#292 燃える闘魂

埼玉から実家の板橋に引越ししてから1週間位経ち、生まれ故郷の北海道へ
帰北した。母は少し前に行っており、空港まで迎えに来てくれた。
僕が1年振りに飛行機から外へ降り立った印象は思ったより寒くなく気持ち良いと感じた。とは言え、気温はマイナス10℃を下回っていた。
東京の最低気温よりも北海道の最高気温は低かった。
母の運転する車に乗り、母校へ直接行って貰った。丁度、ラグビー部が練習している時間帯で監督がいらっしゃるはずだった。
グランド入口を入って横にある監督が待機する小屋に行くと、監督がストーブの前で暖を取っていた。僕は挨拶し、早稲田大学に受かったこと、そして早稲田大学ラグビー部でラグビーをすることを伝えた。監督は大変喜んでくれ、「良く頑張ったな。頑張れよ!」と力強く握手してくれた。
僕は胸が熱くなるのを感じた。北見に帰ってきて一番に監督に挨拶できたのはとても嬉しかった。監督の教えに恥じぬ様これからしっかり頑張ろうと自分自身に強く誓った。

僕はこの日、地元にたまたまプロレスが来ていたので、市内のトレーニングセンターに観に行った。東京に居たらいくらでも行けるのだがこれから生まれ故郷で開催されるプロレスを中々観戦することが叶わないだろうと思ったので駆けつける様に行った。
思えば、生まれ故郷で初めてプロレスを観に行ったのが小学校1年生の時だった。その時も会場はこの日行った東トレーニングセンターだった。
田舎の生まれ故郷でも1年に1回、プロレスが来ていた。その一年に1回の興行を楽しみにしていた。
僕は中学3年生までは本気でプロレスラーになろうと思っていた。
その為、小学校5年生の時に設立したレスリング少年団にも入り、少年団が解散となる中1まで3年間アマチュアレスリングをしていた。
最後の中1の時には2代目のレスリング少年団主将となり、全道大会で3位に入賞した。
当時、プロレスラーになるには身長180cm以上という基準があった。
僕は185cmまで伸びたら新日本プロレスに入門しようと思っていたが、178cmで身長は止まり、あと太りにくい体質もあり中々体が大きくならなかったのでプロレスは諦めた。
続く…

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