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寿命は、運命で定められているのか?

「今夜が、ヤマです」と、突然言われた。
あのドラマで、見るワンシーンだ。

「今夜、泊まられますか?」とドクターに聞かれたが、私の返答は、「いえ、帰ります」だった。

なぜだろうか? そう、答えて、帰宅したのである。

信じたくなかったのか? その一方で、妙に冷静な私もいて、葬儀の手配まで考えていたのを覚えてる。

これは、義姉だからか? 最期の瞬間、命が途絶える時に、そばにいてあげないことは、あまりに冷たすぎなかったか?

夫の姉、義姉は、7年前から今の病いと戦っている。

この7年の間に、義姉には、予断を許さない状態が、2回も訪れる。

義姉は、誰もが知る外資系の会社で、課長をしていた。
バリバリのキャリアウーマンだった。

独身。高給取り。

上質なものに囲まれ、世界各国の友達を訪ね、長期休暇は海外で過ごしていた。
自分の時間、自分のお金を好きなことに使っていた。

義姉の人生は、順風満帆だと私も思っていた。

しかし、ある日、義姉の人生は、一転する。

てんかん発作が義姉を襲う。
これは、大きな病気への予兆に過ぎないことをこの時は、知るすべもない。

救急車で運ばれ、入院を1ヶ月くらいした後、日常生活に一旦、戻る。
本人含め、私たち夫婦も、このまま、だんだん良くなると思っていた。

ところが、てんかん発作は、繰り返し、義姉を襲ったのである。

てんかん発作を繰り返した、義姉の身体は、だんだん麻痺が起こり、リハビリが必要な身体になっていった。

冷静に自分の病状を捉え、リハビリに励む義姉。

真面目な義姉は、リハビリも真面目にこなし、たくさんの人に感謝をし、笑顔で入院生活を楽しんでもいたように私には、うつっていた。

発病から、何年か経ったある日、主治医から病名を告げられる。

「お姉様の病名は、海綿血管腫です」

決して、珍しい病気でないと言われ、ホッとした。

だが、主治医は、まだ続ける。

「ですが、お姉様の脳の中には、この血管腫が、1、2個でなく、何百個と出来ています」
「これが、脳に悪さして、水泡になり、大きくなって、てんかん発作を引き起こしたのでしょう」

私は、心配と同時に嫌な予感がしたので、
「今後、どうなっていきますか?」だけ、聞いた。

主治医は、義姉にも聞かせるように、「脳の中で、出血したり、水泡になって、大きくなったりしてきます」

「そうすると身体に麻痺が起き、だんだん色々なことが、出来なくなっていきます」と、淡々と話した。

宣告だ。

この時の義姉には、自宅に帰りたいという、希望があった。
義姉が、頑張れているのは、「希望」が、あったからだ。
それが、一気に崩れたが、義姉は、冷静に全てを受け入れた。

それから、義姉は、主治医の残酷なストーリーの通りに進んでいる。

今では、施設にお世話になり、70、80代のお年寄りと一緒に生活している。
ベットに寝たきりで、生活には、全介助が必要になっている。

ずっと見てきた私は、知っている。

義姉が、一回も弱音をはかなかったことを。
一回も私たちの前で、涙を流したことが、ないことを。

義姉は、夫や子供達の顔を見ると、ケラケラ笑ってその時間を過ごす。

なぜ? こんなにも義姉は、強いのか?
そんなにも、人間は、強くいられるのか?
義姉の何が、そうさせているのか?
義姉の人生、幸せなのか?

そんなことを大きなお世話ながら、考えてしまう。
そして、さらに大きなお世話は、続く。

「今夜が、ヤマです」と言われた日

私は、「義姉が、早く天国に行けますように」と願っていた。

それは、人から見たら、冷たいのかも知れないし、非難されることかも知れない。
でも、楽にさせてあげたいと心から思ってしまった。

そう。私は、義姉の人生を勝手に終わらせようとしたのである。

これは、罪だろうか? 間違いなく、罪だろう。

今の義姉に「幸せですか?」と聞いたら、絶対に「幸せです」と答えるだろう。
そんな義姉の命を勝手に終わらせることは、あってはならないのである。

これからの義姉は、話すことも出来なくなっていくだろう。

そして、人の寿命は、決まっていて、選べないのかもしれない。
勝手に決めては、いけない。

寿命は、運命で定められている。

義姉から、強さ、感謝すること、真面目さ、自分を大切にすることを受け取りました。

「お姉さん、いつ寿命の終わりを迎えますか?」

義姉の寿命が、最期を迎える時まで、私は、全力で見守ります。
それが、私が出来る唯一のことであるから。姉に直接返せる恩送りだから。