見出し画像

亡くなった猫のこと、教えてもらったこと

今年7月15日に17歳で亡くなった猫のことを書こうと思います。(尚、写真はただ健やかに寝ているだけのその猫であり、決して亡くなってから撮った写真ではないのでご安心下さい)

今まで辛すぎて、殆ど口にも出せず文章にもできず、アウトプットしてこなかったことなので、書きながらしんどい気持ちになるかもしれないとは危惧していますが、猫の鎮魂も兼ねて、ここらでまとめておこうかと。
今は側にトライアル猫ちゃんが居てくれるし私は部屋に一人ではないので、そこはとても心強いです。

亡くなった猫、と書き続けるのはなんだか気が進まないので、メインクーンでありたまにそう呼んでいたことから「モフモフ」と言い換えることにします。

モフモフは、私が入院しているときに一緒に入院されてた方の中にブリーダーさんが居り、予期せぬ猫の出産のために産まれた仔猫たちを、入院しているみんな、それから看護師さんにも良かったら貰ってください、お金は要りませんと言われてもらった子でした。

母は、当時猫があまり好きではなかったのですが、18歳の躁鬱で入退院を繰り返していた私が「自分の力で守れる存在があれば生きられるかもしれないから飼いたい」と言って、半ば脅しのように渋々OKを貰いました。

うちに来たときは、モフモフはとても小さく、まるでぬいぐるみのようでした。最初こそ部屋の本棚の、物凄い狭い空いたスペースに潜り込んだりしてこちらを驚かせていましたが、2日か3日経った頃にはゴロゴロ喉を鳴らしながら撫でられるようになりました。キュルッピ!と鳴く様子に、猫が苦手だった母もイチコロ。

モフモフは、おっとりしており、あまり物事に動じないというか鈍いというか、雷や大きな音が鳴ってもそんなには驚かない子で、怒ったり噛み付いたりもせず、いつでもニャンニャン鳴いてそれはそれは可愛かったです。

私の部屋で飼っていたのですが、当時の家の私の部屋はバーを下げて開けるタイプのドアで出入りをしており、モフモフは飛び上がってバーを下げて部屋から脱出し、いつの間にか一階のそこら辺に居て、時には窓際に座り我が家の外飼だった犬くんを挑発して犬くんが物凄い吠えてました。犬くんごめんね…。
うちを建ててくれた大工さんが、バーが下がらない突っ立てのようなものを作って下さり、人間はバーを上げて出入りするようになりました。

寝ていたら、モフモフが上から降ってきて、腕に爪の傷を負い、母はゲージの外から猫を覗き込み、ゲージの隙間から眉間にモフモフからの爪の傷を負い、妹も何らかのやりとりの末に爪の傷を負いました。

若い頃はモフモフも暴れたかったみたいですし、好奇心が勝り、そんなには甘えてこなかったです。

段々、歳をとるにつれ、モフモフと私の距離は近づいていきました。
私の寝ているベッドの足元で寝るようになり、私がいないと凄い声量で甘え鳴きをしました。
私のお腹の上で過ごすようになり、私は可愛いのと申し訳ないのとで移動できなくなったりしました。
寝るときは、私は横向きで寝ていましたが、腰の一番凹む部分にすっぽり嵌って乗ってモフモフは寝ました。
たまに、私の頭を抱え込み、グルーミングなのかよくわかりませんが、蹴り蹴りしながら爪を立て頭を舐めてくるので、布団に潜り込んで寝たりもしました。
夏はモフモフは枕元に丸まって寝ていました。

私が本を読んでいると、お腹の上で私の手をちょいちょいっと触り、撫でてとおねだりしてきていました。
電話をしていると、いつも電話口で物凄い甘え鳴きをし、電話先に「猫ww」と伝わっていました。

歳をとってきて、口元に出来物ができたり、夏には食欲が落ちるようになったりし、毎年「今年は駄目かもしれない」と覚悟をするようになっていました。ベッタベタに甘やかして、一緒に過ごす時間が更に増えました。
食べないときは、猫缶の中身をさらに潰してペースト状にし、モフモフのいるところにしつこく付いて回ってなんとしてでも食べさせました。
モフモフは、もうしょうがないなあ、という感じで、仕方なく食べてくれたりくれなかったりでしたが、冬を迎える頃にはカリカリのドライフードをしっかり食べるようになっていました。

今年の春、モフモフはまだ夏にもなっていないのに、段々食べなくなりました。
毎日吐くようにもなりました。
早々にウェットフードに切り替えましたが、一回に食べる量も少なく、食べないこともあり、1日のうちに8回くらいに分けて、食欲の出るお薬や吐き気止めのお薬をすり潰し混ぜてご飯をあげました。
食べなかったらノーカン。
次は二時間後、とアラームをかける。
私が一番どうやれば最善かわかっているので、家族にご飯を頼むわけにもいかず、寝るにも眠れず、自分の病院には行かなければいけないけれど、一度病院に行くと4時間くらいは家を空けることになるので、正直自分がどうなろうとモフモフが優先だと思っていました。

病院を、一時だけ近くの歩いて行ける所に変え、薬だけでも出してもらうようにしました。

その頃、もうモフモフは一切食べなくなりました。
動物病院の先生から、「食べなくなったら長くて1、2週間」と言われており、私は殆ど眠らずモフモフと過ごしました。
モフモフは、ぐったりとして、もう立ち上がるのもやっとなのに、最後の最後まで自分のトイレに行き、トイレをし、トイレの中でそのままうずくまって居たりして、抱っこをして外に出してあげてました。

食べなくなって3週間目に突入し、動物病院に連れていきました。
こんなに頑張ってくれるなら、もし、今からでも遅くないなら食道カテーテルを入れられないか、と。
人間のエゴだとは思いました。でも、もしかしたらこの子は生きたいのかもしれない、だからこんなに頑張ってくれているのかもしれない、そうも思いました。
血液検査をすると、腎臓と肝臓の数値が脱水症状のためガン上がりしているとのことで、おうちで点滴をしてあげてください、と言われました。
点滴の仕方を先生に教わり、母とそれから毎日モフモフに点滴をしました。
モフモフは、少しだけ元気な様子を見せるようになったので、点滴して良かったなあ、と思いました。相変わらず食べてはいませんでしたが。

そして、それから1週間、モフモフは今までにないくらいぐったりしました。そして、私を探すかのようにグラグラしながらウロウロし、私が側に行くと、それまでの4週間はもう甘えるどころの話ではなかったのに、私に撫でられるのが嬉しそうで、私が少しでも手を離すと大変に鳴き、また撫でられては嬉しそうにしました。
その夜は私のお布団の枕元に連れて行き、撫でながら一緒に寝ました。
夜中、モフモフは突如痙攣を起こし、私はモフモフの名を呼びながらパニックでした。
モフモフは、それから丸一日経って、静かに息を引き取りました。


私は、モフモフの心臓が止まるときには、私の心臓も止まればいいと思っていました。モフモフが死んだら、私も生きていられないのじゃないかと思いました。
今でも凄く凄く辛いです。
でも、モフモフがいたから、私は多分生きてこられた。
モフモフが、いつも私を助けてくれた。モフモフはそんなつもりはなかっただろうけど。
モフモフのおかげで、私は今生きている。
だったら、私はモフモフに誇れるように生きていかないといけないんじゃないかな。
そんな風に感じます。
モフモフが亡くなるまで、私はいつ死んでもいいと思ってましたし、モフモフという大切な存在が居なくなったら自分を抑える自信はありませんでした。

でも、モフモフが命がけで教えてくれた。
愛している存在が死ぬってこういうことなんだって、教えてくれた。

モフモフ、ありがとう。愛してる。いつまでも愛してる。ずっと一緒に居てくれて、ありがとうね。

私は、頑張って生きてみます。あなたに恥じないように、生きてみます。

あー、やば、涙止まらん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?