探しものを何年も繰り返すのに疲れた私の今

私はいつも捜し物をしていた。一日の捜し物を5分として、一月150分、一年で捜し物をするので、年間にしたら1800分、30時間だ。計算あってるかしら?
毎日「片付けしなきゃ。」と思ってはできずに疲れていた。いつも疲れてて、情けないなぁ
という気持ちだった。

夫婦と子供3人、犬一匹の我が家はずっと散らかっていた。子供によその家がきれいで驚いたと言われたときは流石にショックだった。

理由、だれもやらないから。

オープンな作りの家なので、散らかっているのが見渡せる。

買い物は大好き。心地よくしたい気持ちで、インテリア関係、収納関係の買い物もよくしていた。これを買ったら片付くだろうと。今思うと笑える。

フルタイムで、残業の多い私は三種の神器と言われる家電を買い揃えた。食洗機、ルンバ、二種だ。あと一種はなんだろ?

帰りが遅いときは夫が食事の支度をした。手際もよく味もよい。飲みながら食べるのでダラダラしてた。家族の顔を見ながら至福の時だった。くつろぐ大切な時間だった。

落ち着いたところで後片付けになるので、眠いわ、食器は山だわ、で苦痛だった。食洗機の仕上がりが気に入らない夫いわく洗ったほうが早いとのご意見で5人分の食器はワンプレートにしても茶碗やコップ等何種類か使うので多量だった。あたり前だが休みの日は、ずっと台所にいた。作る、食べる、洗う、しまうの繰り返しに膨大な時間を取られた。母として当たり前のことかもしれないが、ダメ母にはしんどかった。

更に洗濯物。5人分のかごがあり、たたむ間もなくさらに追加される。リビングに鎮座するカゴ様。スペースを取られていた。育ち盛りの子供らの洗濯物は多量だった。

更に犬の毛だ。毛がよく抜けた。
黒い服が好きなのだが、出掛けのコロコロが欠かせない。コロコロも行方不明になる。しかし誰のせいでもない。犯人は私のことが多い。ルンバさんは、走るスペースがないのと、犬毛多量につきうまくいかなかった。

ものの住所を決めることができなかった。散らかったら押し込み、探すの繰り返しは、疲れているのに更に疲れを増した。そしてイライラする。家族にはあれはどこ?と聞かれることも多く、子供なんか「お母さん捨てた?」捨ててないわよ〜!どこかにあるでしょう!こんな会話ばかりですごーく疲れた。

こんな環境で育てた子どもたちには本当に申し訳ない気持ちになる。ごめんね。

食洗機も掃除機も、効果的に使えない、高かった無駄なものを場所を取って持っている。無用のなんとか、とはこういうときに使うことばなのかしら。そして、これなら使うかなと新たに買い足す。その分貯金をしていたら良かったと、今更思っても遅い。

こんな黒歴史だが、意識は高く(面倒くさいタイプ)、断捨離のやましたひでこさんのセミナーにも参加したことがある。会場は満席だった。いらないものを知らないおじさんに例えておられたと思う。「放置されたいらないものが知らないおじさんだとしたら、どうですか?たくさん座ってますよ!」その時は、忘れていた。最近思い出して怖くなった。

こんまりメソッドももちろん読んだ。ときめきは、私にはときめきが多く合わなかった。

その前は辰巳渚さんの、本を読んだかしら。

収納の本ばかりあって、片付かない家。ダイエットの本ばかり持ってるのに、太っていく私。おなじ原理。

ふー、思い出しても情けない、恥ずかしい、いただけない。外見は気にしてお家は滅茶苦茶なんて、みっともない。

コロナで増えたお家時間のはじめは不要なものを捨てるのに結構な時間を要した。毎日数袋ずつ、プラス粗大ごみ。
今邪魔になっているのは、衣装ケース、洗濯物を入れていたかご、食器洗いのカゴ、収納ケース、掛ける収納グッズ。あと買い物で貯まるダンボールゴミ。日常ゴミの他にまだ、多量のごみ捨てに追われている。

多量な事柄(モノや気になることや諸々)に囲まれていると、何もできない。気を取られることが多すぎて、本質にたどり着けないのだ。上辺のことだけを片付けてその繰り返しばかりだ。まるで玉ねぎの皮のようだ。

いらないものを整理して行くうちに本質に近づいている。見えなかったものが見えてきた。これが断捨離なのだろう。

なにもないところから始まって、だんだん増やしてきたものや思いや色々なもの。そして今、少しずつ整理されて研ぎ澄まされているような気がする。


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