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【4】子どもの頃の記憶

久高島から家に戻った。

空港に送るまでは、まだ十分な時間があった。その時、私の心をかき乱す事件が起こった。

関西に戻る準備をしていた彼が、私へと沖縄に持ってきた高価な日本酒を冷蔵庫から取り出し、関西に持って帰ると言った。

こういう残念な発言は以前からあることなので、今まで通りなら不愉快な気持ちをスッと消し忘れるはずが、怒りがこみ上げてきた。(今思うと、私に飲まそうと買ってきたのは嘘じゃなく、飲ませたから後は持って帰るってことだと思う)

スタッフがいることも忘れて怒りをぶちまけ、暴言をはいた。

「なんなん、ショボいねん!!」

そして心の中で次の言葉が響いた。


「彼の言うことを2度と信じない!」

ベットの中での「私を好き」ともとれるような言葉も嘘だったと思うと悲しくなった。その瞬間「彼を信じれないなら、この先誰も信じることはできない」という思いが胸をつきさした。

「それは嫌だ」

再会してから4年、彼が与えてくれた数々のこと、そして初めて自分から男性を好きになったこと、それらを失うのが嫌だった。

その瞬間、子どもの頃に父の言葉を信じないと決めたことを思い出した。父は私の態度が気に入らないといつも意地悪く「〇〇してやろうと思ってたのにやめた」と言い放った。「○○を買ってやろうと思ったのに」「○○に連れて行ってやろうと思っていたのに」という子どもの私は残念で悔しい思いをした。でもそのうちに父の「〇〇してやろう」は嘘だとわかった。そもそも、何かを買ってくれたり、連れて行ってくれようなどと思っていないことが分かった。

そんな気もないくせに私への嫌がらせで言ってたんだと子ども心に気づいてからは、何を言われても、どうせ嘘だと信じないでいた。

私の「信じない」と決めた心が「信じられない」現実をつくりだす。

「男性の言うことを鵜呑みにしない」「信じない」「期待しない」

子どもの頃にそんなことを決めた自分がかわいそうで涙が溢れた。
だから、私は誰よりも切実に信じれる男性と出逢いたかった。

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自分の過去の記憶に動揺した。
心を落ち着かせようと、好きな嵐の曲を聴いたけど、ポロポロと涙がこぼれ止まらなかった。

申し訳なさそうに私の部屋にの入り口で弁明する彼がいたけれど、その時はもう日本酒のことはどうでも良かった。彼の日本酒発言は、私の過去の出来事を思い出すきっかけで、これに気づいた先どうするか?どうしたいか?だった。

自分の信念を変えなければ、これからも同じ事を繰り返す。

「彼を信じたい」

彼と父は違うと自分に言い聞かせていた。

「彼と父は違う」

子どもの頃の父親との体験で「信じない」「期待しない」と決めたことが何十年たった今でも「信じれない」「期待できない」現実をつくっていた。
つくっていたというより、そう見えていた。

この思いをリセットせず男性と付き合う事は地獄になる。
まだ「信じない」を繰り返すの?と私へ問いかけられていた。

他人を信じれないのは、自分を信じれないこととつながっていた。

自ら好きになった「私の選択」を信じれないのか…
それは嫌だった。

私は彼を信じたかったんだと思う。彼だから信じたかった。
彼でなければ小さなほころびを見つけて「信じれない」と逃げていた。

この4年間、彼とシェアハウスで生きれたことが神さまの計らいで、何もかもが計算通り私を幸せにする道のりだった。

私は自分を幸せにしたかった。

男性を信じれないくせに、ともに男性と生きたいと願い「私を信じさせてくれ」と思っていた。信じさせてくれるくらい、私の事を大切に愛してくれる人を求めていた。でもそれは叶わぬ夢でしかないと今はわかる。
だって自分が自分のことを信じてないのだから・・

相手がどうあれ、私が相手を信じて愛しぬくと決めなければ時間の問題で、いずれは不安と疑惑に押しつぶされる。今までもそうだった、それは相手のせいじゃなく私の問題だった。

初めて私が好きになった「私の感覚」を信じる。

#忘れられない恋物語


追伸

1年たった今、文章を書き足している。
本当の意味でここに至るま約1年は心の葛藤と逃げ癖との戦いでした。私は男性に対して相当な臆病者で疑り深く、嫉妬深く、そのくせそんな自分を信じれなくて強気な態度でかわいさのかけらもなかったと思います。

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