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「ヨセ・オブ・ドリームス」(笑う20世紀)

先日の東京ドームイベントでは、映画「フィールド・オブ・ドリームス」へのオマージュがありました。実はそれよりずっと前、私は小説でこのネタを使っています。それが「ヨセ・オブ・ドリームス」。

『笑う20世紀』というショートショート集があります。元はノベル版で出版されました。NHK-FMの「青春アドベンチャー」でラジオドラマにしたところ好評で、その後シリーズが続きました。
本の方はもう絶版になっていますが、数本ずつに分けて電子書籍になっています。その「赤」に収められているのが、
「恐怖の駅前商店街」
「新聞が来た日」
「ドラマチックな恋」
「ヨセ・オブ・ドリームス」
「南関東大地震」

電子書籍の出版社の了解を得て、この中から一本「ヨセ・オブ・ドリームス」をUPします。
有料ですが、途中まではこのまま読めます。定期購読マガジンの方は最後まで読めます。全5話読むのなら、電子書籍を一冊買った方がお得です。

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「ヨセ・オブ・ドリームス」

親父の四十九日がすんだので、
「もうそろそろいいだろう」
と思って、俺は久しぶりに家の裏手にむかった。
裏手といってもすぐそばではない。家の傍には二車線の県道が走っていて、それをはさんだ裏側のことだ。木造モルタル二階建てのアパートと、最近できたばかりのコンビニエンスストアとの間に、それはあった。

畑だ。
「いや。そう言っても信じてもらえないかもしれんなぁ」
俺は、なかばあきれながら呟いた。
なにしろ親父が一人で手入れしていた畑だ。それが、親父が病気で倒れて入退院をくり返していた三ヵ月の間と、葬儀をすませて今日までの間、誰もここに足を踏みいれていない。
草木が一番成長する夏から秋にかけてがそうだったのだ。キュウリやトマトは伸び放題に伸び、すでに枯れ、さらに名前も知らない雑草の類いがまるでお化けみたいにうねうねと成長し、お互いにからまりあっている。
子供の頃に見たSF映画の、
〝人類滅亡後数百年経った地上〟
というシーンを思い出した。

県道を走る車の排気ガスと埃【ほこり】とが、雑草の葉の表面を灰色に覆っている。さらに、車から投げ捨てられる空き缶や、隣のコンビニで買い物をした客が捨てるゴミが、雑草のあちこちにひっかかっている。
「まったく、マナーがなってないな」
文句を言いながら、俺は雑草をかきわけて畑の中にはいった。その時だ。どこからか聞こえてきたのだ。あの声が。
――それを作れば、彼はやって来る。

「そういう映画、見たことがあるわよ」
と、妻の美喜子が言った。
「その〝彼〟っていうのは〝シューレス・ゲン〟のことよ」
シューレス・ゲン? それじゃ日本語に訳したら〝はだしのゲン〟じゃないか。そんなものにやって来られても困ってしまう。
「違うよ。〝シューレス・ジョー〝だろ」
「そうそう。それ。声のお告げに従って野球場を造るのよね」
「その映画なら俺だって知ってる。だけどさ、あんな場所に野球場は造れないぜ」

私鉄で都心まで一時間半のこのあたりでも、最近は宅地化が進んでいる。二、三年前まで空地や畑だった場所に、どんどん建物が建っている。実を言うとうちのあの畑も、つぶしてアパートを建てるつもりだった。
ところが親父ときたら、
「自分の家で食べる野菜くらい、あそこで作れる」
と、けっして首を縦にふらない。
俺もしかたなく我慢していたんだが、親父が死んで、四十九日も明けたので「もうそろそろいいだろう」と、念願のアパート建設にのりだすことにした。その矢先にあの声が聞こえてきたというわけなのだ。

俺だって、電車に乗って一時間半かけて都心にかよってるサラリーマンだ。ここでアパート経営のサイドビジネスができりゃ、少しは老後も安心というわけだ。
「まぁ、あんな空耳、気にすることはないだろう」
と、俺は自分に納得させるように言った。

ところがそれから一週間後。ブルドーザーを入れて畑を整地するのを見ていた時だ。
――それを作れば、彼はやって来る。
と、またあの声が聞こえてきたのだ。
俺はあわてて、ブルドーザーを運転していた作業員にきいた。
「おい。あんたにも聞こえたか?」
「え? 何がです」
作業員はブルドーザーのエンジンを切って、耳を澄ます。
そうか。考えてみりゃ、あんなうるさいエンジンの音の中で聞こえるわけがないな。
「何が聞こえたんです?」
と彼は重ねてたずねてくる。
「いや。まぁ……そのぅ……」
俺はうろたえて、
「や、野球場ってのは、どのくらいの広さが必要なのかな」
なんて口ばしってしまう。
「さぁ……。ふつう、センターの一番深い所までが百二十メートルっていいますからね……」
「ここには無理だよな」
「まぁ、三角ベースぐらいならなんとかなると思いますけどね。あはは……」
作業員は豪快に笑って、再びブルドーザーのエンジンを入れ、またガリガリジャリジャリと土をならしはじめた。
そうだよなぁ。どう逆立ちしたって、こんなスペースに野球場は造れっこない。じゃあ、なんだってあんな声が聞こえてくるんだろう……。

そしてその夜、俺は夢を見たのだ。
きれいに整地されたあの場所に、男が一人いた。そいつが羽織袴【はおりはかま】姿なのだ。最初は、立っているのかと思った。しかしそのうち、どうやら宙に浮くみたいにして座っているらしいことに気付いた。
正月でもないのに羽織袴を着ている日本人といったら二種類しかない。相撲取りか落語家だ。そして、そのどっちかは体つきを見りゃ莫迦【ばか】でもわかる。
俺の土地にあらわれたその落語家は、片手で盃を持つような仕草で何か言った。それからゆっくり頭を下げる。どうやら今のがオチだったらしい。
「寄席だ!」
その自分の声に自分で驚いて、俺は蒲団からガバッと体をおこした。
夢の中にあらわれた落語家の姿がまだ脳裏に焼き付いている。そして、その隣の〝めくり〟に掲げてあった寄席文字も覚えていた。
〈三遊亭円朝〉
夜の闇の中、どこからかまたあの声が聞こえてきた。
――それを作れば、彼はやって来る。
「冗談じゃない! 俺に寄席を作れっていうのか!?」

「課長さん、何読んでらっしゃるんですか?」
オフィスの若いOLが俺の机をのぞきこんだ。
「いや。な、な、なんでもない。なんでもないさ。は、は、は」
昼休みに近くの書店で買ってきた本を、俺はあわてて引出しの中に隠した。落語の本だ。これを読んで、三遊亭円朝なる人物がどういう落語家かわかった。明治時代の噺家で、近世落語界の第一人者とか三遊派中興の祖とか呼ばれている。たかが落語にたいそうな能書きがついてるものだ。
俺は知らないが「芝浜」だの「鰍沢【かじかさわ】」だのという名作はこの人が作ったらしい。「牡丹燈籠【ぼたんどうろう】」を作ったのもこの人だ。これは知っているぞ。怪談だ。くそっ。なにも怪談噺を作ったからって、てめえが化けて出てくることはないじゃないか。

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