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彼女がいた証の、心の痛み

もうすぐ、亡くなった友達の命日がやってきます。
亡くなってから、かれこれ20年近く経つのですが、未だにやっぱりしんどい。
彼女と私は生まれた日が同じで、お互い同じ県で産まれ、小学生のときに別の県でたまたま同じクラスになり、それから友達になりました。彼女は私に、私達は「運命共同体」で「一心同体」だと言ってくれていました。
そんな彼女は、中学2年生のときに重い病気に罹りました。
そしてそのまま私は高校生になり、鬱病になり、入院生活を送っていた彼女とメールで「一緒に頑張って病気を治そう」とか、お互い「こんなふうにつらい」とか、時には励まし合ったりとか、そういうやりとりをしていました。彼女も長引く闘病生活で若干心を病み、「こんなことをしたけどやっぱり死ねなかった」等とメールを送ってくることもありました。

別れは、微塵も予期できず前触れもなく、唐突に訪れました。
彼女のお母さんから電話がかかり、亡くなったことを知らされました。
私は、その頃鬱の調子が良くなく、彼女が亡くなったちょうどその時間にたまたま自殺を図ろうとし、失敗していました。
悪夢のような数日でした。お通夜とお葬式を経て、ただただ、私はなんで死んでないんだろう、なんであのとき死ななかったんだろうと、彼女がこの世にもういない現実の、叫び出したい悲しみのなかで、罪悪感のようなものに蝕まれていく感じがしていました。
運命共同体なのに、一心同体なのに、私だけが生き残ってしまった、彼女だけ逝かせてしまった。彼女を裏切ってしまったような、運命を私が壊してしまったような、そんな思いに駆られました。
彼女が亡くなってから、彼女が好きだったためにお通夜でもお葬式でもエンドレスで流れていたV6のベストアルバムを、私は家でひたすら聴きながら泣きました。
数ヶ月後くらいから、不意にV6の曲がどこかで流れ始めると、お通夜、お葬式の場面がリアルにまざまざとフラッシュバックするようになってしまい、これには長年大変苦労したので今もしその時に戻れるなら、家ではそれを流すな愚行だ絶対後悔するぞ、と、当時の自分に言いたい。
今でもまだV6の曲が流れると、ベストアルバムの中の曲ならイントロだけで既に体が固まり、パニック状態に陥ります。大体スーパーやなにかのお店の中だったりするので、お会計をしていないと逃げ場がありません。テレビでいきなり流れるのもしんどいです。
元々、V6は彼女が好きだったアーティストだけど、彼女は周りを自分の趣味の世界に引き込む才能というか、カリスマ性のようなものがあり、彼女を筆頭とする私達のグループは当時V6にハマりまくっていました。私も音の運び方、リズム感などが心地よく、トラウマさえなければ今でも本当は聴いて楽しみたいけれど、なかなか無理そうです。
私の漫画好きも、彼女によって形づくられました。
彼女は中学1年でまた同じクラスになったときには既に立派なオタクと化しており、私も色んな漫画を教えてもらい、いらん知恵まで沢山授けられました。私のような友達が彼女の周りにはいっぱいいて、それぞれ仲良くなり自然にグループ化し、みんなで色んなことを共有しました。先に述べたようにV6も然りでした。彼女が病気で学校に来られなくなっても、休み時間はみんなでそれぞれのクラスから集ってきて、オタクな話をしたり、彼女の外出許可が下りるときに遊ぶ計画を立てたりして過ごしました。
みんなにとっても、彼女はやっぱり特別な人だったと思います。
そういう人でした。

彼女が亡くなり、しばらく私はPTSDで苦しく、彼女がいないなら死ななくてはならない、誕生日が来てしまうと歳がどんどん離れていってしまうから、その前に死ななくてはと思いつめ、鬱も酷いわ、無茶苦茶な精神状態で、ほぼ毎日「逝かないで」「そばにいて」とグシャグシャに泣く状態が3、4年続いたと思います。
そんな状態が段々落ち着いてきても、命日付近や誕生日は記念日反応が起こり、鬱が酷くなります。
最近は、彼女がいないから死のうなどとは一切思いませんし、そんなことはするものではないと思えますが、折々でふと「彼女が亡くなった時に死んでいれば」と思うことはあります。

当時、同じグループで彼女の死を共に悲しんだ友人たちとは、彼女のことがあったからか、より一層結束が強固になり、その後もなにかと言えば集まったりお泊り会をしたりして過ごし、今なお繋がりがあります。彼女が繋げてくれた縁だなあと思います。
グループの誰かの節目の際にはみんなで彼女の命日に、墓前へ「○○が結婚するよ!」「○○妊娠してるよ!」「○○が子供つれてきたよ!」と報告しに行っています。

彼女は明るくて、激しくて、台風みたいで、わがままで、優しくて、可愛くて、そんな彼女から、私は誕生日が一緒だったからというだけであれ「運命共同体」「一心同体」と言ってもらい、特別にしてもらえました。誇らしいです。

きっとこの重さみたいなものと、一生付き合っていくんだろうと思うけど、たまにしんどいけど、これを背負って生きていきます。
その重さは、彼女がいた証だから。
全部の彼女を覚えていることは不可能で、きっとどんどんこぼれ落ちていくだろうけど、この重さだけは私の中に確かに残るものだと思うから、彼女を振り返りながら、この重さと生きていこうと思います。

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