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「置かれた場所で咲きなさい」の残酷さと希望

社会人になってもう何年目だろうか。大学を卒業した数年はすぐに数えられた。
けれど、もう今となっては
「大学卒業したのが2016年だから〜」とわざわざ逆算しないとすぐに何年目か思い出せない。

置かれた場所で咲きなさい

この言葉は伝え方によってはずるいと思う。
知ったのは社会人2年目になった夏ぐらいだった。当時の私は、この職場に配属されたのなら、ここでがむしゃらに頑張りなさいと意味をとった。

自分が今いる環境で、思ったように成果が出せないから、「もっと頑張らなきゃ!ここを改善しなきゃ!」と追い詰められがちになる。営業職に就いていた私は、なかなか思う結果が出ず、焦ってはすぐに題名の言葉を思い出していた。

当時の部長からパワハラとセクハラを受けていたが、それを私は「自分が頑張れていないからだ。もっと頑張らなくちゃ!」と思っていた。

誤魔化し続け、環境に適していないことに気付けず、伸ばしすぎた茎はちょっとした風雨でいとも簡単にぽっきりと折れてしまう。

・荒んでいく部屋
・洗い物ができない
・作った食べ物をそのままにしてしまいカビを生やしてしまう
・やろうと思ったことができない
・自分の手首を見ては、もっていたカッターで血が出ない程度に傷つける

社会人2年目、私はぽっきりと完全に折れてしまっていた。
病名がつき、そこからは休職。働いてはいないけれど、最低3年は働けと世間一般の常識通りに私はその会社に3年在籍した。

今は正社員じゃなく、契約社員としてコールセンターで働いている。その傍らで細々とライター業をしている。
契約社員と非正規雇用になってしまったけれど、正社員だった頃より何かに追われることもないし、心は平穏でいられる。
ライター業に関しても、ずっと関わりたい!と思っていたメディア様とご縁があって、いくつか掲載してもらえた。

大好きな旅(やってみたかった一人旅)にも行けるようになったし、小学生の頃から夢だったエアーズロックにも念願叶って行けた。

花が開く環境はみんな一緒じゃない、陽の光、水の量、土壌など、花開くためにそれぞれ適した分量があるように、人にだって何かしらの個性や特徴がある。今いる場所が適していないだけ。そんなことに気づくのに何年もかかった。

置かれた場所で花を咲かせる努力はとても大切で、今でも頭の片隅に置いているけど、さっきも書いたように人それぞれに適した環境がある。それが合っているかどうかなんて、自分にしかわからないと思う。

他の花は綺麗に咲いているのに、自分は咲けていないなんて焦ることはない。責める必要もない。
色や形、花が咲く時期、咲くための環境は一人一人違うのだから。

もし今、無理矢理茎を伸ばしすぎて、もうすぐ力が尽きてしまいそうな人がいるなら、周りを見て焦る人がいるなら、一度立ち止まって自分自身の心とだけ向き合ってみてほしい。どの選択をとるのが一番自分にとって最善なのか。

過ぎ去っていく日々、どうせなら楽しく幸せに過ごせるほうがいい。

人は人、自分は自分、周りが何と言おうときっと大丈夫だから。

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