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自分で決めることが、私は怖い

それほど親の引いたレールを歩んできた意識はないが、親が良いと思うものと私の理想が異なったことはなかった。
その道を歩んできた今、後悔していることも、間違えたと思ったことも幸いなことになかった。

親の引いたレールにはのりたくない
周りが全員NOといっても自分がYESという道を歩む
親の反対を押し切って

こんな言葉とは無関係に生きてきた私だが、こんな風に言える人のことが羨ましくて仕方ない。
なぜ、そんなにも自分を信じることができるのだろうか。

私はなぜ自分を信じることが怖いのだろう。
自分が信じた道を歩んで失敗する事だろうか。
「だから言ったでしょ」と言って、手を差し伸べてもらえない事だろうか。
周りが反対するものは、きっと選択肢しないことが正しいと思っているからだろうか。

いつも私はずるくて「自分で決めることが大切だよ」とアドバイスをもらいながら、自分が選びたい選択肢を後押ししてくれる、周りの意見を探していた。3人に聞けば3人がBというのに、私が選びたいAを後押ししてくれる4人目を探しに行くのである。
人の意見を聞いているようで聞いていないのは私だった。

そうやって私は、いつの間にか、決められない人間になった。
いや、自分の欲しい意見だけを聞く人間になった。

最近、自分で決めなければならないものにぶつかった。
シンプルに考えれば簡単なのかもしれないが、どうしても怖い。
「あなたはどうしたいの?」そう聞かれれば、その答えを出すことはできるのに、きっとそれが正しくない、いや叶わない可能性が高いことも、なんとなく分かっているから。

でも、手放すことのできないそれを、恥ずかしげもなく掴んだままでいようと思う。震えながら、そのままで。


今は、自分の決めた選択を信じることが怖くて仕方ない。
信じた先に、裏切られることが怖くて仕方ない。
傷つくことが怖くて仕方ない。

「じゃあ、違う選択をすれば?」

そう言われても、その意見を聞くことができない、それが私の選択なのだと思う。


人の意見に頼りすぎる私に。
そっと自分の心に問いかけることをしてください。
静かな夜に、怖くなっても考えることを途中でやめないで。
ゆっくりと唾を飲み込んで、心がぎゅっとしても、自分の心を見つめることをやめないで。

まずはそこから、まずは。

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