害は性質」といった考え方は、発作が出ている真っ最中の方には伝えません。
今しんどくて苦しい人に声をかけるとしたら「希望を捨てないでほしい」ということ。
「大丈夫だよ」と強く言いたいです。私自身が辛かった当時、そう言われたかったから。
長年パニック障害と闘っている人もいますが、良くなっている人もいます。
私自身も良くなっています。
再発が怖くないわけではないです。
でも、前と違うのは対策をわかっていること。
「良くなるよ」「大丈夫だよ」「わかるよ」と伝えたいです。

(ゆ)1人じゃないですもんね。

(真)今しんどい人のことを考えると泣きそうになります。

(ゆ)真弓さんも頑張りましたもんね。

(真)日記を読み返して、「ああそうだった」と思って泣きました。
あと、ひとつひとつクリアしたらご自身をを褒めてほしいですね。

(ゆ)家のなかでのことでも自分を褒めてほしいですよね。

(真)本当にそうです。
お風呂さえも息苦しいときがありますから。
「良くなってきたかな」と思っても体調によってだめな時はあります。
へこみそうになっても、ひとつでも何かできたらご自身を褒めてほしいです。
トイレに行けた、でも良い。
本当にそういう小さなことから自信につながって、「大丈夫だ」というふうに脳の誤作動が消えていく気がします。

(ゆ)脳って不思議ですよね。

(真)不思議すぎます。
「え、そんなことになるの?」と。
「こんなことになるくらいならすぐに会社を休んだのに」と思いますね。
「こんなに長く苦しんで大変な目に合うのなら、言ってよ」と。
そのときの自分を恨みたいくらい。
内科の先生も言っていましたが、脳は胃腸と直結していてストレス性胃腸炎になるのもそういう仕組みだそうです。
「調子が悪くても頑張ったらいけるかも」「一日二日、寝なくても大丈夫」などと思ってしまいがちですし、知らないうちに無理をしてしまうこともあります。
でも、先ほどお話しした前兆のような症状が表れたら、すぐに休んでいただきたいです。
このnoteは、パニック障害の人に限らず見てくれたら嬉しいなと思っています。
「少し体調が変だな」と思っている人が見てくれて、未然に防げるのが一番良いです。

(ゆ)自律神経の不調程度で防げたら良いですよね。

(真)自律神経失調症までいくと大変でしょうが、パニック症状が出て大きな発作になるのとならないのでは、大きく違います。
調節できる、できないにも関わります。

(ゆ)「発作の前に、あそこで休んでおけば良かった」と思うこともあります。
パニック障害じゃなくても今しんどい人は、読んでほしいですよね。

(真)「自分は大丈夫」という人もいるかもしれないけど、noteを読んだ人が気づいてもらって予防につながったら嬉しいです。
動けるときは、なかなか気づけないとは思いますが。

(ゆ)タイトル決めました。
「今しんどい人、全員読んで」(笑)

(真)良いタイトルですね。
本当に読んでほしいです。
未然に防げたら、一番良いと思います。

【 最後にご挨拶 】

今の私の状態ですが、
・普段の生活は問題なく
・映画・ライブ・美容院・外食・車の運転も元通り、楽しめている
・歯医者は好きじゃないですが、普通に通えていて、親知らずも抜いたよ
・電車や新幹線は、長かったら頓服に頼ったり無理なく

こんな感じです。
体調がダメな時があっても、割り切っていこうと思います。

家族に関してですが、最初は理解の面で難しく、正直大変な時期もありました。
パニック障害になったことで、家族にも辛い想いをさせてしまいました。
昔よりは理解ある世の中になっていると思いますが、まだ理解が難しかったりしますよね。

これまで、家族・友達・同じパニック障害の人達・心療内科の先生に、支えて頂きました。
誰かひとりでも、心から頼れる人が居ると本当に安心できるかと思います。

人と関わることは苦しいこともあるけれど、人に救われるものだなぁと日々感じています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
誰かの支えや、何かになれればうれしいです。

真弓

※傷病手当金や失業手当については、所管の社会保険事務所ハローワークへお尋ねください。あくまで当時の情報です。

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