散歩が怖い


東京に住んでいた時は深夜でも車ビュンビュンな大きな道路が近くにあった。環七だかカンパチだか知らないが。

昼夜逆転と過食のせいで太ったので主治医の勧めもあって「散歩」をすることにした。

しかし如何せんデブで多汗症なのであって汗かきのデブなんて見苦しいだろうと昼間は怖くて外に出れなかった。

そこで思いついたのが夜の散歩だった。
例の大きな道路は地下鉄線沿いだったため退勤ラッシュの人が少ないだろう時間を狙った。

しかしそれでも現実は厳しい。
人がすれ違うのがやっとな狭い歩道。
ただでさえ狭い歩道に侵食するありえない量の雑草。
我が物顔でスマホをいじくりながらヒールでフラフラと歩道の真ん中を歩くOL。

仕方ない。仕方ない。これが現実。これが世界。
そう言い聞かせながら汗だくになりながらも数週間夜の散歩を続けた。

私は人が苦手だが、もう1つ苦手なものがある。

車だ。

道路で車に出くわすと「どうぞどうぞ」のやり取りやアイコンタクトが行われる。
私は目が悪い。車の中の人の表情が分かりづらかった。
そして人に「存在を認識される」ことに並ならぬ恐怖を持っていた。
自分の姿を見られるのが怖いのだ。
透明人間のように生きたいのに、姿を認識され、目を合わされ、自分の身なりや容姿をまじまじと見られるとサーっと血の気が引くのだ。

だから普段は車に出会いそうな時はわざと歩く速度を落としたり、行き先とは違う方向へ行って誤魔化したりしている。

なんとか夜の散歩を習慣づけようとしていたある日。
私は歩道橋の前の細い道からゆっくり出てきた車にタイミングよく出会ってしまった。

夜だから当然ライトが眩しいほど私を照らしていた。
みすぼらしい私の姿を照らしていた。
運転手の表情がわからなかった。

「歩行者優先」というルールも、こういう場合車が歩行者に譲ることが多いことも、そもそも車が徐行していた事も、わかっていたはずなのに。

私は暫しの硬直の後振り返ってすぐ横にあった歩道橋の階段を駆け上がった。
真っ白な頭の中で苦手な階段を駆け上がった。

駆け上がりながら
「絶対キチ○イだと思われた」
「もう二度と散歩なんかしない」
「こんな自分嫌いだ」
「なぜこんなに臆病なんだ」と息切れしながら涙を流した。

それ以来当然散歩はしていない。

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