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広島を歌い継ぐ──句集『広島』に寄せて

 昭和30年(1955年)に刊行された、『広島』という句集があります。

 昭和20年(1945年)8月6日に広島に落とされた原爆の被害を受けた方々をはじめ、広島に思いを寄せる方々が詠んだ1521句が収められています。


 令和4年(2022年)、私はこの句集を受け取りました。

 そして広島を旅して、昭和20年当時16歳の女学生だった伊達みえ子さんと出会いました。

 令和5年(2023年)、里俳句会の島田牙城さんの全面協力のもと、句集『広島』を底本とした朗読モノオペラ《つなぐ》を制作し、広島・神戸・東京の三都市で上演しました。

 その後、心身を壊して、自分を再構築し、2025年の再演に向けて準備中です。

 その経緯を、残していこうと思います。



『人類の午後』──堀田季何先生との出会い


 2021年末、駒込のカフェで俳人の堀田季何先生と出会いました。

 それがきっかけで、季何先生の句集『人類の午後』とも出会いました。


 戰爭と戰爭の閒の朧かな

といった句をはじめ、戦争にまつわる事象を直截に詠んだ季何先生の句に心を深く動かされました。そして、自分の声で歌わせていただけないか、季何先生にお尋ねしました。ご快諾をいただき、2022年7月5日に成城のアトリエ第Q藝術で初演させていただきました。季何先生主宰の楽園俳句会の皆様や、里俳句会の皆様も多くいらしてくださいました。あらためて、感謝申し上げます。


島田牙城さん、そして句集『広島』との出会い

 この《人類の午後》の上演がきっかけとなり、句集『人類の午後』を出版された邑書林の島田牙城さんとのご縁がつながりました。

 牙城さんは俳句を薦めてくださり、私は里俳句会の同人となりました。牙城さんご夫妻は兵庫の武庫之荘、私は東京の駒込と距離は離れていましたが、牙城さんご夫妻は私の音楽活動も応援してくださるようになりました。

 そんな折、牙城さんからのメールが届きました。句集『広島』を入手したので、50歳以下の俳人に読んでもらって、その感想を「里」二〇二二年十一月号に掲載したいとのことでした。

 ややあって、包みが届きました。しばらく包みに手を触れることが出来ませんでした。自分に、この句集を受け取る資格が本当にあるのかどうか、日々問い続けました。

 原稿の締切直前に、ようやく震える手で包みを開けられました。そして読み終わる頃には、句集『広島』を歌わなければならない、『人類の午後』の続きを始めなければならないと思うようになっていました。

 そして、広島への旅が始まりました。


伊達みえ子さんとの出会い、そして三都市公演へ


 2022年12月15日、広島に初めて足を踏み入れました。牙城さんご夫妻とも初めて出会いました。広島でのご案内は、里俳句会・夕凪社の水口佳子さんがなさってくださいました。

 水口佳子さんを通じて、昭和20年当時16歳の女学生だった伊達みえ子さんのお話をお伺いすることもかないました。みえ子さんのお話、お伺いした時の部屋の空気、みえ子さんの目のうっすらとした涙の膜、すべて覚えています。

 みえ子さんの詠まれた俳句も「広島三句」と題した作品にして、朗読モノオペラ《つなぐ》に入れました。

 蝉の穴のぞけば被爆の16歳

 ひろしまの蝉の木夜は少年棲み

 ヒロシマの椅子が足りない蝉しぐれ

(2024年4月29日、ショパンルームにて録音)


 伊達みえ子さんとは、2023年6月に広島で再会しました。その時の模様を、RCC中国放送が特集してくださいました。


 また、朗読モノオペラ《つなぐ》の上演にあたっては、RCC中国放送をはじめ、様々なメディアの方々が取り上げてくださいました。

中国新聞


神戸新聞


FM大阪


東京新聞


 広島・神戸・東京での三都市公演には、合わせて250人ほどの皆様がいらしてくださいました。あらためて、心より感謝申し上げます。

 2022年からのあの期間を思うと、自分の意志などを遥かに越えたところで、自分がなにかの道具のひとつとなって、この作品の完成に向けて動かされていったように思います。たくさんの方々と出会いました。たくさんの方々の声を聞きました。たくさんの思いを受け止めました。

 人生の仕事として向き合っていかなければならない……そう思っていたところ、心と身体が悲鳴を上げました。


壊れた自分の再構築

 朗読モノオペラ《つなぐ》を作っている時、歌い演じる時には、自分のことをフリスビーのようにすっ飛ばして、作品に向き合っていました。声も、心も、身体も悲鳴を上げようと、ずっと待ち構えていたのでしょう。

 夏が終わってから、しばらく動けなくなりました。いくつかの本番をなんとか、身体にむち打ちながら乗り越えましたが、冬になって限界を迎えました。合唱の方々との稽古の時、立ち上がった瞬間から楽譜がまったく読めなくなってしまい、声も出なくなってしまいました。

 お医者さんによると、統合失調症の二次障害としてのパニック障害ということでした。また、喉には結節も出来ており、しばらく完全休養を求められました。

 しばらく、指一本も動かせない日々が続きました。自分がこれからどうしていけばいいか、考える日々が続きました。これまでと同じような活動をしていては、自分の心身に負荷をかけすぎてしまう。もう自分も四十代半ばだし、ここからは自分の心が納得できる表現活動だけに取り組んでいきたい。そう思うようになりました。

 春分の日のあたりから、noteを再開しました。そして、ジャーナリングのように自分の心に溜まった澱を書き出していきました。そうやって自分の内側を整理整頓しているうちに、これからの自分が望む生き方が自然と理解できるようになってきました。

 演奏活動に関しては、これからは少人数のサロンやホールでのリサイタル活動を主軸にしていこうと決めました。歳を重ねてようやく勉強できるようになった、ドイツ歌曲を中心とした演奏機会を重ねていこうと思えるようになりました。

 年に一度、8月になったら《つなぐ》を広島と、伊達みえ子さんの姪御さんであるピアニスト・高木しおりさんの主宰される千葉のショパンサロンで上演していきたいとも願うようになりました。録音もしていこうと思います。

 そして、作家活動にも本腰を入れていこうと決めました。いまは、7/21の音楽個展と、7/23締切の創作大賞2024に向けて、納得のいく作品を生み出していこうと考えています。

 これまでオペラ歌手として活動してきた自分の生き方と較べると、あまりにも違いすぎるのではないかというご心配の声もいただいていますが、様々なことを削ぎ落とした先に辿り着いた、いまの自分にとって心地よい答えです。自分に見えている答えを現実にしていけるよう、毎日の小さなことを積み重ねていきます。


2025年に向けて

 今年は《つなぐ》の本公演は予定していません。その代わり、7/21の音楽個展の中で、《人類の午後》、《つなぐ》の音楽演奏をいたします。

 そして来年の8月に予定する広島と千葉での上演に向けて、少しずつ準備を始めていこうと思います。

 この作品にもう一度向き合うのは、すこし勇気の要ることでもあります。

 けれどもう一度、最初からすべてを始めていくつもりで、新たな気持ちで取り組んでいきます。

 またnoteでも、少しずつ綴っていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。








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