見出し画像

現実非現実

 駅まで原付で向かってて、信号待ちで止まった時にふと前の黒いワゴン車を見たら、ジェットヘルメットにデカグラサンとマスク、ダウンでぶくぶくに着ぶくれたわたしが全面に映し出されてた。「ガンタンク!!」と思った。こんばんは、ご機嫌麗しゅう。

 最近現実の概念が崩壊している。たぶんきっかけは先月足を運んだindigo la Endのライブ。曲が進めば進むほど、曲に落とし込まれた川谷さんの過去の記憶や感傷が、自分の内側から沸き起こっていくようだった。知らない記憶が蘇っていく感覚はなかなか不思議、というか混乱に近いものがある。自分が誰なのか、どこにいるのか、わからなくなることもたびたびだった。

 それから「なにかに熱中してる時、自分はどこにいるんだろう?」と思うようになった。原稿を書いている時は対象の音楽の世界にどっぷり浸かっているし、最近のいちばんの楽しみである金属バットの声流電刹を聞いているときも、フィリピン国家が流れた途端に声流ワールド(←ワードがださい)に入り込み、野ばらが流れるとそこから切り離されるような、我にかえる感覚がある。声流電刹聞いてる間、わたしはどこにいた? 夢じゃないのに夢のなかにいるような感覚だな? じゃあ現実ってなに? 加速するゲシュタルト崩壊!!

(※わたしは金属バットと同世代だから彼らの話してる内容わかるけど、若い子たちはわかるのかな……?と毎回思う)

 毎日のほとんどがひとりの時間なので、そんなことばかり考えてる。敢えて文字にしてみると、どんどんやばいやつになってってる気がしないでもない。考えだすと止まらなくなる。思考とは宇宙……。ほら、すぐ宇宙とか言い出すんだから。悪い癖だわ。なんでもかんでもスケールを大きくするのはおよしなさい。

 思考には際限がない。このままだと物理とか哲学にハマりだしそうで、そうなったらいよいよ現実に戻ってこれなくなってしまう……。わたしのような凡人が踏み入れて良い領域ではないぞ……。

 先月CINRAさんで担当したはるまきごはんさんのインタビューも、現実と夢と想像の話がごっちゃになっている。このインタビューも、だいぶ自分に影響を及ぼしてる可能性がある。

 カルチャー系のライターは、アーティストという感性豊かな方々の価値観や思考、感覚、人生を一身に受ける。そのおかげで日々感性や知性を鍛えられているが、わたしは中途半端に敏感な凡人なのでキャパシティが狭い。10日に一度の頻度で許容範囲を超え、そうなると夕方まで起き上がれなくなる。

 今日(というか昨日)がその日だった。濃厚な取材と新型コロナウイルスの脅威で、心身の疲労はピークだった。なんとかぎりぎり起き上がり、新宿までFAIRY BRENDAのレコ発企画に行ってきた。久し振りに澤さんがギターを弾く姿を見られて良かった。

 表現に触れることは、その人の生き様に触れるのと同義であり、触れている間はそこに入り込んでいる。その時間は現実なのか非現実なのか。となると自分にとっての現実とはいったいなんなのだろうか……。zzz

最後までお読みいただきありがとうございます。