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シェアリングエコノミー脳になっていた

もう10月も半ば。「色々すっ飛ばしてはやく今年の紅白見たい」と言ったら、「テレビ買わないと見られないよ」と友人に言われた。そう私の自宅にはテレビがない。でもテレビなんてどこにでもあるから私が買わなくても余裕で見れるじゃん。実家、近所の定食屋、スポーツバー、時間差でよければTVerもあるし。新聞は銀行の待合に、雑誌は美容室に、まあどちらも図書館行けば大抵あるよね。

宇多田ヒカルも村上春樹も吉野家もブラックタピオカティーも、人気のあるものはどこにでもあるし誰かが買うから、私が買わなくてもいいと思ってる。実際「Fantôme」も「騎士団長殺し」もメルカリで買ってたし、きれいに使えば後でちゃんと売れる。ああこれがシェアリングエコノミー脳なんだ、自分がそうなっちゃってるんだと、初めて自覚した。

私がサブカルくそなんとかなのも、ちょっと似た理由がある。ルノワールもフェルメールも浮世絵も、駅に展覧会のポスター貼っておけばだいたいみんな見てみたいと言うけれど、現代美術はだれかが見に行っておすすめしないと知りもしない人ばかりだ。ジュリアン・オピーなんか六本木ヒルズやセルリアンタワーで見られて随分有名になったけど、あんなにかわいくてワクワクしておもしろいのに、全然知名度が足らない。ちなみに竹橋の美術館に常設展示してる作品が一番ずっと見てられるんだけど、あえてリンクは貼らない。

そんなこと言ってもテレビあったらずっと見てるし、歌謡曲と演歌大好きだし、芸能人のゴシップもまあ嫌いじゃない元・テレビっ子なのに、テレビ買えば?っていま言われても、広告をひたすら見せる電光掲示板に対して、正直ちっともお金を出す気になれない。

私の時間は、富士通のパソコンやASUSのスマホではなくMBAにある。BGMに歌詞のあるようでないアンビエントを流しながら、トラックパッドを2本指でなぞる。
私の時間は、ZEPP TOKYOじゃなくSDLXに、バルト9じゃなく新ピカやイメフォに、ブルーボトルじゃなくレイニーデイにある。
それが今週の発見でした。テレビはそのうち買います。

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