この状況下で芸術祭をやるということ
横浜トリエンナーレが7月17日に開幕するのを楽しみにしている。(画像は前回のドクメンタで関係がない)
ちなみに今(6月23日)の段階で私が端っこで関わっていて3月に開幕する予定だった地方自治体主催の芸術祭がどのように開催するかは今も未定である。間違いなくアーティストが一番の負荷をかけられているこの現状をどう捉えるか、が最近の私の関心事だが、別の段階で議論したい。ちなみに今は端っこで関わっているまた別の展示の設営中なのだが、開催日程はまだ揺れている。展覧会ははじまりと終わりの日程が決まっているところが良いのだが…。
横トリ2020のアーティスティック・ディレクターである、ラクス・メディア・コレクティブは、アーティストにテーマを与えるのではなく、オープンソースを提示・共有し、そこから茂みをつくっていくという展覧会のつくり方。ソースは昨年の時点でウェブサイトにも掲載されていて、それだけでも面白い。
しかもそのソースのキーワードが独学、発光、毒、友情、ケア。これがコロナ前の提案というのがまた唸るところ。発光が発酵だったりもして腸内みたいな作品もあって楽しみでにやにやしちゃう。
テーマを一方的に決められて、展覧会を行うことの難しさやその権威への反発は、ゼーマンがドクメンタ5で苦しんだことかもしれない。オープンソースから新たな思想を生み出す、というクラウド時代のキュレーションは本来であれば横浜だけでなく香港、ニューデリー、ヨハネスブルグ、など、2023年まで横トリを違う体験によって違う場所の人に届けることで、その全貌を誰も味わえない、でも様々なレベルで体験する人がいるということを行おうとしていた。(さて今後どうなるだろう)
また、近年のキュレーションのキーワードとしてよく登場する「ディスカーシブ」(討議的そして揺れ動く)から発展し、ディスカーシブ・ジャスティスとしての展覧会チームのあり方、ブラウン管の砂嵐の発光と明滅がビックバンの残光に繋がっていたというafterglow…アート従事者としては苦しみもがく日々だけれど、ただのアートファンとして横浜トリエンナーレが楽しみだ…
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