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世界の果てに、途上国に、なぜ映画を届ける必要があるのか

私が彼女と出会ったのは、2016年のこと。

いくつかの非営利団体がお話させてもらう機会をいただくイベントで、同じ場で登壇させていただいたのが、教来石小織さんだった。

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その時の写真も発見。


当時私は、事業のあり方にかなり迷いがあった時期で、そういうときのこの場に呼んでいただけたこともありがたかったのですが、同時に小織さんと出会えたことがありがたく、実は一番印象的に残っていました。

優しそうなお姉さんが、目の前のこどもたちの未来を願い、等身大ありのままで映画を届けているという印象で、当時の私は結構衝撃的だったと同時に、すごく魅力的にうつりました。

当時は私も自分のことで精一杯だったので、実はそれっきりだったのですが、Facebookでなんとなく近況を垣間見ていた、という距離感でした。

でも、このプロジェクトは本当に良いプロジェクトだなと強く思ったのはたしか。

あれから3年ほど。なんと小織さんがセブンルールに登場!世にあまたあるNPO法人の中で、数多の女性代表がいる中で、最初に取り上げる方が彼女というのが、本当に本当に嬉しく、セブンルールさんのセンスが良すぎるなと思った2020年。

ということで、私がなんでこの団体が素敵だと思うのかというのを書かせていただけないでしょうか…。

そもそも World Theatre Projectって?
発展途上国に映画を届けるというプロジェクト。移動映画館、と言う方がよいかもしれません。発展途上国には映画館のない地域が多いので、そうしたところに暮らす子ども達に映画を届け、夢を描くきっかけづくりをしています。NPO法人として活動中。(私の意訳)


途上国に映画を届けるという勇気あるアイデア

セブンルールでも出てきたこの言葉。

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食料とかワクチンとか、先に届けるものがあるんじゃないの

2010年代初頭はどうしても「発展途上国=必要物資の支援」というイメージがまだ強かったように思います。

一方、映画を届けるという活動は、すぐになにかの価値に変わるわけではありません。

ロジカルに考えれば映画よりも食料やワクチン、と言われてもある意味では仕方がないかもしれない。

そういう雰囲気の中で「映画を届けます」というのは、なかなか勇気のいる提案だし、普通に聞いていたら映画を届ける意味なんてわからないかもしれない。

100歩ゆずって、1回きりのチャリティーイベントとして届けるなら、「それくらいは応援しよう」となるかもしれない。

だけど、テレビでも彼女が言ったように「この活動を『続ける』」となると話がかわってくる。余計な外野がいろいろやってくる。

でも、「じゃあ、映画を届けたら行けないんでしたっけ?」とも思う。

ロジカルではない方法で生み出されるアイデアこそ、これからの社会的事業にはもっとあっていいのではと思う。デザイン思考が〜とか言う前にこういうアイデアこそよい事例だし、それが社会の力になるんだから、応援して損はないと思う。

そしてこういうふうに映画が使われるからこそ、映画の魅力に改めて気付かされる。エンタメは、誰かを勇気づけるコンテンツなんだから、それが世界の果てまで届けて何か悪いんだっけ。

なにより、実際に世界14カ国、7万人の子供たちに映画を届けることができているのは、求められているってことだよね。

一筋縄にいかなそうなアイデアを実行させている事実

もう1つ。私がたぶんこの団体と小織さんが好きなのは、カタリバと同じようなものを感じたからだと思う。

学生時代に関わったNPO法人カタリバは、高校に行き、たくさんの高校生たちと将来のこと、最近の悩みなどを語ったり聞いたりする、対話の場を届けている(プログラム名を「カタリ場」と呼んでいた)。

※現在はカタリ場以外にも教育事業が多様に展開されています

学校の先生からすれば「進路を決めてほしい」「進学先を考えてほしい」「(受験)勉強に前向きになってほしい」という目先の評価が重要。そして学校は忙しい。そんな中学年の時間割の調整をしていただいて2時間を、学生ボランティア集団のために捻出していただくのはそんなかんたんなことじゃない。その中でカタリバが届けていた「対話の種まき」は、10年20年たっても芽が出ないかもしれない。だからこそ学校に参入するのは極めて難しい。

でも、あの2時間で、自分のことを恥ずかしがらずに真剣に考えたり、話してみたりして、何かを変えてきたこどもたちがいるのも事実。そしてそんな活動を全国のムーブメントにしたのがカタリバだった。

発展途上国でもきっとそう。彼女の最初のスタートは、スクリーンがなかったから、布団のシーツをスクリーン代わりにするシーンがありましたよね。映画を届ける上で必要な機材、著作権などの権利の扱い、吹き替え制作、途上国ならではの生活文化内のさまざまな調整…考えただけできりがない。

すでに世にある映画だけでは展開の限界があるという判断があったのだと思いますが、そこでセリフのない映画、『フィルとムー』を制作。より多くの国に届けることができている。

無理そうな、もしくは、やるだけで骨が折れそうなことを、いろんなアイデアでさらに乗り越え、広げている事実に、頭があがらない。彼女のぶれない思いも素敵だし、いい仲間が周りにいるのだと思います(羨ましい)。


推し進める人がこんな柔らかそうな人

アイデアは斬新、そしてそれを実現するまでに大変そうなものを乗り越えているのがこんな物腰柔らかな方なのです。

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小織さんと出会った当時、私が知っていたNPOのリーダー像は、2つしかありませんでした。

1つは、心に訴えるような、優しい雰囲気の言葉でストーリーを語るタイプ。プレゼンの機会であってもなくても、語りは得意。

もう1つは、強いリーダーシップ像。的確に社会課題をとらえ、ソリューションを提案し、周りを巻き込んでいくタイプ。

でも小織さんはなんとなくどちらにも当てはまらない魅力がありました。

繕ってもいない。雲の上にいるような人という感じでもない。どこか身近で、ちょっとスキががあって、でも全身でこの活動の価値を感じているというなんとも言えない魅力的なギャップがある、と思う。(歳下の私が言うのも偉そうすぎて今汗をかいています。ごめんなさい…)

その魅力はセブンルールに十分出てきているので割愛しますが、当時悩みが耐えなかった私にとって、彼女のような存在は救いでもありました。自分のあるがままでいるって、大事なのかもしれない。と強く思った覚えがあります。

もちろん事業の種類にもよるのかもしれません。そして、表に出る彼女のすべてが「あるがまま」じゃないことだってきっとある。でも、繕ってはないなと思う。

あの優しい雰囲気はなかなかみんな出せないんじゃないのかなって思っています。(これも羨ましい&尊敬ポイント)

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世界14カ国7万人の子供たちに映画を届ける実情

テレビでは年間100万円の活動資金が必要みたいなことを言っていました。が、どこの数字の100万円なのかわからないけど、絶対に100万円で事足りる活動じゃないと思って、私は調べました。

そう。活動計算書です!!!!!(職業病)

活動計算書とは、株式会社でいう損益計算書(PL)のようなもの、かなと思います。企業の利益を把握するのが損益計算書なら、NPO法人は利益追求の法人ではないという位置づけなので「活動計算書」になります。寄付収入や事業収入の内訳、経費などの動きがわかります。

外部の団体の事情をあーだこーだ書きたくないので細かいことは書かないですが、ワールドシアタープロジェクト、活動報告書を見る限り、日本のみなさんは人件費ゼロでやっているではないですか…

そして全然100万円規模じゃないです。言わずもがなだけど。

役員が報酬をもらったり、有給職員をおくかどうか、というのはその法人の戦略によるところもあるので、外部がどーのこーの言う権利は全く無いですが、少なくともそこはとらないとしているのはすごすぎる…

ということで、応援のかたちとして、ぜひワールドシアタープロジェクトさんにもご寄付で応援をされるのはいかがでしょうか。私は都度寄付でさせていただきました。(微力すぎ)

ホームページ上に活動報告書などがあるので、活動の詳細も、数字の部分も見ることができます。

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世界を広げること、それをもって自分の夢を思い描くことは、人生をより前にすすめる力になると、私は思います。そしてそれは、自分で気づいてできる人にしかできず、できる人とできない人の差が開くものであり、今の時代は「身の丈にあった」ようにがんばれと突き放されやすい時代です。だからこんなに格差格差って言われているんじゃないかって思うんだけど。

そんなときに、ワールドシアタープロジェクトという存在は希望だなと思います。これからも注目してゆきたい、ということで、書き連ねました。


尊敬と、私みたいなものに優しくしてくださる感謝をこめて。


あと個人的に、デザインや経営的な視点で勉強になったのは、映画は基本的に字幕でなく吹き替え(文字がわからない人たちがいる地域もあるから)とか、このプロジェクトによって、現地の途上国でスタッフが生まれ、彼らにとって誇りある仕事を生み出しているということ。もっと知りたい。


ワールドシアタープロジェクトへのご寄付はここからできるよ。


2020年1月9日 23時28分、タイトル変えました。

いただいたサポートは、多様な人たちとの関係性が当たり前にある社会の実現に向けて、Collableに寄付します!