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明日から夏休みだ、という夜に思うこと

今週も、長い一週間がようやく終わった。

そして、来週からの一週間は、待ちに待った夏休みだ。
解放感に包まれる一方で、このところは本当に何もできなかったな、と振り返って思う。
来週の月曜日から沖縄旅行に行く予定なのだが、フライトと2日目までの宿以外、何も準備ができていないのだ。

家に帰ってきて、まずお風呂に入った。金土と働き詰めの二日間を過ごして、私の心にはすっかり垢がこびりついてしまった。それらの一切合財を流すようにお風呂に入る。
そして、自分の体を洗ってさっぱりしてみると、一週間くらい放置していた風呂を洗いたくなった。
風呂をきれいにしてみると、今度は部屋もきれいにしたくなり、2LDKの和室と洋室を全部掃除した。平日に全く掃除ができていなかったので、ちょっとありえないくらいの量の髪の毛が床に落ちていて、ここまで汚いと掃除もやりがいがあるものだな、と妙に感心する。

小腹がすいたので、納豆を1パック食べる。ご飯は、彼の帰宅を待って一緒に食べたいから、今はやめておいた。そして冷たいカフェオレを淹れて、ようやくPCに向かい始めたのはもう夜の10時半を過ぎていた。

書きたいことはいろいろあるけど、さくっと簡単にまとめられるようなことは思いつかない。それでもドキュメント作成の画面を見ると何かが湧いてくるから不思議だ。
それは必ずしも、人に伝える価値がある内容どうかということとは別物なのだけど。
そして、書き始める前は、だいたい、少しだけ憂鬱な気持ちになる。

普段の私は、仕事のストレスのせいだとか、毎日noteを書いているせいだとか、一緒に住んでいる彼が甘えん坊なせいだとか、人生が上手くいかないことを自分以外の何かのせいにしがちだ。

だけど、なにか状況を変えたところで、急に「掃除も料理もできて規則正しく生活して読書がいっぱいできて...」みたいな人間になることは絶対にないと思われるので、今日も、短い手足とか、どこか物足りない文章力とかをやりくりしながら、なにか重要なものが圧倒的に欠落した人間として今後も生きていかなければなるまい。

夏休みは沖縄旅行に行くと先述したのだが、それは正確に言えば「旅行」ではない。リゾートに行くつもりはないし、そもそも彼を家に置いて一人っきりで一週間近く沖縄に行くのだ。
その目的は、かっこつけた言い方をするならば「取材」だ。
ジャーナリストを目指してテレビ局で報道の仕事に関わっていながら、日常業務では企画を出すこともロケに行くことも求められていない、そんなかわいそうなADの自分に、何かご褒美をあげたいと思ったのだ。

実は、肝心な「何を取材するのか」というテーマすら決まっていない。
準備不足で何もできない私だけど、せめて自由に動ける夏休みくらい、ジャーナリストを気取ってみたい。ただカメラを持って、沖縄を歩くうちに何かが見えてくるのではないか。いつものnoteのように、書き始めなければ見えてこなかった物事に出会えるように、カメラのファインダーから覗いてみれば、何か、普段と違う沖縄が見えてくるのではないか。そんな軽い気持ちで、とにかく出かけてみようと思う。

そして、おそらく休み明けの一週間もまたかなり辛いものになると思う。
プライベートな時間を自由に過ごして開放された自分自身を、また仕事モードにチューニングし直さなければならない。そういうとき、体を仕事に慣らすだけでも大変だ。

本当ならばそうではなくて、仕事をしたくて仕方がない、そんな気持ちで休暇を過ごしたいものだ。趣味や休暇に打ち込んでいることが、また仕事に活かされて、その逆もあるという、仕事とプライベートが有機的につながっていくような好循環ができれば、どちらかのために何かを犠牲にすることもないのに、と思う。
漠然としているけど、そんな大人になることが私の夢だ。

でもきっと、その状態になるまで道のりは長いのだろうと思う。
そのための一歩として、今回、自分にプレゼントした沖縄取材があるのだ。

まず、目一杯楽しんで来よう。
そしてできれば、何かしらジャーナリスト的な視点のようなものが、自分の中に生まれるたらいいな、なんて期待をしている。

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