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もしかしたら、ずっと愛されていたのかもしれない

呼び名の「さよ」は本名とは違います。

小学生の頃に名前の由来についての宿題が出たことがあり、「画数で付けたから由来を聞かれても困る」と言われたことがショックで、長いこと名前コンプレックスでした。

NVCを学びはじめて過去のストーリーを紐解くうちに、当時のショックな気持ちに気づきました。
そして、名前を変えることは難しくても呼び名ならいつからでも変えられることに気づきました。

今は夫や妹、義母を含めた身近な人が「さよ」と呼んでくれるようになりました。

実の親には「あえて言うこともないな…」と思っていました。
だけど、実親の前だけ違う呼び名ということに徐々に違和感を覚えていました。

親からもらった名前や身体に傷をつけてはならない

そんな呪縛があったように思います。


わたしがコミュニケーションを学ぼうと思ったきっかけは、親との関係性。試行錯誤を重ねても、父や母との心の距離は増すばかりで、わたしはどうせ愛されない…と思っていました。

NVCを学びはじめ、父母との距離がとれるようになり、親孝行するように自分に強要したり、行動しない自分を責めたりすることがなくなりました。

自分を大事にし始めると、次第に父や母の願いが見えるようになっていきました。見えた願いや行動を肯定はできなくても、受容できるようになっていったんです。

つい先日。誕生日の朝、母からおめでとうのLINEが届いたときに、周囲から「さよ」と呼ばれていることを伝えてみました。

すると…
「さよですね。ありふれた名前をつけちゃってごめんなさいね。」と返ってきたのです。驚きも怒りも尋問もなく受けいれられたことに、びっくりでした。

その返信に、
「今、とっても幸せで生まれてきてよかったなと思っています。お母さんとお父さんに感謝します」と伝えることもできました。


受けいれてもらえたと感じたこと。
心からの感謝を伝えられたこと。
どちらも初めてで涙が流れました。

愛されていないと思い込んでいただけで、もしかしたらずっと愛されていたのかもしれない…。

ほしい愛の形が違っていたり、伝えかたが不器用なだけで、ほしいものはあったのかも…。

コミュニケーションを学んで、NVCと出逢えてよかったと改めて感じています。


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