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なにもないからゆっくり。

イライラしやすい時期なのだと言われたら、そうなのかもしれない。

でも私の心はひとつしかないから、イライラしやすい時とそうでない時、ふたつの心を同時に並べて観察するなんてできない。
それに、イライラしてしまいそうな出来事というのも、全く同じ状況で完全に同じことが起きるわけでもない。
だからそういう時期だからそうなのか、そういう時期じゃなくてもそうなのかはわからない。
結局は比べようがない。

そんなことって多い。
同じ条件下で違った素材を使ったり、違う条件で同じ素材で比較分析できることなんて化学実験ぐらいでしかできない。

そんなこともあって、私は私との付き合いも結構長いけど、私はどんな人間でどんな性質も持ち、どんな状況下でどんな力を発揮するのか、どんな時にポンコツになるのか結局よくわからない。

それがわかってたらもっと計画的に要領良く生活できるのになぁ。
今のところ勘とかその時の気分や、自分にとって都合のいい解釈でなんとなく過ごしている。



今日読んだ本。

2人は深夜の
青梅街道を
トロトロ歩いた。

明日には
忘れるような
話をしながら。

春の夜の匂い
コンビニの灯り
遠くからきこえる
救急車のサイレン。

なっちゃんは、
きっとこの夜のことは
忘れないだろうと思った。

ヒロト君も今度
ヒデキに会った時のために
覚えておこうと思った。
『ひらやすみ』 真造圭伍

釣り堀でバイトをしてるヒロトと従姉妹のなっちゃんが、ヒロトが身寄りのないおばあちゃんから譲り受けた平屋で2人暮らしをする漫画『ひらやすみ』を読んだ。

引用したシーンは、なっちゃんが美大進学のために東京に出てきて2人暮らしをし始めた頃、新歓で飲みすぎ駅で動けなくなったなっちゃんをヒロトが迎えに行って2人でとぼとぼ歩いて帰るシーン。

春の深夜に2人で長々と歩いているというのも、なにも記憶に残らない会話というのも、そのどちらもいい。
しみじみと味わい深い。

気ごころ知れた人との会話って、ほとんど記憶に残らない。

「普段どんな会話してるの?」と聞かれても何も説明できない、答えられない。

だけど、その会話をしてる時に感じてた心の動きとかの感触だけは残ってる。それを相手も感じていたこともわかってる。
具体的な会話の内容はなにも残らないけど、それより大事な抽象的な感触だけは残ってる。

ヒロトがその時、このことを話そうと思ったヒデキはヒロトの昔からの友達で、そのヒデキとも居酒屋で明日には忘れるようなことを話す仲だ。
誰かと何も中身がないけど忘れられない大事な思い出を作ったというのもいいけど、そのことを「こんなことがあったんだよ」と話せる人がいるっていうのもすごくいい。

他にも私の思い出と繋がるシーンがあって、それが漫画に書かれているのが嬉しかった。

なかなか大学に馴染めなかったなっちゃんが初めてできた友達のあかりさんと美術館に行くことになるんだけど、そこに上野駅の公園口と公園口を挟んだ道の向こうにあるベンチがそう。

私も友達と美術館に行くことが多く、上野公園口での待ち合わせも沢山している。
大体が公園口の改札を出たところで待ち合わせをするんだけど、一度だけ友達が遅れてくるというので、公園口を挟んだ道の向こうにあるベンチに座りながら待つことにした。

一応公園口の近くではあるけど、待ち合わせ場所をずれたところになるし、間にある道はそこそこ幅広いし、人も多いので紛れてわからなくなるだろうと思って「道向こうのベンチに座ってる」とLINEして待っていた。
その後何事もなく無事に合流できた。だから、美術館で展示を見た後、友達がスマホを見て「ごめんLINE今見た」と言った時には驚いた。
何も知らされずに待ち合わせ場所を微妙にずらしたのに、そこそこ距離のあるところにいた私を見つけてくれたことが嬉しかった。
私が逆の立場だったら絶対見つけられないなと思った。

漫画では公園口の改札に立つなっちゃんと道の向こうにあるベンチに座るあかりさんが描かれていた。
あの日の私たちがそのまま居るようで嬉しかった。

小説でも漫画でもいいものは、自分が無意識に大事にしてる記憶を呼び起こしてくれるものだ。


『ひらやすみ』っていうタイトルもいい。
平屋暮らしだからのタイトルなのかもしれないけど、私はそこから人生の平場をイメージした。

もともと平屋に住んでたおばあちゃんや大学進学共に上京したなっちゃんは別として、主人公のヒロトには特に何か大きな人生の出来事が起きるわけではない。
だけどそんなヒロトにも夢を諦めた過去がある。
でも今は何もない。それが私には人生の平場に思えた。

今は何もないといいつつ、このままずっと何もないとは限らない。これから抱えきれないほど大きな悲しみや、大きく心揺さぶられる嬉しいことがあるかもしれない。
だからその時のために、何もない平場でゆっくりと休む。谷や山へ備えて英気を養う。
「ひらやすみ」という言葉からそんなことをイメージした。

ヒロトには何もないといったけど、なにもないからこそ、山や谷を迎えているおばあちゃんやなっちゃんを受け止めてあげられているのかもしれない。
おばあちゃんやなっちゃんにとっての束の間の平場を作ってあげられてるのかもしれない。

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