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しょせんまがい物・偽物という感覚

相変わらず、休日に没頭・熱中できなくなっている。
ここ数日、筆記体での英文写しに没頭できるようになったけど、長時間は難しい。

ゲームについては、いまイベントが始まってるから、ちょっとだけグラブルをして、そのあとは、なんだか何をしてるのかよくわからない。つまらなくてやめてしまう。

そもそも休日は家にいるから、異性装はできない。イヤリングもだめだしなぁ。せめてネイルだけでもできるといいんだけど、それもできない。

虚無感からか、ファッション雑誌をよくパラパラとめくったりするけど、なんか入り込めない。私は身体は男だしなぁ、と思うとすごく劣等感がある。自信がなくなっている、と感じる、のかな。だから楽しくない。ほんとは、MOREの6・7月合併号に、すごくかわいい靴が載っていて、似たような靴がすごくほしいと思っているんだけど、沈んでるときに見ても、同化できなくて共感というか、どっぷり浸ることができない。女性の中に、一人で男である私がレディースの服をいろいろ物色している感覚。場違いな感覚。それを強烈に感じる。

調子がいいときは、もちろん見ていて楽しい。それは、自分のジェンダーが安定していることの表れなのかもしれないな、と思う。実際、そういう時は、劣等感を感じることはあまりないし、純粋にファッションを眺めることに没頭できている。

この間、金曜日かな……仕事帰りにコーヒー店に寄ったら、若い、黒のスカートスーツを着た女性が足を伸ばしているのがどうしても目についた。
くそぅ、私が骨がごつくてそんなに脚なんか出せないのに。八つ当たり的な怒りを感じてしまった。

あとコンプレックスを感じているのは、胸。形も悪ければ乳腺もないただの脂肪。本当に隠れてホルモン剤を飲むか何かするか、と考えてしまうほど嫉妬してしまう。ブラをつけていると、余計に変な気がする。揺れないから、そういう意味ではいいのだけれど、鏡に映る自分の上半身は、服の上からでも、歪に映る。生粋の女性のフォルムには追い付けない。

安定している時と自己嫌悪、自分のジェンダーに投影しやすいときと、しづらいときがある。これは鬱病の波に依存している気がして、結局、2つは切り離せないのかな、と思ってしまう。

基本、安定させるためには、私は「いい子いい子」してもらいたいだけなんだろうな、と自覚はしている。
可愛い可愛い、と頭をなでてくれれば理想的。でもそれは非現実的な望みだろう。父・夫という枠で動く家の中では、それは難しい。
職場では異性装が心置きなくできるものの、甘える(仕事上で、という意味ではなく)という事は難しい。同僚に「ねぇ、お願いがあるんだけどさ…可愛い可愛い、って言いながら頭なでてくれない?」などというと、どうしたのかと思われる。

結局、仕事でも引っ張る立場であり、家庭でも引っ張る立場であることに、今気づいた。家では比較的のんびりしている方だけど、それでも甘えられるわけじゃない。

無理なのかもしれないが、やはり甘えたい。いい子いい子してほしい。今の私の年齢は、一旦置いとくとして。

しかし、いったい誰に?家人?人選としては現実的だが、かぎりなく可能性は低い。

案外、根源的な問いである気がしてならない。

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