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高学歴・高収入夢追い人にも気をつけよう。


こんにちは。

いよいよ新年度が始まりますね。受験生の皆さん、新社会人の皆さん、新しい生活に入る全ての皆さん、おめでとうございます!!

長い間の努力が報われたことを祈りますが、人生は一つ一つがステップなので、理想の形でなくとも自分の力でつかんだ次のステージに移って頑張ろうとしているすべての方を応援しています。


しかし一方で、いつまでも次のステップに移れない人も一定数います。

人の生き方は好き好きですが、正しく現実と折り合いをつけて頑張って生きている人にもっと報われてほしいし、これまでに出会ったもやもやするタイプの人を乗り越えるために考えたことがあるので、特に若い方で周りにこんな人がいたら注意してくださいというつもりで書いていきます。


いつまでも本気の就職をしない大人


まあ言わずもがなですが、一番はこれですね。

「本気の」と書いたのは、本人の気持ちの問題を強調したかったからです。なので、ここではまず正社員かそれ以外なのかという部分は置いておきます。

多くの人が高校を卒業するタイミングくらいでまず一つ人生の大きな選択をします。その際、受験や就職活動などで力試しをすることになる人がほとんどだと思います。

この力試しの結果、自分の望む環境が手に入らないこともあるでしょう。また、経済的な問題などで力を試す機会が制限されてしまうことも大いにあります。

すべてのことに恵まれて18歳まで生きられる人はそもそも稀だと思いますが、そこからは大なり小なり自分の力で人生を作っていきますよね。

私の知人には高卒で地元を離れて働きはじめた人がいますが、私自身が大学を出て社会に出たとき、最初の部署で本当に大変な環境に当たったことがきっかけで、「働いて自立」することの大変さと尊さをすごく実感することができました。

また、一時期地方の公務員と関わる機会を持ち、高卒枠で入って48歳ながらも勤続30年の方や、18歳のほやほやの新人さんが仕事で悩んで泣いているのを見て、すごく尊敬するし頭が下がるなと思いました。

若くして社会に出て働き続けるって、本当に大変なことだからです。

でも一方で、実家に住みながら公務員試験を何年も受け続け、20代後半になるのにろくな職歴が全くない人もいました。

また、東京の老舗公立大学から東京大学の院に進んだものの、その後司法試験に落ち続けて消息を絶った知り合いもいました。

この、「試験や資格を目指す」っていうのが、現代社会にとって大きな罠だなと気づいたこの頃です。

上記の人たちは、最終的にどうなるのか分かりませんが、率直に人としてはアウトだと思うからです。


本気の力試しすらしない夢追い人たち


以前、画家になりたいとこだわってまともに就職をせず、30歳になるころには生き方が完全に分かれたことで縁を切った友人の話を書きました。

画家や俳優など、いかにも夢を追っているという人に対する世間の評価は、なんとなくあると思います。

しかし、夢というよりも現実的に聞こえる「目標」を追っている人に対しては、ずるずると周りが容認し続けることがありませんか…?

それが「資格の勉強」や「進学や就職のための試験」です。

はじめに言ってしまうと、1回目やせいぜい2回目で結果を出せないような物事は、その人には分不相応な事柄なのだと思います。なので、早めに切り替えて、自分が今できることをし、結果を出せない物事に費やした時間を取り戻すために必死で努力をしていかないと、どんどん人生を無駄にすると思っています。

私の経験上、できる人は必ず2回以内で結果を出しています。しかも、一つのことだけに専念しながらではなく、2つ以上のことをやりながら結果を出すように思います。たとえば、学生なら部活や習い事などに精を出しながら勉強を頑張るとか、家の手伝いをしながらできる範囲でやりたいことを頑張るとか。

社会人になる年齢になったならば、兎にも角にも一度働いてみて、そこから得た経験をもとに空いた時間で目標に向かって頑張ることが大事なんだと考えています。

そして、大人として生きる中ではそういう人が「人として尊敬でき信頼に足る、社会に必要とされる人」になると実感したのです。


『一つの事柄に集中する』のは、むしろ非効率です。人間は様々な経験から得られる刺激から影響を受けて成長していきます。

なので、絶対に叶えたい夢や目標があっても、生活のすべてを捧げるのはやめたほうがいいと思います。

じゃあ、「本気の力試し」とは何なのかというと、『自分の生活を確立しながら最大限の力を発揮する』ということだと言わせていただきます。

突然ですが、私は新渡戸稲造という人が好きで、自伝を多く読んできました。彼が生きた時代は、大学教育を受けられるのは一部の超エリートに限られ、今とは比べ物にならないほど本格的な専門知識を身に着けていました。

そんな時代でも、大学を卒業したあと希望の仕事に就けないという悩みを持つ若者は多かったそうです。

それに対し、新渡戸は『特定の分野にのみ自分を高めることにこだわることは、使われる機会の少ない特殊な穴にのみはまるような道具として自分を作り上げることであり、それ以外の場面では社会の役立たないまま終わる。大事なのは、その時その時で社会に求められる形に自分を変えていけることだ』と述べています。

たとえば、公務員試験も、司法試験も、突破すれば見返りの大きな事柄かもしれません。しかし、「それさえできれば」ということは社会に案外少なく、次のステージに進めばまた新たに求められることが出てきます。

その連続が人生であるのに対して、一つの事柄に時間をかけすぎてきた人は、一つの物事を突破しても、次に対応できません。つまるところ、あまり使い物にならないんですね。

高学歴でもこういう人が一定数いるというのは昔から同じだったようですが、仕事や社会が多様化し、生活のために必死で働かなくてはならない人が減り、子どもや若者とみなされる年齢が高くなっている現代では、より深刻だなぁと思います…。

なぜならば、「本気で頑張らなかった時間」は帰ってこないからです。

人は、本気で頑張って駄目だったことには諦めがつきます。なので、本当に人生を成功させている人が何かしらの結果をを1回目か2回目で出しているのは、それでだめだった事柄にこだわらないからです。

また、本気で頑張ったという経験は結果に関わらず自信になり、次につながっていきます。しかし、だらだらと努力できる環境にいる人は、時間をかければかけるほど目標を達成することに対してこだわりが強くなります。

それは、目標を達成しなければそれまでの時間が無駄になってしまうと考えているからだと推測されます。

実際にはもう、自分を変えない限り無駄にしてしまっているのですが…。


環境だけでは測れない「こども大人」の深刻さ


最終的に、ほとんどの人が人生のどこかでこのようなことに気づくのではないかと思いますが、気づくのが20代半ばより後だと、もうだいぶ痛手だなと考えています。

「身体はいい歳なのに、考えがこども」である人には、無条件に不快感を感じるものです。

でも、心を大人にするには、大人の社会に参加し、大人としての振る舞いを日々続けていくしかないのだと思っています。

つまり、こどもとして守られていた環境から抜け出し、自分の力を試すことの繰り返しの中で人は大人になっていくんですね。

働くこと、自立した生活をすること、自分の面倒を自分で見て、自分の力を知ること。これらがやはり大切なんだなぁと思います。

全てができている人はなかなかいないかもしれません。特に、自分の面倒を見るって、『自分で自分の機嫌を取る』とか、人生をかけて学んでいくこともあると思いますので、私もまだまだ学んでいる途中だと思っています。

でも、すべてができている人もいるのが事実。

逆に、一つもできていないひとは相当やばい人なので、関わらないほうがいいですね…。 悪い影響しか受けないですから。

仮に、試験や資格を追う型の夢追い人がたまたま一つ結果を出して、何かしらの社会的身分や名声を手に入れたとしても、やっぱり距離を置いたほうがいいです。

そういう人は高確率で「一発屋」で終わります。夢の入り口をくぐれても、夢はやっぱり過程が大事。

いい歳して誰かに面倒を見てもらってお膳立てされた末にたどり着いた結果や、ぷらぷら生きながらたまたまチャンスをものにして得た地位があっても、一歩一歩積み重ねてきたものがない大人は、いきなり直面する高い要求に適応できません。結果、プライドだけ高いお荷物な人になって周りを疲弊させるか、本人が心のバランスを崩して去っていくかだと思います…。

そういう人の愚痴や泣き言につきあうのが一番心のエネルギーを消耗するので、優しい人や無邪気な人は気を付けてくださいね。


今私が勤めている大手外資系企業のマネージャークラスにも、残念なこども大人がいます。外資系は英語さえできればあとは本人にどれだけ上昇志向があるかで昇進が決まることろがあるので、意外な落とし穴だったなと思います。

40代にも関わらず、人に自分のやってほしいことだけを一方的に押し付ける人で、まるで小学生の嫌われ者学級委員長みたいだなと思っています。

人の上に立つ人は謙虚でなくては長く務まらないということを全く知らないようで、海外のドラマに出てくるつんとしたハイスペックキャリアウーマンの言動を真似て時には暴言を吐きます。正直、ハラスメントで訴えれば勝てそうです…。

本気の力試しをして、自分を正しく知ることができている人は、他人のことも見ることができるようになり、年齢を重ねるごとに求められる対人能力も高まるのだなと感じました。


案外どこにでもいる夢追い人であるこども大人。その実態は様々ですが、地味でしんどい現実をきちんと生きていくことに喜びと満足を見出せる大人になりたいですし、そういう人を大切にしたいと思います。

新生活、お互い頑張りましょう。







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